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皇族に基本的人権を。あるいは空位の時代へ。

前からときどき考えてきたことではあるが、「政府 女性宮家の論点整理を公表」(10月5日 NHK)の報道を見てまた考えた。

国の制度だから、決めるのは皇族ではなくおそらく立法になるから国会の仕事であり、その原案を行政府が作るのも当然なのだが、当事者である皇族が人であることを忘れて国家機関としての「皇族」を設計しようとしていないだろうか?

そして、皇族の身分と、国民としての権利義務とは両立しないとされているらしい。これは法律解釈として正しいとされているのだろうが、わたしは、日本国憲法の理念に反すると思う。

皇族は、少なくとも外国に行くときには、日本国籍をもつ人とみなされているはずだ。そして、憲法には天皇摂政に関する記述はあるがその他の皇族に関する記述はない。したがって、天皇摂政を別として、皇族を憲法でいう国民に含めない理由はない。

今の制度で皇族が国民に含まれているかどうか、わたしは正確につかんでいない。選挙権に関して「皇族は国民ではあるのだが、選挙法が選挙資格者を住民登録のある人と決めており、住民登録関係の法律が皇族を対象としていないので、実態として皇族は選挙ができない」という趣旨のことを読んだことがあるが(もしそうならば憲法の原則に法律が従っていないのであり立法府の怠慢だと思うが)、それが正しいかどうかも知らない。

ともかく、現状で、皇族が、皇族であることを理由に、憲法で国民に認められた基本的人権が認められないことがかずかずあると思う。

これでは、皇族のなり手が減るのはあたりまえではないか。基本的人権を捨てる人を求めているようなものだから。

ひとつの解は、皇族がだれもいなくなることだ。だれもいなければ、その地位にいる人の基本的人権を心配する必要はない。結果として天皇空位になるだろうが、憲法を変える必要はなく、摂政を置けばよい。摂政の選びかたを決めている皇室典範という法律を国会で改正して、国民のだれかが職務として摂政をつとめることができるようにすればよい。

もうひとつの解は、皇族も国民であることを明確にすることだ。

皇族にも宗教の自由がある。皇族である人に対して、神道の儀式に参加しなければならないなどと、国として言ってはいけないのだ。ただし皇室という家族が、そのメンバーの宗教に関する約束をもつことはあってよいだろう。もし皇室が、皇族であり続けながら別の宗教を信じる権利は認めないというのならば、国としてもそれに従うという判断もありうる。しかしそれならば宗教を優先したい人が皇族を離脱する権利は認めないといけない。(親が皇族を離脱した場合に未成年の子の立場はどうなるかというむずかしい問題は残る。成年に達したとき選べるよう保留にしておくべきだろうか。)

居住、移転、職業選択の自由には、皇族の生活費を国から支出することとの兼ね合いがあるかもしれない。この場合も、居住、移転、職業選択の自由を優先させて皇族を離脱する自由を認めるべきだ。国からの支出は受けないことにすれば皇族の身分を離れなくてすむ場合もあるだろう。

被選挙権については、皇室経費を支給されている皇族について制限するのは妥当だが、支給を辞退した皇族について制限するのは憲法の理念に反すると思う。たとえば参議院議員や皇族の居住地の地方議会議員に皇族がいてもまずいことはないと思う。天皇摂政になる場合は議員を辞職することになるだろうがこれも他の公職の場合と同様だ。

皇族が政治にかかわってはいけないという規範ができてしまった背景は明らかだ。明治憲法(大日本帝国憲法)の定めるところでは天皇が絶対的権力者であり、その権威のもとに人々の人権を制限する政治が行なわれてしまった。日本国憲法の制定は、明治憲法体制の復活を許さないという決意を伴っていた。だから、天皇のまわりに権力が生じることを極力防ぐように、憲法の周辺の制度がつくられていったのだ。それは日本国憲法制定後しばらくはよい政策的判断だったのだと思う。この「しばらく」がどのくらいの時間であるべきかは自明ではないが、65年たった今となっては、制定当時の情勢のもとでの政策判断ではなく、憲法自体が示す人権思想に基づいて考え、憲法の周辺の制度のほうをただしていくべきだと思う。

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[2012-10-06追記] 女性皇族が結婚してからも皇族であるような制度をつくることへのおそれのうち、実質的な意味のあることは、「野心のある男の人が皇族の配偶者という立場を利用して政治的な影響力をもつようになるのはまずい」ということだろう。しかし、その理屈によれば、現在の制度のもとでも、「野心のある女の人が結婚によって皇族に加わることによって政治的な影響力をもつ」ことは原理的に可能であり、対策しなければいけないはずだ。皇族の妻を皇族の妻という立場に押しこめてそれ以外の立場からの発言を抑圧しているから問題が表面化していないにちがいない。もしそれを正当とするならば皇族の夫を皇族の夫という立場に押しこめてそれ以外の立場からの発言を抑圧するという対策もありうるはずだ。しかしそれは人権抑圧だろう。そのことに、男の人がその立場に置かれることを想定してはじめて気づくのは悲しいことだ。

人権抑圧にならないですむひとつの道は、男女平等に結婚したら皇族を離脱する制度にすることだ。抑圧される立場におかれる人がいない状態をもたらすのだ。もうひとつの道は、皇族あるいはその配偶者が兼ねる仕事(学術・芸術やボランティア活動を含む)について、越えてはいけない線の規定を作ったうえで、それを越えない範囲では自発的活動を認めることだろう。ただし、「政治にかかわる発言をしてはいけない」などという漠然とした規定ではまずい。儀礼的にせよ国を代表した発言を期待しながら国の政治にふれるなというのはほとんど無理な注文だ。皇族は、難解な規定の解釈の専門家である官僚に、事実上服従しなければならなくなってしまう。政治に対するどのようなかかわりかたがいけないのかをもう少し明確に述べた、しかし覚えきれないほどややこしくはない規定が必要だ。