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原子力規制庁の発足はまず制度設計をよく考えて

2011年8月20日の記事「原子力安全庁に暖かい応援を」を書いたときには、日本の原子力の安全確保に関する行政体制は「原子力安全庁」となることが決まったと思っていた。ところが1月下旬、民主党が名まえを「原子力規制庁」とすることにした、という報道があった。理由は想像できるが、それでよいのだろうかと疑問を持った。しかし1月31日の閣議で行政府としては本決まりになり、あとは国会の判断をまつこととなった。(新聞かテレビで知ったのだが、日本の新聞社やテレビ局のニュースの無料ウェブページは長続きしないので、ここではJST(科学技術振興機構)が提供する「サイエンスポータル」の記事 http://scienceportal.jp/news/daily/1202/1202011.html http://scienceportal.jst.go.jp/news/newsflash_review/newsflash/2012/02/20120201_03.html【 2012年2月1日 原子力安全確保法案提出 原子力規制庁長官は民間から 】をあげておく。) これについて意見を書こうと思った。

- 国会の委員会の検討を待つべきか? -
ところがそこに、国会の事故調査委員会が、国会と内閣に対して、この委員会が制度のありかたを検討しているのだから、組織改変はそれを待てという主張をした。「サイエンスポータル」のhttp://scienceportal.jp/news/daily/1202/1202023.html http://scienceportal.jst.go.jp/news/newsflash_review/newsflash/2012/02/20120202_01.html【 2012年2月2日 黒川清・国会事故調委員長が政府、国会あて抗議声明 】を参照しておく。

これは判断がとてもむずかしい問題だと思う。

ここで想定されている役所の組織改革には、立法、つまり国会による判断が必要だ。国会が調査したうえで立案するべきだというのはもっともだ。

しかし、これまでの体制が明らかにまずいので、一刻も早く変えたいというのももっともだ。

まず変えて、国会の調査が終わったらそれを踏まえてまた変えればよいという考えもあるだろう。しかし、組織改変にはコストがかかる。役所の引っ越しをすればもちろんのこと、それをしなくても、看板や文書の役所名の書きかえや、業務命令の流れの変更を職員が覚えるまでの手間だけでも大きい。ひとつの理由による組織がえを、何度にもわたってするのは、公務員にとってだけでなく国民にとって損失になる。

ひとまずなるべく単純な改組をして、あとで整えるという形が可能だろうか。たとえば、原子力安全保安院を、中の構造を変えず、建物も経産省内のままで、環境大臣の下に移す、ということをやってしまい、国会の委員会の報告が出てから中の構造を整備する、という形はありうるだろうと、いったん思った。しかし、保安院には高圧ガス安全の部署もある。これは原子力とは直接関係ないので、経産省に残るのが適当だろう。保安院全体をいったん環境省に移して、あとで高圧ガス関係だけもどす、というのもむだの多い方法だ。移る部署と残る部署を分割するのならば、どういう形に落ち着くのかが定まってからまとめてするべきだろう。(まさか、省をまたがる組織改変をしにくくするために、あらかじめわざと高圧ガスの部署を含む構造にしておいたのではないと思うが。)

二段階にするのが現実的でないとし、事故調査委員会の調査に時間がかかるならば、改組はだいぶ先になり、それまでは、信頼をなくした従来の体制をなんとか使い続けなければならない。

ここでどうするかは国会の決断にかかっている。事故調査委員会に、いつまでに制度のありかたに関する答申を出せるかをきかなければならない。それをもっと急げるか相談することはできるけれども、急いだら検討が甘くなることは覚悟しなければならない。そして、国会本体として、事故調査委員会の答申を待つか、待たずに組織改変をしてしまうかを決断するべきだろう。

国会では、政党間の対立のために、国の政策にとってはささいな論点だけで何十日も時間を使い、重要な政策に関する議論は全然進まないことがよく起こる。もはやどの政党もこれまでの体制のままでよいとは思っていないにもかかわらず、政党の意志がばらばらなためにこれまでの体制が続く、というのは愚かなことだ。たとえ他の政策に関しては決定的に対立していても、意志を統一できる政策については統一して早く実行に進んでほしい。事故調査委員会の答申を待つと決めたのならば、答申がされしだい実質審議にはいってほしい。

- 「規制庁」という名まえにとらわれすぎないでほしい -
あとさきが逆になるが、「規制庁」という名まえになったことについて思ったこと。この名まえは、規制行政と推進行政の独立という主張から来ていると思う。それ自体はもっともだ。

