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AGU PA13B: 気候変化に関する科学コミュニケーション(1)

AGU Fall Meeting [12月10日の記事1参照]から。

今回のAGU大会のセッションには、科学と社会のかかわりに関するもののうちでも、とくに地球温暖化に関する科学的知見を社会にどのように伝えるかという話題が多かった。似たようなセッションが乱立ぎみと思われた。セッション編成時にまとめることもありえたはずだが、まとめると合計時間が縮められそうなので避けたのかもしれない。

地球温暖化に関してAGUは2003年に「Humans Impact Climate, and the Scientific Community has the Responsibility to Educate and Communicate the Implications of Climate Change to the Public and Policy Makers」という声明(Position Statement)を出している。現在は2012年2月改訂版が[PDF]でウェブサイトに置かれている。世の中にはまだ地球温暖化否定論もあるが、専門家の間では人間活動とくに化石燃料燃焼による温暖化の見通しの基本は確立したものとされており、アメリカ合衆国をはじめとする各国の政策はその認識を反映したものであってほしいのだ。

少なくとも北アメリカでは、温暖化の見通しを否定しようとする意図的な宣伝がある。(たとえばOreskes and Conway (2010) "Merchants of Doubt" [読書ノート]参照。) その背景には化石燃料産業の利害があったことも多い。気候を研究する科学者はそのような宣伝にあきれ怒っていることも多い。他方、AGUには化石燃料採掘産業のために働いている人もいるし、今回の大会スポンサーにも石油会社の名まえが見られた。声明はそういう多様な会員のおおかたの合意が得られる内容なのだと思う。(この記事やこれに続く記事に示すセッションの参加者は、会員の平均よりも温暖化対策の必要性を主張したい人に偏っているだろう。)

ただし、この声明は、政策として温暖化「緩和策」と適応策の両方が必要だとまでは言うけれども、具体的にどのような政策をとるかを主張していないし選択肢を示してもいない。おそらく政策提言は学会の役割の外だと判断しているだろう。その選択肢を示すことは学会の役割ではありうるが、現実にはあまりに多様でまとめることがむずかしいだろう。

なお、温暖化の見通しの基本は確かでも、温暖化の定量的予測にはとても大きな不確かさがある。これをへたに言うと、科学者は何もわかっていないと思われるかもしれない。不確かさをいかに小さくできるかという課題も別にあるが、不確かさをもつ科学的知見をどのように社会に伝えるかも考えなければならない。このことがセッションGC33Fの表題をはじめあちこちに現われている。

PA13B 「Countering Denial and Manufactured Doubt of 21st Century Science」PAはpublic affairs。専門分科のSectionや科学的課題領域のFocus Groupでなく学会全体としての社会とのかかわりという位置づけのようだ。題名は、温暖化の見通しをもたらす科学的知見に疑いをふりまく意図的宣伝に対抗する必要があるという認識、そしてそれは温暖化問題だけでなく他の問題にもからんでいるという認識を反映している。

まずAGUのMcEntee専務理事が「Trusted Sources: The Role Scientific Societies Can Play in Improving Public Opinions on Climate Change」という講演をした。基本的にAGUの立場や活動の紹介だったが、表題から、学会は公衆の世論形成に対して信頼できる科学的知見の提供者という立場をとるべきだと考えていることがわかる。

Rosenau (National Center for Science Education)は、主に生物進化に対する否定論を題材として、「科学否定論」にどう応じるかを論じた。科学的事実認識のまちがいを指摘しても相手の態度は変わらないことが多いのだ。否定論は各個人の文化的・政治的・宗教的な信念の背景からきていることが多い。科学の論争と政治的あるいは宗教的な論争とを区別すること、科学的知識は暫定的なものだが経験によるテストを経ることで強みをもつのだという認識に基づいて議論を組み立てることを示唆していた。

Oreskes (California大学San Diego、科学史家、もと地質学者)は、このセッションでは、地球温暖化とタバコの発がん性の両方の否定宣伝にかかわった人を典型として、このような「科学否定論」の背景には、個別の産業の利害よりもむしろ、政府の干渉を受けない自由市場が望ましいというイデオロギーがあると論じた。それは第2次大戦前後のHayekやFriedmanの思想にもとづいているようではあるが、たとえばHayekは、科学に積極的だったし、政府が市場に干渉したほうがよい場合(公害対策など)もあると論じていた。冷戦の終わりごろから極端な自由市場主義が台頭した。それは「American way of lifeをまもる」と主張するが、伝統的なアメリカ文化と同じではない。わたしから見ると、この認識はOreskesが例にあげた数人の人物についてはもっともなのだが、Oreskesは議論を否定論者全般に一般化しすぎではないかと思う。

Somerville (Scripps海洋研究所、気象学者、気候変化研究者)は、「科学否定論」(タバコ、AIDS、進化論などを含むが主に温暖化を想定)のうち悪質と思われるものの悪質な点を列挙した。陰謀論(陰謀を考えなくても説明できる現象に陰謀を読みこむ)。その主題の専門家でない人を専門家と見せかける。観測値や研究成果のうち主張につごうのよいものだけを選択的に示す。科学的知見の確かさに対する期待を不可能なほど高く設定する(「ゴールポストを動かす」)。論理的に関係ないことが関係あるように聞こえるように理屈を表現する。

Norgaard (Univ. Oregon)は、ここまでの講演者が述べたのと同類の明示された否定論についても少しふれたのだが、むしろ、心理的現象として多くの人に見られる「問題がないかのようにふるまう」という意味での「否認」について論じた。気候変化は、わかりにくい問題であり、また自分たちが慣れている生活の基盤をゆるがす可能性がある問題なので、多くの人は無意識のうちにそれを無視しようとするのだ。この人にはLiving in Denial (2011, MIT Press)という本があり、社会学の事例研究でノルウェーのいなかを対象としたものだ。わたしは店頭で見たのだが、自分の関心からちょっと遠いので読んでいない。講演を聞いた限りでは、Norgaardの観点はWashington and Cook (2011) Climate Change Denial [読書ノート]のWashington担当部分と似ていると思った。

Goldman (Union of Concerned Scientists)は、科学者による社会運動団体の立場から、地球温暖化否定宣伝にお金を出した会社を特定する調査の結果を示した。民主主義への脅威と位置づけていた。開示の制度の整備を国に要求するとともに、各企業に説明責任を求めていきたいと述べていた。

討論は正直なところよく聞き取れなかったが、たぶんAGUのMcEnteeが、専門間でも用語が違うので、一般の人向けには用語のくふうがもっと必要だと言っていたのは印象に残った。

関連する話題の他のセッションについては別記事([12月14日の記事1][12月15日の記事1])として述べる。