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偏差、anomaly、異常

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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気候に関する学術論文では、「anomaly」という語によく出会う。日本語では「偏差」と「異常」を使いわける必要がある。

Anomalyとは、「平常からの はずれ」のことだ。ただし、この語が、定性的な意味で使われる場合と、定量的な意味で使われる場合がある。

定性的な意味で、anomaly があるというのは、平常の状態から明確にはずれていることだ。日本語の「異常」に対応する。

定量的な意味の anomaly は、実際に観測(あるいは推定・予測)された値と、それに対応する平常の値との差だ。値が小さくても anomaly はある。もし値がゼロだったら、「anomalyがない」と言っても正しいとはされるが、科学者による扱いはむしろ anomaly は存在するがその数量が 0 であるというものだ (表にanomalyという欄があればそこには 0 という数値がはいるのであって「該当なし」にはならない)。この anomaly に対応する日本語は「偏差」だ。ここで「異常」と書くのは、少なくとも気候・気象の文脈では、まちがいだ。(なお「偏差」に対応する英語はいくつもあり、代表は「deviation」だろう。)

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定量的な意味での anomaly (偏差) を考えるとき、平常(normal)の値として何をとるかは、考えている課題によって、まちまちだ。

気候に関する観測値の統計では、「平年値」というものが使われる。これは一定の約束に従った30年間の平均値だ。英語では normal なのだが、normal だけだともっと広い意味になりうるので、climatological normal のような表現が使われることが多い。季節予報の実務家も、研究者も、観測値からこの平年値をひいたものに注目する。その数値が「anomaly」「偏差」と呼ばれる。

気候の話題で偏差と言えば、この 平年値からのずれの量 であることが多い。しかし、いつもそうとはかぎらないし、そうだとしても平年値がどの30年間のものかは自明でないので、それぞれの文脈での意味を確認することが必要だ。

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気候・気象の専門文献では anomaly ということばが定性的な意味で出てくることはほとんどないと思うが、形容詞の anomalous を見かけることはあり、それは「平常から大きくはずれた」(「異常な」)、という意味にちがいない。これはきちんとした定義のある学術用語ではない。ただし、それぞれの著者が作業用の定義をして使うことはある。似た意味の abnormal や extreme についても、日本語の「異常」や「極端」についても、同様なことが言えると思う。【[2016-12-08補足] 一例として、日本の気象庁は「異常気象」ということばを定義して使っているが、これは気象庁というひとつの組織による、情報を発表するという作業のための定義である。】

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「重力異常」ということばがある。英語では gravity anomaly で、実際の重力と、緯度と地球中心からの距離で決まる標準重力 (もし地球が均質な楕円体ならばそこで観測されるべき重力)との差だから、気象学の人ならば「偏差」と言いたくなるところだ。これは、 遠くから見ると同じ「地学」の用語だと思われるだろうが、気象学とは別の測地学(geodesy)という専門分野の用語、いわば「測地むらの方言」なのだ。測地学の成果を伝えるとき、他分野の人も、よほどさしつかえがなければ測地学の用語をそのまま使う。そうしないと情報の出典にさかのぼることがむずかしくなるからだ。

[2016-12-05補足] 測地学でこの文脈で「偏差」を使わないのは、測地学には「鉛直線偏差」ということばがあるからかもしれない。鉛直線偏差は、鉛直線と垂直線(楕円体の法線)とがなす角度で、英語ではdeflection of the verticalといい、昔は「鉛直線偏倚[へんい]」と書かれた。

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英語の anomaly という単語の語源を、わたしはながらく「a-」が否定、「nom-」が(「norm-」とはちがうことはわかっているが) normal のような意味のことば (もしかすると「法則」のような意味のギリシャ語の nomos か?) と思ってきた。

しかし、この記事を書くにあたってちょっと調べてみると、そうではなく、「an-」が否定、「omaly」はギリシャ語で「平らな」という意味の「hōmalos」から来ているそうだ。「hōmalos」は「同じ」という意味の「hōmos」の関連のことばだそうだ。(とりあえずWiktionary英語版によった。あとで出典をきちんと示した辞書にあたってみようと思う。)

漢語起源の日本語の「平常」にも、「よくありがちな状態をつないだものは、極端な状態も含めたすべての状態をつないだものよりも、なめらかだ」、という認識が反映されているように思う。そこで、この記事の頭で anomaly という語の基本的な意味の日本語表現を、「平常からの はずれ」としてみたのだった。

