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地球環境・人間社会システムでは微分量よりも集積量が基本だろう

地球環境と人間社会はそれぞれシステムをなしていてその間に相互作用があると考えることができる。人間活動の規模が小さかったころは、作用は地球環境が人間社会を制約する一方だと考えることができた。しかし産業革命以後は、人間社会が与える影響によって地球環境が変化し、その変化が人間社会の制約条件を変えることが無視できなくなった。

さて、システムということばは、文脈によってさまざまな意味で使われる。人間社会と相互作用する地球環境システムは、物質・エネルギー循環システムと、フィードバック制御システムの2つの特徴を同時にそなえている。物質・エネルギー循環システムでは、保存則という形の基本的な物理法則に従う質量とエネルギーという状態量が重要な役割を果たしている。フィードバック制御システムでは、システム内の状態量の変化が相互に影響を及ぼしあう。両者の立場で重要になる状態量は(すべてではないが)重なっている。

そして、地球環境システムあるいはそれを構成する部分システムは、準定常的システムとみなせることが多い。システム内の状態量は時間とともに変化しうるのだが、それを時間的にならしてみると、実際の変化は可能な変化に比べてだいぶゆっくりしている。システム外との境界条件がゆっくり変われば、システムの状態もゆっくり変化していく。準定常性が生じる背景として、ひとつには、保存則によって変わりえない量が含まれていること、もうひとつには、状態量相互のフィードバックのうちに、変化を抑制しあう負のフィードバックが含まれていることが重要だと思う。

ただし、議論を進めようとすると、物質・エネルギー循環システムとして見る場合と、フィードバック制御システムとして見る場合では、注目する変数が違ってくる。フィードバック制御は、集積した質量やエネルギーではなく、それの微小変化に注目して、そのような量どうしの相互関係として表現したほうが解析しやすいことが多いのだ。微小変化の扱いには、たとえば次のような種類のものがある。すべてが数学でいう微分に対応するわけではないが、ここでは概念的に「微分的な量」という表現でまとめておく。

  • 時間微分、変化率(rate)。量の単位時間あたりの変化。
  • 相対変化率。変化率の、現在の量の値に対する割合。「成長率」は多くの場合これ。
  • 変化が許された現実の状態の定常状態からの差、偏差(anomaly)、摂動(perturbation)。(これは現実の状態が定常状態に近ければ微小量だ。数学的意味での微分ではない。)
  • 構成要素の数量が単位量だけ変化したとき状態量がどれだけずれるか。化学でいう「化学ポテンシャル」や、経済学でいう「限界(marginal)なになに」など。

ニュートンライプニッツ以後(むしろ両者の発想を統合したオイラーラグランジュ以後というべきかもしれないが)、微分的な量を論理的な筋道をたてて扱う数学が発達してきた。地球環境や人間社会システムのふるまいを科学的に理解しようとする活動のうちでも、微分的な量の間の相互作用を理論的に考えることがよく進んできた。集積した総量については、数値を示す記述的な仕事は進んだものの、理屈はあまり発達してこなかったのかもしれない。

とくに経済学が、数学的方法は物理学と共有したが、質量やエネルギーなどの物理量への関心をなくしてしまった。貨幣の量は、物理法則に従う量ではないが、発生させることのできる権力が限定されるため、物理的保存量に似た性質を示す。しかしそれに関しても、微分的な量の相互作用に関する理屈ばかりが進み、それを根拠とした政策ばかりが提唱されるようになり、集積した総量に関しては、経済活動の結果として数値がどうなったかを確認することしかしなくなってしまったのではないか。

そして、20世紀以来、戦争状態を例外として、ほとんどの国の政治が経済的繁栄を最重点目標としてきた。これ自体も考えなおす必要があるがひとまず認めるとしても、経済に関する目標設定が微分的な量を指標としたものであることが、貨幣量にせよ物理量にせよ総量の制約がきいてくるような現実の問題をますますこじらせてしまっているのではないだろうか。