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元御用学者は匿名で発言してはいけないのか

またしても、わたしとしてはぜひいっしょに議論してほしいと思う二つのグループ【と仮に書いたがどちらもメンバーが明確な組織ではない】の人々が、おもにtwitter上で、相互不信を強めてしまったようだ。背景には[1月1日の記事]にも書いた、放射能の問題、とくに低線量ひばくの害をどのくらい重大にとらえるかがある。しかし、その文脈に限らず、[伊藤憲二さんの1月17日の記事]でいう「技術的合理性」と「文化的合理性」のどちらを重視するかがからんだ問題だと思う。さらに、「文化的」のうちどんな文化を重視するかもあるようだ。【なお、伊藤さんが紹介している本はわたしも読むべきだと思ったのだが、まだ読む時間がとれていない。】

ここではわざと、いくらか抽象化して論じてみる。もしかすると、きっかけとなった人物には正確にはあてはまらない記述をしてしまうかもしれない。特定の人を評価したいのではなく、問題の構造を論じたいのだということをわかっていただきたい。

P氏がネット上で匿名(本名を連想させないハンドル名)で発言を続けている。

その内容からQ氏がP氏の本名、勤務先、経歴などを推測してその情報を公開の場に書いた。

これだけならば問題ではない。P氏はネット上で本名や勤務先を具体的には書かなかったけれども、出席した会合のあった場所や会った相手の名まえを書くこともあったし、ある専門分野の知識があることも示されたので、人物を推測することはその気になればむずかしくなかったと思う。P氏自身も「本名を積極的に隠したわけではない」と言っているがそのとおりだろう。

他方、P氏の言い分によれば、Q氏の言動は、ネットの外でP氏を脅迫することに及んだそうだ。ネット上でのQ氏の発言からみて、Q氏の名をかたった別人のしわざとは考えにくい。【[2012-03-22補足] 「Q氏の名をかたった別人のしわざ」であるとすることは、一種の陰謀論だが、ありえないとは言えない。その別人の意図はたぶんP氏とQ氏の両方に打撃を与えることなのだろう。P氏の自分が脅迫されたという発言がウソだったとすることも、また一種の陰謀論だが、ありえないとは言えない。しかし陰謀を仮定するよりも、実際にQ氏が「P氏が脅迫と感じるようなこと」をしたという推測のほうが無理が少ないと思うので、ここでは陰謀を仮定しないでおく。】

もしQ氏のしたことが実際に脅迫ならば、Q氏の行動は社会的に支持できない。この現実の事件に関する議論は、P氏に対する評価とQ氏に対する評価がからんで複雑になってしまっている。しかし、わたしがここで論じたいことはそれではない。Q氏は別枠として、P氏についてネット上で批判した人々の議論について論じたい[この段落2012-03-22部分改訂]。

明らかになったP氏の経歴は、いわば「御用学者」とみなされうるものを含んでいた。(ただし、明らかに権力者ではなく、いわば小者であった。) 【[2012-03-22補足] この形容は、P氏に対応する現実の人物に対して不当なものになってしまったかもしれない。P氏の事件特有のことに深入りせず、ネット上で起きたし今後も起きうる問題の構造を論じたかったため、難点があることを承知で「御用学者」という表現を持ちこんだものである。】

そこで、ネット上で、P氏が匿名で発言したことを非難する発言が続出した。(その意図はたぶん第三者に対して「P氏は信頼できない」という発言者の見解を伝えるものだっただろう。形式的にはP氏に直接向けられることもあったが、それに対してP氏がどう応答しても批判者を満足させることはできないにちがいないので、P氏には単に強烈なストレスがたまったにちがいない。批判者のうちには、P氏が苦しむことを望んでいた人と望んでいなかった人が混じっていたと思う。) 他方、その非難は不当だとしてP氏を弁護する発言も続出した。

ただし、P氏への非難はひととおりではない。それを区別しておかないといけないと思う。【第2、第3の種類の批判には助言的な態度のものもあった。ただしここではわたしが非難ととらえたものをおもに問題にする。】

第1に、いわばP氏は「公儀隠密」だという説がある。P氏は個人のつぶやきをよそおって体制のプロパガンダを広めていたのだろうという推測だ。数か月前からネット上でP氏と内容のある会話をしてきた人の多くは、P氏の発言はプロパガンダではないと言う。わたしがP氏の発言を読んだ印象でもプロパガンダだとは考えにくい。しかし、そういう印象を与えることまで含めた巧妙な工作だということは考えられなくはない。陰謀論なのだが、陰謀が実在することを否定するのはむずかしい。P氏は工作員だと疑う人とP氏の発言をすなおに受け取る人との間では相互不信が高まるだけで、解決の見通しはない。

なお、巧妙な陰謀を仮定するならば、ネット上のP氏と実在の人物とが対応するように見えることも隠密工作だ、という可能性もありうる。(そういう可能性もありうると発言した人もすでにいる。) しかし、この事例の場合、実在の人物と会った人の発言を信頼するとすれば(その人は工作員ではなく工作にだまされているわけでもないとすれば)、この対応は確からしい。

第2に、P氏がまったく自発的に発言しているとしても、P氏の発想には「御用学者」的バイアスがあるのではないか、という疑いがある。P氏の経歴を知ったあとでそういう疑いを示す人がいるのは当然だろう。(ただしその疑いに対応する事実があることが確かめられたわけではないようだ。) そこで、P氏が経歴などを明示しないでネット上で発言したのは、経歴に伴うバイアスがないかのように読者に誤解させるので、不誠実だ、という批判がある。

第3に、P氏は今では「御用学者」的バイアスをなくすように自覚的に心がけているとしよう。それならば、P氏が過去の自分の仕事に対する批判を明示するべきであって、それをせずに「御用」とは無縁の人であるかのようにふるまうのは不誠実だ、という批判がある。

第2、第3の批判は、批判者の立場に立ってみればもっともなようにも思われる。ただし、P氏がどのようにふるまえば批判者が「誠実だ」とみなすことになるかはよくわからない。第2の批判の場合は、P氏の経歴が公知の事実になってしまった以後は読者が誤解する可能性は小さくなったので、過去はともかく将来に向けてはこのままでよい、というのが合理的態度だと思う。(批判者のうちにはそういう意味のことを述べた人もいる。) しかし現実の批判者のうちには、P氏が何をしようが非難しつづける(合理的というよりも情念でものを言う)人も含まれているのではないだろうか。

なお、体制の御用のほかに、反体制運動の御用もあると思う。権力が非対称だから、同じ重みで扱うのが正しいとは限らないが、科学的認識を述べた発言に見えるものに反体制プロパガンダが混ざるのならばそれも明示するべきだ。

【これも分けて扱ったほうがよいと思うのだが、現実のこの事件にはもう一つややこしい要因がある。P氏は多くの人が「かわいい」と感じるキャラクターを使っていた。他方(P氏の著作でないようだが)P氏が過去にかかわった「御用」の公開文書の中に、PRのために親しみやすいキャラクターを使うのがよい、という趣旨の記述があるそうだ。P氏が今もプロパガンダに従事していると疑う人にとってはつじつまが合う要因になっている。ただし、考えてみれば、プロパガンダが親しみやすいキャラクターを使うとしても、親しみやすいキャラクターを使うメッセージがすべてプロパガンダだというわけではない。】

「御用」を(悪いことはしないつもりで)引き受ける可能性があり、個人として発言もしたい人(であるわたし)にとって、出口のない迷宮だ。