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Anomalyということばは、科学論またはメタ科学(科学的知識に関する学問的考察)の文脈で使われることもある。わたしが思い出すのは、Kuhnが、科学史の文脈で、当時の科学者が自然法則だと思っていたことに合わない観測事実のことを「anomaly」と呼んでいたことだ。日本語では「変則事例」と訳されていたという記憶があり、わたしも、それがこの文脈では適切な表現だと思う。

発散・収束

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「発散」(英語ではdivergence)と「収束」(convergence、日本語では「収斂」[しゅうれん]ともいう)は、気象に限らず、流れやベクトル量に関するいろいろな話題に出てくる用語だが、気象での意味に限っても、いくらかの幅をもっているので、ここでは、それを整理することを試みたい。

全部というわけではないが多くの場合、発散と収束は正反対のことがらだ。数量であらわせる場合には、発散の値が負であれば収束がおきているのだ。「収束の値」と書かれていたら、たぶん、発散の値を、正負の符号だけ逆につけかえたものだろう。

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直観的には、収束とは流れが集まってくること、発散とは、その逆に、ひろがっていくことをさしている。

これは、流れがはげしく変化しているときは認識しにくいのだが、定常の流れが継続していれば(厳密に定常でなくても、そのように近似できれば)、「流線」を考えると、認識しやすい。並行している流線どうしのあいだが狭まっていく場合が収束で、広がっていく場合が発散なのだ。ただし、この意味での「収束」に対応する英語は confluence だと思う。そうするとその反対の「発散」は diffluence になるはずだが、わたしはその単語に出会った記憶がない。

流れの形をさして convergence ということばが使われることもあり、日本語ではこれも「収束」となる。これと confluence が区別して使われているのか、わたしにはよくわからない。流れが集まってくる場合には、並行した流線の間が狭まる形のほかに、はっきり違った方向からの流れがぶつかって急に向きを変える場合もあり、後者は convergence ではあるが confluenceではないのかもしれない。

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定義のはっきりしている定量的な「発散」は、ベクトル解析 (ベクトルの微分積分が出てくる応用数学の分野)での微分演算子だ。これは一般には任意の次元のベクトルに使えるのだが、物理、とくに流体力学および電磁気学への応用にともなって発達してきたので、3次元または(その単純化として) 2次元の空間のベクトル場について使われることが多い。

3次元空間に直交直線座標(x, y, z)を設定し、ベクトル量 v = (u, v, w)が座標値(x, y, z)によって連続的にちがう値をとるようなベクトル場があるとする。[太字のvをベクトル、細字のvをその成分に、区別して使っていることにご注意。] vの発散は

div v = ∂u/∂x + ∂v/∂y + ∂w/∂z

である。また、∇ [nabla] という演算子

∇ = (∂/∂x, ∂/∂y, ∂/∂z)

を使えば、div v は ∇・v (∇とvとの内積)の形に書ける。

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ここまでは v を一般のベクトル量としたが、流体力学や気象学の話で、(「なになにの発散」ではなく、単に)「発散」と言った場合は、vとして(各座標位置にある)流体がもつ速度(流速、風速)ベクトルをとった場合の div vをさす。

一般には流体の流れには発散があるが、理論や数値モデルでは、「発散なし」を仮定すると理屈が簡単になるので、それですむならば、そう仮定することがよくある。

大気中の現象のうちでは、音波は流速の発散がなければ存在できない。しかし、気象学的関心のある多くの現象は、基本方程式(運動方程式・質量保存の式・エネルギー保存の式・状態方程式の組)から音波を消去するように制限を加えたもの(「非弾性方程式系」と呼ばれることがある)でも表現できる。

非弾性系の大気にも発散はあるが、それは、圧力・温度の変化に伴う体積変化によるものに限られる。同じ質量の空気のもつ体積は大気中の高さによってあきらかに違うので、大気は発散なしの流体とはだいぶ違う。

