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高速増殖炉をやめないとしても「もんじゅ」をやめるべきだろう

わたしは、核エネルギーの利用を絶対してはいけないとは思っていない。しかし、その具体的な技術体系について、操業中と操業終了後の廃物管理とにわたって安全が確保できるという見通しがあって初めて実用設備の設計にかかれるのだと思う。この観点で、軽水炉も、まだ実用技術と言えるかどうかあやしい。そして、「もんじゅ」型の高速増殖炉は明らかにまだ実用技術になっていない。

まず、核燃料の冷却は液体の単体ナトリウムによるが、発電は水の蒸気機関によることになっている。ということは、ナトリウムから水へ熱が伝達されなければならず、ナトリウムと水とがおそらく薄い金属の管の壁だけをへだててすぐ近くを流れるしくみになっているはずだ。ナトリウムと水とが接触すれば激しく反応することは、今でも中学の教材にあるかどうかは知らないが、高校で化学を学んだ人ならばだれでも知っているだろう。そういう危険が常にある装置を使うことは、実験室で、実験目的をよく意識している人自身が操作するならば許せると思うが、大型の発電所で長期にわたって(研究者ではない電力会社職員によって)連続運転できると期待するのは無理がある。事故がおきたら、装置を作る決定をした人の責任は過失というよりも未必の故意と言えるのではないだろうか。「もんじゅ」までこれでよいとされていたのは、先端技術を担っているという誇りに酔っていたのだろう。酔いはさまさなければならない。

また、増殖炉の特徴は、反応とともに核分裂を起こしうる種類の原子核がふえることだが、燃料棒という形をとっている限りでは、核分裂性核の濃度を核反応を続けるのに適した範囲に保つのがむずかしく、とかして組成を調整する再処理がたびたび必要となると聞く。再処理の過程では、放射性も化学的性質もさまざまな多数の元素が、酸にとかされた状態などの動きやすい形にあるので、扱いに注意が必要だ。これが確実にできる見通しがあって初めて、燃料棒を使う方式の高速増殖炉の実用に向けた原型が設計できることになる。

とくに、使用済み燃料には、放射性のキセノン、クリプトンなどの希ガスが含まれるはずだが、再処理の過程ではこれらを確実につかまえて管理することができるのだろうか。もしこれらが大気中に放出されることが避けられないとすれば、そのことを明示して社会的合意が得られることが、再処理が実用技術となることの前提となる。

このように考えると、もし増殖炉という技術に将来があるとしても、「もんじゅ」の運転を再開するようにがんばるのは袋小路にすぎず、そこに国家予算をつけるべきではないと思う。

ただし、「もんじゅ」の予算を打ち切って研究組織を突然解散させるべきではないと思う。これまで働いてきた人にもう1年残ってもらって、失敗を含めて経験をしっかり記録してもらいたいと思う。そして、残された廃墟の管理の手間を最小にするように、しっかりかたづけをしてもらいたいと思う。

増殖炉の技術をもちたいのならば、どんな核反応が利用できるかから考えなおし、資源取得可能性と副産物まで含めた安全性を考慮してしぼりこんで、有力な反応について小規模な実験をするべきだろう。専門的技術についてはわたしは充分な知識がないが、知識の範囲で言えば、熔融塩炉の実用化可能性をテストするべきだろうと思う。

また、プルトニウムをはじめとする核分裂性核種を安全に消滅させる技術は、いずれにしてもほしいのだが、とくに高速増殖炉の技術をもちたいのならば、あわせてこれをもつことは必須と言えると思う。

ただし、これはわかった原理による技術開発ではなく、未知の要素の多い科学技術研究になる。たとえ重点的予算をつけて努力しても、必ず成功するとは限らない。うまくいかない場合は、どこかで路線変更することが必要だ。また、エネルギー政策の側では、これが成功することをあてにせずに基本的政策をたて、成功した場合にはどう変更するかをオプションとして考えるべきだ。