【規制行政と推進行政を制度上独立にしなければならないというのは自明ではないと思う。たとえば「漁業についての行政を漁業振興庁と漁業規制庁に分けて別の大臣のもとに置くべきだ」と主張することもできる。これは一面ではもっともだ。反面、役所がふえることの長期的コストおよび組織改変の過渡的コストを上回るメリットがあるかどうか疑わしい。原子力は、あまりに強く国策とされたので、今になって特別に独立性が求められているのだ。】

しかし、仮称「原子力安全庁」に期待されていた機能は、規制ということばがふさわしいものばかりではない。このことはきょうの記事の最初にリンクを示した昨年8月20日の記事にも書いたし、政府事故調査委員会の中間報告を受けた2012年1月4日の記事「SPEEDIが活用されなかった原因、そして今後の原子力防災と規制行政の関係は?」にも書いた。

防災行政のうち、事故が起きないようにする事前のそなえができているか確認することは、規制行政のうちとも言える。しかし、もし事故が起きた場合には、市民および行政への情報伝達と、行政の意思決定の支援も、重要な役割となる。それは規制行政ではない。非常時には、発電所などの事業者に対しては、情報隠しを許さないという意味では規制的に働くこともあるだろうが、むしろ、住民の安全確保のためにいっしょに働くことが多くなる。また、平常時にも、あらかじめ人々に非常用の情報伝達機能を知っておいてもらうための仕事がある。

このような業務内容には「安全庁」のほうがふさわしい名まえだとわたしは思う。しかし、規制の業務も確かにある。一般に、組織の名まえをそのすべての業務を代表するものにすることはなかなかできず、できても長いものになってしまう。そのことを承知で、名まえがうまく代表しない重要な業務内容もあるのだという認識ならば、名まえは「規制庁」でもかまわないと思う。しかし、名まえが重視されすぎて、この役所のすべての機能は規制機能に従属するものだと考えられると困る。

- 規制をゆるくしてほしいわけではない -

なお、産経新聞http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120202/plc12020203310006-n1.htm「【主張】原子力規制 やはり「安全庁」が適切だ (2012.2.2)」という論説があった。題名だけ見るとわたしの言っていることに近いようだが、中の論調は、規制をあまりきびしくするなというものだと思われるので、わたしは賛同しない。

ただし、「すべての原発の寿命を一律に40年とする科学的根拠はない。」というのは正論だ。もはや新しい発電用原子炉を作らないと決めるならば(わたし個人としてはそれがよいと思うが)、既存の原子炉の寿命を40年とするのももっともだと思う。しかし、これから新しい原子炉を作るならば、資源節約の観点から、なるべく長もちするような設計を勧めるべきであり、設計寿命は法律で一律に決めるのでなく技術評価によって決めるべきだ。

原子力利用を続けることを前提とすれば、技術的安全性の追求は必要だ。その技術開発は基本的に事業者あるいはメーカーの仕事であり、その監督官庁はこれまでどおり事業の主務官庁である経済産業省(ただし研究炉については文部科学省)となる。その技術が安全性基準を満たしていることを確認する規制業務と、耐用年数などの規制ルールがもし不合理になったら改訂することが、「規制庁」(あるいは安全庁)の仕事となる。

- 廃炉・廃棄物行政はどこでやるのか? -

廃炉や廃棄物に関する行政を、原子力委員会経産省のラインと、規制庁との間で、どう切り分けるかという問題も、まだよく検討されていないと思う。今の案では単純にこれまで保安院が担当していた業務が規制庁に移ると考えているのだろう。わたしなりに考えてみると、廃物の対策は事業者の責任であり、その主務官庁と規制官庁の両方がそれぞれの立場から監督することになるのだろう。しかし、事業者が消滅してしまった場合や、もともと国の事業の場合は、国が責任をもたなければならない。その担当は環境省がふさわしいと思う。一般の廃棄物に関する行政も旧厚生省から引き継いで環境省の業務になっているからだ。その機能も「原子力安全庁」ならば含まれてよさそうだが「規制庁」には含めるには無理があるような気がする。ただしこれも名札の問題にすぎず、原子力規制庁の業務に含めると国会が決めればそれでもよいのだ。

もし原子力発電を全部やめるならば、規制庁を独立させる必要はなくなる。原子力行政をすべて規制庁のもとにまとめればよいだろう。