しかし、静水圧平衡([2012-03-29の記事])がよい近似で成り立っていることを前提とすれば、鉛直座標として気圧をとった「p座標系」([2012-04-09の記事])を使うと、座標変換された空間(p空間)での基本方程式は発散なしの流体のものと同じ形になる。p空間での空気の「密度」(p空間の体積あたりの質量、実際にはこれを密度とは呼ばない)が一定である、とも言える。これによって、発散なしの流体の力学を、大気の力学に応用できることが多い。

p空間での鉛直速度 d p / d t をω (オメガ)と書く。ωは下降流で正、上昇流で負となる。p空間での発散がゼロであることは次のような形で書ける。(ここでは記号divに(x, y, p)座標で考えていることを示す添え字をつけておいたが、ふつうは単に div または「∇・」と書かれている。)

divxyp v = ∂u/∂x + ∂v/∂y + ∂ω/∂p = 0

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4節では、3次元の速度とその発散について述べた。しかし、大気にとって鉛直方向は特別な方向だ。大気の厚さ(鉛直の空間規模)は水平の空間規模に比べて桁ちがいに小さい。したがって、流速の鉛直成分の大きさは、水平成分に比べて桁ちがいに小さいことが多く、直接測定がむずかしい。大気の流れ、つまり「風」は、水平2次元のベクトルとして認識されることが多い。

水平2次元の発散(略して「水平発散」)は

divH vH = ∂u/∂x + ∂v/∂y

のように書ける。(3次元との区別のために、「水平」にあたるhorizontalの略のつもりでHを添えておいたが、2次元だけが出てくる場合はそのような配慮がされないことが多い。)

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4節のp座標での3次元の発散の式を見ればわかるように、水平2次元の発散・収束と、鉛直流とは密接な関係がある。

それは流れが自在に変化しても成り立っているはずだが、説明しにくい。説明しやすいのは、流れの場が定常である、つまり、流速が位置座標の関数だが時間によっては変わらない、とみなせる場合だ。厳密に定常である必要はない。ある構造がたもたれていれば、それがゆっくり移動したり、発達したり、減衰したりしていてもよい。

台風(一般的には熱帯低気圧だが、この表現で代表させる)はそのわかりやすい例だ。台風の中心付近を大局的に(水平規模100kmくらいをならして)見ると、地表付近から対流圏の上端付近まで、上昇流がある。そして、地表付近には、水平収束があり、対流圏の上端付近には、水平発散がある。もし地表付近の水平収束だけがあれば、中心付近に空気の質量がたまり、気圧が高くなっていくだろうが、実際には空気の質量は、上昇流によって上に移動し、上層の質量発散によって周辺に出ていくので、質量の流れが準定常的に維持されているのだ。(摩擦があるのに流れが持続することが可能になっている熱機関的なしくみ、その中では摩擦が不可欠な役割を果たしていること、などについては、台風のしくみに関する解説書を見ていただきたい。)

温帯低気圧の構造は台風とは違いがあるが、中心付近に、上昇流、下層の水平収束、上層の水平発散、の組があるという基本は同様だ。

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2次元のベクトル場は、「発散成分」と「回転成分」に分けることができる。流れの場について述べれば、流速の水平2成分の場を、水平発散 divH vHと「渦度」[うずど]([2015-07-01の「渦」の記事]にも出てきた)という2つの量(方向性をもたない量、スカラー量)の場に置きかえて考えることができるのだ。このほうが、流れの力学を考えるときには見通しがよくなることが多い。

ここでいう渦度は、次の式のζ[ゼータ]だ。

ζ = ∂v/∂x - ∂u/∂y

【これをスカラー量と言ってしまうのは乱暴かもしれない。3次元空間での渦度は、3次元の任意の方向の軸のまわりの回転を考えることができるから、本来は方向をもった量で、ベクトルと似ているが少し違うので「軸性ベクトル」と呼ばれる分類に属する。(広くはテンソルに含まれるらしいがわたしは確認していない。) 直交直線座標で表現すれば、「x軸のまわり」「y軸のまわり」「z軸のまわり」の成分があるのだ。ζは、渦度の鉛直軸(z軸)のまわりの成分なのだ。そのことを意識して「渦度の鉛直成分」、それを略して「鉛直渦度」と言われることもある。他方、「水平渦度」と言われることもあるようだ。「水平発散」と組で出てくることが多く、水平2次元の流れに見られる特徴でもあるので、まちがいとは言いきれないが、軸から考える人の誤解を招くので避けるべき表現だ。気象の話題で現実的には、単に「渦度」という表現にして、最初に出てきたときに「鉛直軸まわり」のものであることをことわるのがよいと思う。】
【なお、気象学ではふつう、地球(の固体部分)とともに回転する座標系で考える。風速は地球に相対的な速度なので、ζは地球に相対的な渦度ということになり、「相対渦度」と呼ばれることがある。地球の回転も含めた渦度を「絶対渦度」という。】

