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IPCCの将来に関する個人的考え(その1) 巨視的な小さな国際組織

IPCCのありかたに関して、残念なまちがいがいくつか見つかったことをきっかけとして、いろいろな議論がされている。

わたしはこの機会に、1月に書いた[気候変動適応策について、まず総論的に考えてみた。][気候変化への人間活動の影響は温室効果気体排出だけではない]の議論に続けて考えたことを書いてみることにする。(実践の裏づけのない頭の中の論にすぎないのが恥ずかしいが、たぶん世の中にはこんなことを考える人も必要なのだろうとも思う。まだ論点整理や文章表現に不満があるので、大幅に書きなおすかもしれない。)

IPCCは2013〜2014年に第5次報告書を出すことに向けてすでに動き出している。それに合わせて各国の研究計画がいろいろ動いている。その勢いをそぐのは得策ではないと思う。ただし、IPCC自体の仕事の質が落ちないように、また各国でIPCC対応に科学者を動員しすぎてその他の科学を抑制しないように、業務の幅を広げてほしいという要請に安易に従わず、不得意な仕事に手を広げるのは拒否したほうがよいと思う。

なお、第5次報告書を出したあとは、惰性で第6期に流れこむのではなく、抜本的に再構成したほうがよいと思う。これに関するわたしの考えは別の記事にしたい。

IPCCが扱う気候変化(変動)の定義は、人間活動起源の全地球規模温暖化に限られていない。(気候変動枠組み条約の「気候変動」は違うので注意が必要だ。)

しかし、IPCCは気候変化全体を公平に扱うように作られているわけではない。IPCCの主題は全球平均地上気温を変化させるような気候変化であって、それの背景として気候変化全体をも知る必要があるのだ。

IPCCは次のような仮説群に基づいて発足したのだと思う。そして今ではこの仮説群は、もちろん厳密に立証できるものではないが、確からしさの大きいものになったと思う。

  1. 今後1世紀の全球平均地上気温の変化の最大の要因は、(未知の要因または予測不可能な事件が重要にならない限り)、人間活動起源の全球規模の大気成分変化によるものだろう。
  2. この気候変化(温度だけでなく水循環や海水準の変化を伴う)がある程度以上に大きくなると、人間社会にとって困ったことになるだろう。
  3. 人間活動を制御することによって、この気候変化を比較的小さくくいとめることができるだろう。

IPCCの成果を、「科学者が合意を得た」と表現することが多いが、何に合意したかといえば(数量的な結論ではなく)この仮説群(狭い意味ではその1)が正しいと言えることなのだとわたしは思う。

しかしIPCCの使命は終わったわけではなく、人間活動の制御(温暖化軽減策、上記3)の政策決定のために、政策の選択肢によって気候変化(上記1)とその社会へのインパクト(上記2)がどう変わるかなどの問題の検討を続ける必要があると思う。

ところが、気候変化の生態系や人間社会への影響はローカルに起こる。全球平均だけでなく、各地域の気候がどう変化するかの見通しを持たなければならない。また、時間に関しても、季節ごとに何十年も平均した気候状態だけでなく、気候というよりは天気に属する短時間の極端現象が(その個々の予測はとてもできないから統計的な意味で)どう変わるかが重要だ。

また、人間社会は各地域のローカルな気候変化に適応し、しかも主にローカルな更新可能資源に頼って生きていかなければならない。伝統的生活様式の知恵も、近代科学の知恵も、合わせて使っていく必要があるだろう。ローカルな気候変化の将来見通しをもつことが望ましいことは確かだ。

しかし、空間・時間スケールを細かくしていくと、気候変化・変動の要因のうちで、全球規模の大気成分変化が圧倒的に重要ではなくなる。ローカルで深刻な大気汚染や人工熱源もある。土地利用変化もローカルな気候には明らかに影響がある。自然変動も、全球規模よりも地域規模のほうが重要性が大きい。

さらに、土地利用変化などの人間活動の生態系へのインパクトは、直接生物相を変えてしまうことが第一であり、気候変化を介する影響もあるはずだが副次的と考えられる。環境変化の将来見通しにとって重要なことが、気候変化という枠組みでは見落とされるおそれもある。そこでどうするかは「抜本的再構成」として別に考えたい。

ひとまず気候に限っても、世界のあらゆる地域の人々の気候変動適応策を考えることは、IPCCのような体制の手に余るのではないかと思う。

他方、温暖化軽減策の必要性を考えるためには、世界のインパクトの見通しを総合する必要はあるが、そのためには必ずしもすべての地域を扱わなくても、的確なサンプルによって推計すればよいだろう。いずれにせよできることは厳密な予測ではなく不確かさを含んだ予測なのだ。IPCCは確かに地域ごとの気候の将来見通しを評価する必要があるのだが、その意味はこのようにとらえて、サンプルとして価値のある地域研究に重点をおけばよいのではないだろうか。

実際の地域ごとの気候変動適応策を考える体制は、IPCCとは別に地域ごとにつくることになる。単独ですることがむずかしい地域には援助が必要だし、そうでなくても相互協力をしたほうがよい。もちろんIPCCとの間も横につながることになる。