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AGU GC33F: 気候変化に関する科学コミュニケーション(3)

AGU Fall Meeting [12月10日の記事1参照]から。[11日の記事4][14日の記事1]に続く話題。

GC33F 「Construing Uncertainty in Climate Science」
これは2時間のひとこまをGC33Eとの間で半分ずつ分けた短いセッションで、GC33Eとの間では表題に不確かさ(uncertainty)というキーワードが共通していたが、GC33Eは科学的知見の不確かさを小さくするにはどうしたらよいか、GC33Fは不確かさが避けられない科学的知見をどう使うか、という違う方向を向いていたと思う。

Oreskesの話はGC22B[14日の記事1]での話の続き。科学者の発言は変化を過小評価する傾向があることは確かな事実であるかのように話を進めていた。科学者どうしの間ではそのように偏ったほうが信頼されるのだろうが、一般の人に対してそのように偏ると、実際に危険なできごとが起きたときに、科学者が一度に信頼をなくすおそれがある。(わたしも一面でそれはもっともだと思うが、「もし科学者が危険が大きいほうに偏った予測を述べて、実際に危険なことが起きなかった場合に、科学者が信頼をなくす」という心配もあり、Oreskesはそれを軽視しすぎだと思う。) このセッションの企画者のLewandowskyが"leakage"ということばを使って述べたのだそうだが、人々が科学的知見を評価するときその内容以外の考慮がはいりこむことがあり、科学者の場合、「客観的である」「社会的要因に左右されない」という意識が警告的な発言をためらわせるのだとOreskesは言う。それが生じている例として、気候変化の話では話の初めに適用範囲を限定するような断わり書きをすることが多いことをあげていた。科学論文ではふつう結果を述べてから断わり書きをするので、気候の問題に関してとくに慎重になっているのではないかという。しかし、その断わり書きの例は「個別の嵐の因果関係を明確に述べることはできない」というものだった。(ここからわたしの意見だが)個別現象の原因を問うという科学者にとって発言しにくい土俵にひっぱり出された場合にはその苦しさを最初に述べておく必要を感じ、科学論文の場合は自分で土俵を設定するので断わり書きは「念のため」でよい、というのはあたりまえだろう。

Roe (Univ. Washington)は気候について何が予測可能かという話。気候システムの感度の指標としてよく使われる二酸化炭素倍増に対する定常応答の数値についても、科学的知見は幅をもった分布をしていて、値の下限はかなり信頼がおけるが、上のほうには長くすそをひいている(上限を決められない)。過渡応答についてはもっと不確かだが、定常応答の値が大きいほど定常に近づく時間が長くかかるという基本的性質は指摘できる。科学者は努力しているが、気候の感度に関する知見の精度をあげることが、社会が気候変化に対応するうえで特別に重要なことかどうかは疑問だ。また、気温上昇を一定の範囲にとどめるために二酸化炭素濃度をどの範囲にとどめたらよいかという問いに明確に答えられないのだから、二酸化炭素濃度の安定化目標を設定するという政策はうまくない。気温変化のようすを見ながら濃度目標を修正できるようにしていくべきだ。もうひとつ重要なこととして、直接社会に影響を与えるのは各地のローカルな気候なのだが、全球平均の気候変化がわかってもローカルな気候の変化はそれほど精度よく予測できない。それを前提として対策を考えないといけない。

Baer (ジョージア工大)の話は不確かさをどのように表現するかに関するもの。IPCCでは第3次報告書をつくるにあたってMossとSchneiderが指針をつくった。そのうちには報告書に採用されたものもあるが、「根拠の記録を追跡可能な形で残すこと」と「(オプションとして)専門家判断を評価するのに確率論的な枠組みを使うこと」は実行されなかった。実際むずかしいのかもしれない。しかし、これまでのIPCCのように一定の期間をおいて報告書をつくる方式でなく、常に新しい知見が追加されていき、それに応じて確率分布の推定が修正されていくウェブサイトのようなものを用意すれば実現できるだろう、と提案していた。ただし、根本的に新しい考えかたをどう追加するか、意見の対立をどうさばくか、といった問題はある。

Raupach (オーストラリアCSIRO)の話は温室効果気体排出抑制の目標をどう設定するかに関するもの。気候感度の数値に関する疑問もあるが、将来の排出にかかわる社会の変化はもっと不確かだ。Raupachたちの研究(2011年にTellus Bに論文が出た)によれば、時間ではなく累積の二酸化炭素排出量を横軸にとると、温度との間に直線に近いきれいな関係があってわかりやすい。ただしこれが直線に近いのは複数の非線形性が打ち消し合った結果の偶然的なものだ。この軸を使ってこれまでのモデルによる4つの研究を総合してみると、今すぐに毎年5%の排出削減を始めたとして、産業革命前+2℃の目標を達成できる確率は50%で、排出削減開始が10年遅れると、達成できる確率は20%減るのだそうだ。ここで話が変わって、これまでの政策論は経済成長の文脈で語られることが多かったけれども、有限な惑星の中で、環境と公平性をまもった社会の持続(sustenance)という語り(narratives)がおもてに出るように変えていくべきだという意見を述べていた。

そのほかの科学コミュニケーションに関するセッション

  • U44ADissolving Boundaries Between Scientists, Media, and the Public
  • PA23B (口頭発表)およびPA31B (ポスター)「Facebook, Twitter, Blogs: Science Communication Gone Social―The Social Media 101

というセッションもあったが、わたしは出席できなかった。(あとのセッション名のうち「101」は大学の授業番号をもじった半分冗談で「入門編」くらいの意味だろう。)