2次元の流速の場は、発散があるが渦度がゼロである「発散成分」と、渦度があるが発散がゼロである「回転成分」とのたしあわせで表現することができる。そして、発散の場がわかれば発散成分がわかり、渦度の場がわかれば回転成分がわかる。(そこでは、空間座標に関する微分方程式積分することになるので、境界条件が必要だが。)

地球の大気や海洋では、水平規模に比べて鉛直規模が浅い層であることと、地球が自転していることのせいで、水平規模の大きな運動ほど、回転成分が主になる傾向がある。温帯の大気中について言えば、水平規模が千kmの現象では、回転成分が発散成分よりも1桁以上大きい。水平規模が1 kmの現象では、回転成分と発散成分が同程度の大きさになる。熱帯でも、温帯ほど大きな差がつかないが、水平規模の大きい運動では回転成分が優位であることが多い。

台風を地上気圧で見ると、水平規模が数百kmの同心円の構造に見える。この規模で見れば、主役は回転成分だ。実際(といっても渦度や発散は直接観測できる量ではないので物理法則の助けを借りた「データ同化」の結果を見るのだが)、渦度は気圧でみた中心の付近に円形に分布している。

気象レーダーは雨粒を見ている。台風に伴う雨の分布は、同心円状ではなく、渦巻きながら中心付近と周辺とをつなぐ複数の弧状の帯になっている。これはレインバンド(rain band)と呼ばれることがある。その長さは百kmの桁だが幅は十kmの桁だ。データ同化の結果によれば、台風に伴う水平発散の分布は、このレインバンドに対応しているように見える。たぶん現実にそうなのだと思う。

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ここまでは速度(流速、風速)の発散について見てきたが、ベクトルの演算子の div はあらゆるベクトル場に適用できる。電磁気学にはいろいろな応用例がある。

気象学では、「質量のフラックス」や「エネルギーのフラックス」([2012-04-27の記事])について、発散・収束を考えることが多い。ただし、気象学で「フラックス」は「フラックス密度」つまり単位面積あたりのフラックスをさす場合が多いのだが、「フラックスの発散・収束」というときの「フラックス」は本来の意味であることが多い。

たとえば、水平2次元の水蒸気の移流(advection、[2012-05-28の「対流」の記事]参照)を考えるならば、水蒸気の質量に水平風速をかけたものが、移流による水蒸気フラックスになる。これの水平発散を考えるのだ。移流によって水蒸気が集まってくる状況を想定して、正負の符号を変えて「水蒸気(水平移流)フラックスの収束」を論じることが多い。現実には、水蒸気量も風速も高さによって違うので、高さごとの水蒸気フラックスの収束と、鉛直積算した水蒸気フラックスの収束という、関連はあるが物理量としての次元の違う量を扱う必要がある。

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天気図(気象要素の分布を表示した地図)に見られる現象の記述として、「収束線」(convergence line)、「収束帯」(convergence zone)のような用語が使われることがある。これは「前線」([2012-06-15の記事])の同類だが、前線がおもに両側の気温の違いに注目した概念であるのに対して、収束線は風速ベクトルの違いに注目した表現だ。この「収束」は2節で述べた意味で、風が線の両側から集まってくるような状況をさしているが、5節で述べた水平発散が負であるという意味も含まれていると思う。(両側から風がぶつかっても、線にそって速く流れていけば、発散はゼロあるいは正であることもありうるのだが、そのような状況は収束線とは言わないと思う。)

気候学の用語としてIntertropical Convergence Zone (ITCZ、熱帯収束帯)というものがある。これはもともと、北半球の北東貿易風と南半球の南東貿易風がぶつかるところという考えでできた用語だと思う。しかし近ごろはむしろ、(赤道から南北緯度10度くらいのうちで)雨をもたらす積雲対流が起きやすい地帯、という意味で使われることが多い。

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「収束」「発散」は数学用語にもある。数列が極限値に接近していくとき収束するといい、だんだん値が離れていくとき発散するという。

気象で使われる数値シミュレーションでは、微分方程式を差分近似することが多い。差分近似ともとの微分方程式とのくいちがいが(数列に関する意味で)収束すればシミュレーションは意味のある結果を出せるが、発散してしまうと近似として役にたたない。シミュレーションの現場で「収束」「発散」は(大気の運動についてではなく)このような技術的な意味で使われることもある。

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「蒸発散」ということばがある。これは、水の蒸発(evaporation)に関する表現のひとつだ。植物の葉の気孔からの蒸散(transpiration)を、その他の蒸発と区別して考える立場に立ちながら、蒸散と(その他の)蒸発とを合わせたものをさして、evapotranspiration、日本語では「蒸発散」ということばが使われる。(なお、わたしは、蒸散は蒸発の特殊なものだという立場に立ち、あわせたものを「蒸発」と書いている。)

