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「EM (有用微生物群)」と科学教育の問題 (3)

[8月12日の記事][9月26日の記事][10月4日の記事]に続く話題。今回もtwitterでの呼吸発電(breathingpower)さんからの話題をもとに少し調べたことと感想。必ずしも「科学教育」に直接関係するものではないが、問題関心は続いているのでこの表題にした。

== EMは水質浄化に効果があるかを調べた研究報告 ==
岡山県環境保健センターから次の報告が出ている。

OSATOさんが11月8日のブログ記事「埋もれていたEM実験報告−岡山県環境保健センター年報より−」で紹介・論評しておられるので、そちらをごらんいただきたい。

1996年のものは、フラスコ、水槽、用水路、池という違ったスケールで実験をしたことが述べられている。結果はいずれもEMによる水質浄化の明確な効果は認められなかったということだ。それに加えて、水域にEMを投入することは外来生物による生態系への侵略という問題を含むという注意を述べている。

短い報文なので、実験条件の詳しいことがわからないし、「著しい効果は認められなかった」というところで「著しくない効果」ならばあったと認識しているかどうかもわからない、という難点はある。しかしそれでも、水環境を専門の内とする公共的研究機関からこのような報告がされていることの重みはあると思う。

環境によいというふれこみで推進されている活動(商業活動であってもボランティア活動であっても)については、それと独立な立場で、ふれこみどおりの効果があるか、別の意味で環境に有害ではないか、資源のむだづかいではないかといった観点で検討し、その結果を公開するような活動が必要だ。その過程で、ときには手間のかかる実験をする必要が生じることもあるだろう。

問題は、社会としてそういう活動をどう支えるかということだ。いずれかの企業の商品を支持する見こみのある研究ならば、その企業から支援を受けやすいかもしれない。しかし、企業の活動を批判することになる研究の費用をまかなうのはむずかしい。また、科学研究としての研究費を出す公共機関による研究機関や研究者にとしての評価も、新製品の開発につながるものか、純粋科学的に画期的な発見ならば高いが、すでに使われている製品の評価に関するもので、結果も「効果があるかないかはっきりしない」といったものだと、高くならないだろう。アカデミズム科学とも産業化科学とも違ったサービス科学([2011年11月20日の記事]参照)を育てるべきだと思うが、だれがどのように動いたらよいだろうか。

== 大学が主催した高校生「地球環境論文賞」==
中央大学が主催する「高校生地球環境論文賞」というものがある(ウェブサイト http://www.chuo-u.ac.jp/chuo-u/guide_univ/e10_j.html)。趣旨は次のように説明されている(第12回の募集文より)。

中央大学では、高校生のみなさんに地球環境問題を考え、さまざまな角度から問題提起をしてもらうことを目的として論文コンテストを開催いたします。

審査委員長は(第12回の場合)環境経済学者の教授であり、「若干名」の審査委員の名まえは公開されていない。最新の第12回は、受賞者と題名が発表されているが論文そのものはまだ出ていない。過去の回の入賞者について、論文が公開されている。

そういえば、どなたかのブログのコメント欄でレジ袋問題が話題になったとき、この賞の入賞作品も話題になっていたのを思い出した。わたしは自分のブログに2010年2月6日の記事[「レジ袋をごみ袋として使ってはいけない」という規制に賛成はしないが....]を書いたのだが、そこではとりあげなかった。

これは「論文」といっても学術論文ではなくて「論じる文」だ。入学試験でときどき要求される「小論文」には近いかもしれない。多くの高校生がまねをしたくなるものである気はするし、賞を出すほうもそれをねらっているような気がする。

これの第10回(2010年)の最優秀賞が「わが(高校名)(クラブ名)の環境浄化活動の実践について」というもので、その中で複数の活動を紹介しているうち最後の項目が「EM菌を使い環境浄化をすることについて」となっている。川を浄化する目的で、EMの活性液を作り、学校のプールに投入し、プールの水を川に流したというのだ。上に述べた岡山県環境保健センターの報告などを参照すれば、これが環境改善になっているか、疑わしい。しかしこの高校のクラブの指導者はこれが有効だという信念をもって生徒を指導しているにちがいない。

賞を出すにあたっては、もしかすると、主張の内容が科学的にみて適切かどうかよりも、高校生が教科書や学習指導要領の範囲を越えた問題意識をもっているかどうかのほうが重要なのかもしれない。そして、指導者の影響が明らかであっても高校生本人の自発性も認められればよいとしているのだろう。

また、環境というのはとても広い話題なので、論文の内容に科学的な(あるいは倫理的そのほかの)問題があっても、限られた人数での審査の段階では気づかないこともあるかもしれない。

しかし、入賞論文を大学のウェブサイトで公開すると、その内容は、単なる高校生の主張ではなく、大学の知的権威による裏づけのある主張として読まれる可能性もある。そうなってよいかどうか検討し、必要と考えた場合には専門家によるコメントを加えて発表すべきだと思う。専門家の意見が統一されない場合は、統一されないことを伝えればよいと思う。EMの件については、中央大学の内にも、理工学部生命科学科に、環境微生物学を専門とする教授と助教がいる。また大学外の専門家に協力を求めることも可能だと思う。

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[8月12日の記事][9月26日の記事][10月4日の記事][2011年11月20日の記事][2010年2月6日の記事]