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DJF、JJA

気候学者や気象学者にとって、季節が重要なものごとであることはまちがいない。しかし、いつからいつまでを何という季節と呼ぶべきかとなると、こだわるかこだわらないかの両極端に分かれるようだ。直前の記事で紹介した「日本には6季がある」と主張する人々などはこだわるほうにはいるだろう。ところが、注目する地方や気象要素が違うと、こだわる人どうしの意見が一致しない。むしろ、季節区分にはこだわらず、便宜的な約束として季節を定義して先に進もう、というのが、どちらかといえば多数の学者の態度だと思う。

1年を大きくみると、夏と冬の両極端の状態を認めることができる。その中間の春と秋を含めて4つに分けることもできる。4つの季節の長さが同じである必然性はないのだが、気候データを(グレゴリオ暦の)月ごとに整理する習慣があるので、3か月ごとにまとめて「季節」とするのが便利だ。そして、北半球の陸上の多くの地点では、最低気温は冬至から約1か月遅れた1月に、最高気温は夏至から約1か月遅れた7月に現われるので、その月を中心として、12・1・2月を冬、6・7・8月を夏とすることが多い。残りの時期は、3・4・5月が春、9・10・11月が秋ということになる。

ところが、南半球では、生活実感を反映した春・夏・秋・冬の用語は北半球とは反対の時期をさしている。そこで、南北半球にわたる議論をするときには、季節の名まえではなく、英語の月の名まえの頭文字略語である、DJF, MAM, JJA, SONを使うことが多くなった。

熱帯や海上に注目した場合には、この区切りが適当とは限らない。研究者によっては、JFM, AMJ, JAS, ONDのような区切りで議論している例もある。【しかし、気象力学の理論家のうちには、JAS と JFM を学術雑誌名としてつかいなれていて、それ以外にはつかえない人もいるだろう。】