「蒸発散」は「発散」を含むことばではない。ただし、transpiration に対する日本語が「蒸散」に定まるまでに「発散」と表現されたことはあるようだ。

再解析 (reanalysis)

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再解析(reanalysis)とは、もちろん、解析をやりなおすことである。気象の分野でも、この用語がこの基本的な意味で使われることはある。

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しかし、1996年以後、気象の分野で「再解析」はある特定の意味で使われることが多い。そして、他の分野に対して提供される気象データが、この意味での「再解析」の成果、あるいはそれをさらに加工したものであることが多くなっている。したがって、気象以外の分野の人も、気象の分野での「再解析」の意味を(暗記しておく必要はないと思うが)調べられるようにしておく必要があるかもしれない。

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気象の分野での「解析」ということばのいろいろな使われかたについては[2015-04-30の記事]で述べた。「再解析」は、このうちの「客観解析」(objective analysis)から派生したものだ。

客観解析はもともと天気図をつくるという人の知能を使う仕事を機械化することをさしていたが、数値天気予報の初期値を作ることをさすように変わっていった。数値予報の初期値は、観測値と、その前のステップからの予報値を組み合わせてつくる。数値モデルを連続運転しながら観測データをとりこんでいくようなとらえかたもできる。そこで「客観解析」と「データ同化」はほぼ同じ意味に使われるようになり、今では「データ同化」のほうがよく聞かれる。(しかし「再解析」だけは「再同化」のような言いかたは聞かれない。)

気象データの同化は、数値天気予報の初期値を作る目的でリアルタイムに行なわれている。どのくらい「すぐ」なのかはどのくらい先までの予報をねらうかにもよるが、いわゆる中期天気予報で2週間先までの予報計算をするとすれば、観測時刻の12時間後くらいに、それまでに届いた観測報告を入力として初期値をつくることになるだろう。この初期値とするために格子点気象データセットをつくること、あるいはそれでつくられたデータセットを「現業解析」(operational analysis)と呼ぶことがある。

現業解析によるデータセットは、数値予報の初期値とする以外に、現実の大気の状態の推定値として、気象学の研究の材料としても使われてきた。しかし、現業解析は、その目的に対しては、2つの大きな欠点がある。

  • 観測がおこなわれていても、リアルタイムの通報のしめきりまでに数値予報センターに届かなかったものはとりこまれない。
  • 現業の予報のためのデータ同化システム(数値予報モデルや客観解析アルゴリズムを含む)はたびたび改訂される。現業解析でつくられたデータをなん年もの期間にわたって統計処理して長期変動が見られても、それが現実の大気の変動なのか、同化システムの変更に由来するものなのかを区別できないことがある。

そこで、データ同化システムを固定して、なん年もの期間にわたる観測データをとりこんで、格子点気象データをつくるプロジェクトが行なわれるようになった。その際に、現業解析では使われなかった観測値データもとりこむ努力もされた。そのような事業、あるいはそれでつくられたデータセットが「再解析」と呼ばれるようになった。

再解析によるデータセットは、現業解析に比べれば、現実の大気の変動を見るのにじゃまが少ない。しかし、観測そのものをやりなおすわけにはいかないから、観測点分布の変化や観測技術の変化に由来する変化は含まれている。

- 2X [2016-05-19 追加] -
「再解析」という表現が成り立つのは、その対象となる期間の日時について、すでに「現業解析」がおこなわれているからだ。現業解析に対応するもののない分野で、気象でいう再解析と似た事業があっても、それは「再解析」とは呼ばれないだろう。

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再解析によってつくられた格子点気象データセットのことを「再解析データ」と呼ぶ人が多い(わたしもそう言うことがある)。

しかし、再解析の実施にかかわっている人たちはそう言わず、「再解析プロダクト」のような表現を使うそうだ。Dataは語源的には「与えられたもの」だから、再解析をやる人にとって「プロダクト」は「データ」ではないというのはもっともだ。彼らにとってのデータは、同化にとりこまれる観測値データである。

わたし自身は、再解析プロダクトの利用者なのだが、再解析を実施する人々を含む「むら」のメンバーでもあるので、再解析プロダクトを「データ」と呼ぶ感覚と呼ぶべきでないという感覚の間でゆれている。

