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今年、日本政府がとるべき政策は、脱経済成長への適応の第一歩 (2)

昨日の記事の続き。

電気がたりなくなる心配は、時間について積算した電力量(わたしはSI単位主義者なのでJ(ジュール)単位で示したいのだが世の中ではkWhという単位がよく使われる)の問題と、瞬間的な電力(W(ワット)単位で示される)の問題とがある。

昨日の記事で議論したのは、実質的に、積算の電力量の限界の問題だった。

実際には需要と供給の時間が一致しないという問題もある。その調節は需要の大きい時間に火力発電の出力を(したがって燃料消費も)ふやすことで対応したほうがよいのだが、火力発電を能力いっぱいに使ってしまう場合には、揚水発電による調節(需要の少ない時間帯に火力で揚水する)が(もしその設備があるならば)現実的な対策となるだろう。

世の中でとくに問題になっているのは、供給側がいま述べたようにがんばっても、夏の暑い日の昼間の冷房需要の多いときのピーク需要に追いつかず、突然の停電が起きる心配であるようだ。突然の停電を避けるためには計画的停電が必要になるかもしれない。

しかし、停電が起こる可能性は、供給能力不足以外にも、雷をはじめとしていろいろありうる。

まず、ピーク需要問題といちおう切り離して、「停電で人が死ぬ」ことを防ぐことを考えよう。

病気の人の生命維持のため必要な機器や、交通信号などについては、ローカルな非常電源を用意しておくべきだと思う。病院でなく自宅などにいる個人が機器を必要とする場合の対策はむずかしい。そういう人がどこにいるかをつかむことができるのは地方自治体に限られるし、自治体の対応能力も限られるだろう。計画的な停電ならば、あらかじめ非常電源のある施設に移動してもらうほうがよいことが多いと思う。

停電が夏の暑い日に起こる場合は、冷房が止まると生命の危険のある人への配慮も必要だろう。本筋は冷房需要を減らす方向の建築の改良だと思うがこれはやや長期的な問題であり、短期的にはあらかじめ温度が適切な範囲にある場所に移動してもらうのがよいのだろう。

ピーク需要を減らす方法には、電力需要を減らすことと、消費の時間をずらすことがある。

実際、夏の暑い日の昼間に需要が多くなるのならば、その日時に限って経済活動を低下させることによって電力需要を減らすのも、現実的な社会の適応の形だと思う。

冷凍庫・冷蔵庫のたぐいは、たとえば2時間くらい電力を止めても内容物の温度を許容範囲に保てることが多いそうだ。ただし、その期間に戸をあけてはいけない。これは、経済活動を少し低下させることで電力需要を減らすことと、電力を使う冷却の実行を他の時間にシフトすることとの組み合わせによる対策ということになるだろう。

「暑い日の昼に高校野球の試合のテレビ中継があると電力消費が多くなる」という人がいる。わたしはこの因果関係論はあやしいと思うが、もしテレビ中継があると実際に家庭やオフィスの冷房需要がふえるのであれば、それを減らす対策は考えられる。ふつうのテレビで中継せず特定の場所でだけ見られるようにしてそこに人を集めるという提案をする人もいるが、むしろ野球の試合自体の日時をずらしたほうがよいのではないだろうか。

ただし、この話をきっかけに、人々が少人数ずつ室内にいてそれぞれ冷房を求めるので電力需要が大きくなるという構造があることに気づく。今すぐ具体的に述べられないが、この構造を変えるくふうはあるかもしれない。