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「地球温暖化による地球規模の大干ばつがもたらす食料危機」Yes and No

地球環境問題については、正確さを保って短く要約することがむずかしいことがらが多い。新聞の見出し、Googleなどの検索に出てくる各ウェブサイトの表題・内容断片、Twitterなど、字数制限のきびしいところに要約された表現は、どうしても正確さに欠けるところがある。ご自分の議論の根拠として使いたい題材については、せめて400字(英語ならば200 words)くらい以上の長さの文章を複数読んでから選んで使っていただきたいと思う。

その例として、TPP (環太平洋戦略的経済連携協定)と温暖化問題とを関連づけた議論を検索していて見つけた「温暖化大干ばつで日本飢餓」という新聞の見出し(『赤旗』、2010年11月6日 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-11-06/2010110601_01_1.html )がある。わたしはその記事(その新聞の記事全般という意味ではない)の主張に基本的に賛成なのだが、その記事の表現をすなおに解釈するとまちがった事実認識に基づく主張になってしまうと思った。じゅうぶんな字数のことばを補う必要があるのだ。

見出しはあまりに省略されているので、本文中にある「地球温暖化による地球規模の大干ばつがもたらす食料危機」という表現をとりあげたい。

ひとまず、地球温暖化が起こることは認めるとしておきたい。どれだけ激しい温暖化が起きるかは、これから人間社会がどれだけ化石燃料を使うかによっても違ってくるのだが。

「地球温暖化による地球規模の大干ばつ」という短い表現は、すなおに読めば「地球温暖化によって地球のあらゆるところで干ばつが起こる」という意味にとれるかもしれない。(しかも干ばつが毎年続くと感じられるかもしれない。) しかし、気候の科学を知っている人から見れば、そういう解釈は、まちがいなのだ。この短い表現は、字数を少なくしてほしいという要請のために正確さを犠牲にした表現なのだ。どうか、科学者が温暖化の危険を誇張する意図をもってこんな表現を使っていると勝手に推測しないでほしい。

気候が温暖化すれば、地球全体としては降水量はふえる。しかし蒸発量もふえる。降水量と蒸発量の差が地表面に残る水だとすれば、それは場所によってふえるところもあれば減るところもある。また、気候の変化は温暖化だけではなく年々変動が重なっている。「干ばつ」にはいろいろな定義がありうるが、農業などの人間活動に必要な水が不足することをさすのが妥当だろう。これは気候だけでなく農業の側の条件にもよるが、たとえば、今でも何年かに一度は干ばつが起きるところで、降水量から蒸発量をひいた量の30年平均値が減るほうに変化するとすれば、そこでは干ばつの頻度がふえる可能性が高いだろう。

地球温暖化に伴って、大雨の降水量は、平均の降水量よりも激しくふえると予測されている。したがって、大雨以外のとき・ところでは、降水量は蒸発量ほどふえないことが予想される。だから、干ばつがふえるところが干ばつが減るところよりも多いだろうと予想されるのだ。具体的には、地中海・黒海周辺、北アメリカ西部の内陸部、オーストラリアの南部や内陸部などで干ばつがふえそうだ。世界の小麦や飼料作物の主産地であるこれらの地域が同時に干ばつになるかどうかはわからないが、もし同時に干ばつになるとすれば、世界の小麦や畜産物の生産が減るにちがいないので、「地球規模の大干ばつ」という表現をしてもおかしくないだろう。地球温暖化に伴ってそういうことが必ず起こると言っているわけではないが、起こる確率が高まると予想されるのだ。

「干ばつ」はすでに食料生産が減ることを想定した用語だが、食料生産を減らす要因はもちろん干ばつだけではない。逆に降水が多いことによって地表面(川を含む)に残る水が多いことも、それが人間社会にとって望ましい量以上に多い状態つまり洪水になれば、食料生産を減らすように働くだろう。また、温暖化に伴って海水の熱膨張と雪氷の融解によって海面が平均的に上昇することも、海岸付近の農地の水没や地下水の塩分増加によって食料生産を減らすように働くだろう。東南アジアをはじめとする世界の米作地帯の場合、温暖化は、おもに洪水と海面上昇によって、食料生産に影響を及ぼすだろう。

地球温暖化に伴う各地域の気候変化のうちには、食料生産の潜在能力をふやすように働くものもあるだろう。しかし、実際の食料生産をふやせるためには、気候変化に適応する技術や社会変革も必要となる。各地でそれぞれ適応に取り組むべきだが、世界全体で生産能力が潜在能力に見合ったものになるという前提で考えていたのではあやうい。

食料生産が減ったとしても、「食料危機」になるかどうか、「飢餓」が生じるかどうかは、備蓄や融通などの社会の構えにもよる。社会としては、干ばつや洪水や海面上昇の確率的見通しを持って、食料生産が減っても食料危機にならないような備えを考えておくべきだろう。

日本は、たとえ干ばつになっても収量がゼロまで落ちる心配はないめぐまれた気候をもっている。日本の食料生産能力を維持しておくことは、世界規模の食料危機が生じたとき日本人が飢餓におちいらないための予防策であるだけでなく、世界人類の食料危機への抵抗力を高めるという意味で世界に対する日本の義務とさえ言えるのではないかと思う。農産物を作っても円が高く日本の所得水準が高いために売れないならば、非常時に生産を再開できるように地力を維持しておくだけでもよい。その場合は公共部門で支えるしかないのではないだろうか。ただしそのためには税収が必要で、それをどこからとるか。日本資本が外国に蓄積している資産から得る利益に課税するか、自国の地力をそこなって輸出されてくる農産物にナチュラル・ダンピング関税をかけるか?