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会合のメモをとること

研究発表会・講演会・討論会・座談会などを聞きにいくとき、わたしはメモをとることが多い。

会場にノートパソコンを持ちこんで動作させてさしつかえない限りはパソコン上でエディタを開いて文字を打ちこむ。問題は電源だ。会場で電源をとれれば別だが、そうでないと、わたしの使っているノートパソコンの内蔵電池は4時間ぐらいで切れるので、1日の会合日程がそれより長い場合には残りは手書きになる。文字を書く速さは漢字変換のはいるパソコン日本語入力に負けないけれども、自分でも読めない字を書いてしまうことがある。

ときには会合の記録役を引き受けることもあるし、出席できない人に情報を提供する役を引き受けることもあるが、多くの場合は自分があとで話題を思い起こすためにとる。と言いながら、書いたあとはもう見ない「write-only memorandum」を作ってしまうことも多い。聞くだけでは眠ってしまいそうなときそれを防ぐ効用があることもある。他方、メモをとるという作業に意識が集中してしまって気がついたら会合の内容を覚えていないこともある。

メモをとる作業に専念する場合も、音声処理機械と化しているわけではない。無意識になってしまっているが、話に出てくる用語を自分の知識と照らし合わせて筋のとおる解釈を得るための思考をしている。さらに、聞いた用語そのままで潜在的読者に伝わるかどうかを考えることもある。たとえば気候の話で講演者が「SST[3月29日の記事参照]と言っていたらわたしは(時間が許せば)「海面水温」と書くだろう。しかしそういう翻訳思考に集中すると、講演者が「どこの海面水温が高くなるとどこの雨が多くなる」という構造の話をしているところまでは理解していても、具体的にどこなのか、符号が正なのか負なのかを理解していないことがある。それでもまちがえずにメモをしていればよいのだが、メモを読みかえしてから自分がどこかで聞き取りそこなったか書きまちがえたにちがいないと気づくこともある。講演者の結論を理解することが目的ならば、メモをとることよりもそちらに意識を集中させるべきなのだ。

とは言っても研究発表の結論をとらえるためのメモのとりかたはむずかしい。「結論」の箇条書きが示されると瞬間的に講演時間が終わってしまうことが多い。研究論文に準じた筋だてのある講演ならばかまえることができる。これまで「よいメモをとる方法」を意識したことがないのだが、反省しながら考えてみると次のようになる。「序論」は話題があちこちとぶので、あとで文献など外部情報を確認したいと思ったところについて著者名などの手がかりをメモし、あとはメモをとることよりも論旨を理解することに意識を向ける。「材料と方法」はあとで情報として使うときに不可欠なので要点を書きとる。自分が背景知識を持っている話題と初めての話題では要点の選びかたが違ってくる。「結果」は全部記録するのは無理なので、著者の話しかたからみて「結論」あるいは「今後に残された課題」に採用されると予想される部分を選んでメモする。

研究発表でない講演の場合や討論の場合には定型がないので、要点をうまく抜き出せるかどうかは、メモをとる人の経験とカンによるところが多いと思う。

講演会・討論会をTwitterで「実況中継」する人がいる。自分の感想ばかりのこともあるが、中にはわたしが理想的と思うような講演の要約をしてくれる人もいる。ただしこれはそうとうの労力を使うと思う。わたしが実況中継をするとすれば、会場に来られないだれかが即時に会合の議論を理解することが自分が理解することよりも圧倒的に重要だと思えるときに限られるだろう。