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マイクロソフトの牢獄にて

わたしが4月から勤めることになったオフィスには、職員ひとりひとりの机にパソコンが備えつけられている。大きなディスプレイが二面あるのはありがたい。しかし、そのOS (オペレーティングシステム)がMicrosoft Windowsだ。そのうちでは慣れているXPであることが、まだしものなぐさめではあるが.... そして、わたしはそのマシンの管理者ではない。

わたしは常用のノートパソコンにLinuxを入れて使っているのだが(中古でOSのないぶん安く買ったものだ)、この職場には、個人のパソコンをネットワークにつないではいけないという規制がある。同じ職場に企業秘密にかかわる情報を扱う人がいることはありそうなので、規制はもっともなのかもしれない。

電波が遮断されているわけではないので、個人のパソコンを携帯電話の電波を使って職場のネットワークとは関係なくインターネットにつなぐことはできる。しかしその機能を使うためにWindowsがはいったパソコンが必要になった。Linuxも入れて、そこからWindows側にある通信機能を呼び出せるようにするといったハッキング(犯罪行為ではなく実験的プログラミングをさす)をするほどの気力はない。

まだ「結局」というのには早いが、今のところ、わたしは勤務時間中、これまで15年ほどかけて習得してきた(インターネットに接続された) Linux環境のノウハウを使うことができない。1980年代には確かに先進的計算機ユーザーであり(計算機に読ませたデータ量が当時としては大量だったというくらいのことだが)、1990年代には大学で情報基礎の授業を担当したわたしが、とうとう「コンピューターが苦手な人」になってしまった。

1980年代、わたしは数値計算をいわゆるメインフレーム機で、ワープロ仕事をMS-DOSパソコンでして、Unix (BSD系)に少しさわっていた。1990年代には、転勤先のメインフレーム機のOSが慣れたものと違っていたのを機会に、数値計算をUnix上に移した。パソコンではOS/2を少し試したが、Windowsが「95」になってDOS上のノウハウが通用しなくなったのを機会に、パソコンにもUnix系OSを入れてみることにした。それがたまたまLinuxだったがとくに不自由しなかったのでBSD系を試すことなく今に至っている。

文書処理はなるべくテキストファイルでやろうとしてきた。エディタは、DOS時代にはWordStar型キー操作(Turbo Pascalのエディタや、Vzのwsオプション)の熟練者だったのだが、Unix系OSでの作業のしかたを教える立場でviかemacsを使う必要があったのでemacsを使い始めたら無意識にそのキー操作をするようになってしまい、GNU emacsで重すぎるときもキー操作がemacs型のエディタを使うようになった。清書には、わけのわからないエラーメッセージを出すので腹がたつことも多いのだが他によいものが見あたらず、LaTeXを使っていた。テキストエディタでHTMLを書くのに慣れたので、HTMLからLaTeXに変換するフリーソフトウェアを使ったこともある。プレゼンテーションにはMagicPointを使った。研究職になっても実質的に個人研究型のあいだは、このような主義をとおすことができた。

しかし、実質的なプロジェクト研究のメンバーになると、同じファイルに複数の人が書きこんで文書を作らなければならないことが多くなるし、プロジェクト主催者から、定期的にも、突発的にも、決められた書式ファイルを埋める形で報告することを求められることが多くなった。その書式ファイルはたいていMicrosoft社のWordとExcelのファイルだった。また、プレゼンテーションをする場合、プロジェクターに自分のパソコンをつなげられるならばよいのだが、主催者の用意したパソコンを使わなければならず、そこにはPowerPointしか用意されていないこともあった。(このごろはPDF形式のためにAdobe Readerも用意してくれることが多くなったが。) Linux上でも、OpenOfficeは動く。これの使い勝手はMicrosoft Office (1997および2003年バージョン)と似ていて、だから使う人もいるのだろうが、わたしにとってはMicrosoft流に屈服した気分だ。しかも、英語圏の書式はたいてい大まかなのでOpenOfficeで作ったものでもじゅうぶん満たせるのだが、日本語圏の書式はとても細かくて、OpenOfficeで修正するとページ数が変わってしまったり箇条書きが崩れてしまったりする。書類提出前には苦手なWindowsマシンに移って微調整する必要があった。

こんなわけで、わたしはWindowsとMicrosoft Officeを使えないわけではない。ただ、それがわたしにとっては苦行なのだ。

こんなオフィスに長居は無用。決められた勤務時間が終わったら、人との打ち合わせ中でない限り、オフィスを離れることにしよう。