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「再解析」という用語がこの意味で「気象むら」全体で通用するようになったのは、アメリカのNOAA(海洋大気庁)のNCEP (National Centers for Environmental Prediction、アメリカの現業の数値天気予報をやっている機関である)と、NCAR (National Center for Atmospheric Research、[2015-02-06の記事]参照)との共同プロジェクトである「NCEP/NCAR Reanalysis」のプロダクトができ、それを紹介するKalnayほか(1996)の報告文がBAMS (アメリカ気象学会機関誌)に出版されたときからだと思う。

もちろん、NCEP/NCAR Reanalysis関係者、および並行して再解析を進め1997年に15年ぶんのプロダクトと報告書を出したECMWF (ヨーロッパ中期天気予報センター、[2016-04-01の記事]参照)の関係者は、作業を始めたころ(プロダクト発表の数年前)からその用語を使っていたはずである。(ECMWFではre-analysisのようにハイフンを入れた形を使っていた。)

「再解析」と呼ばれる前にこのような仕事がどう呼ばれていたかも興味深いが、わたしは系統的に調べていない。そのひとつの表現としての「Level 3b data」についてだけはよく知っているが、それに関心のあるかたは1990年に発表した文章「地球環境研究(気候研究)のためのデータの整備に向けて」を見ていただきたい。

- 4X [2016-05-19追加] -
ECMWFとNCEP/NCARの再解析プロジェクトで実現された概念は、Bengtsson & Shukla (1988)の論文(論じる文)で示された。(BentssonはECMWFの所長だった。) この論文では、(PDFファイルが文字読み取りがされていないものなので確認できていないのだが) reanalysisまたはre-analysisということばは まだ使われていなかったようだ。【ただし要旨中に analysis ということばが出てくる。Data assimilation (データ同化)とは区別された概念で、データ同化によって作られた格子点データセットあるいはそれによって表現された気象変数の場をさすようだ。今ならば違った表現をするだろうと思うのだが、要旨の文をそのままにしてこの単語だけを何かに入れかえればすむものではないようだ。】

文献

  • L. Bengtsson and J. Shukla, 1988: Integration of space and in situ observations to study global climate change. Bulletin of the American Meteorological Society, 69: 1130-1143. DOI: 10.1175/1520-0477(1988)069<1130:IOSAIS>2.0.CO;2
  • Eugenia Kalnay, Masao Kanamitsu, R. Kistler, W. Collins, D. Deaven, L. Gandin, M. Iredell, S. Saha, G. White, J. Woollen, Y. Zhu, A. Leetmaa, R. Reynolds, M. Chelliah, W. Ebisuzaki, W. Higgins, J. Janowiak, K. C. Mo, C. Ropelewski, J. Wang, Roy Jenne and Dennis Joseph, 1996: The NCEP/NCAR 40-Year Reanalysis Project. Bulletin of the American Meteorological Society, 77: 437-471. DOI: 10.1175/1520-0477(1996)077<0437:TNYRP>2.0.CO;2

スケール、scale

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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気象が専門の人と、地図が専門の人との間では、「large scaleの天気図」ということばが、まったく逆の意味になってしまう可能性がある。このことは、両方にかかわっているなかまうちの雑談ではたびたび蒸し返されるのだが、気づかない人は気づかないので、一度は明示しておく必要を感じた。ところがそうすると、英語の「scale」および日本語の外来語としての「スケール」には、とても多様な意味があることに気づく。とても全部をつくすことはできないが、気象学と地図学を教えた経験のなかで気づいたことを中心に、整理を試みることにする。

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専門用語に限定しない、英語の「scale」にはどんな意味があるか。研究社『リーダーズ英和辞典』第3版など、いくつかの辞書を見てみると、大きく次の3つがある (下に書くのはわたしの表現であり辞書のとおりではない)。2と3の意味は連続しているように思われるが、1はそれとは離れており、語源も別のようだ。

  1. 魚のうろこ。(それと同様な形のものとして) 温泉の「湯のはな」など、液体から析出した固体。
  2. (重さをはかる)はかり。動詞として「はかる」あるいは「重さがある」。
  3. (長さの)尺度、ものさし、目盛り。

この記事では、主に 3、それと関連がある範囲で 2 の意味について見ていく。

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気象で「スケール」と言うと、多くの場合は、注目対象となっている現象が、空間または時間の中でしめる大きさをさす。空間スケールをあらわす数量は、ふつう長さの次元のもので、渦なら直径または半径、波なら波長(理論的文脈では波長/(2 π)のほうがこのまれるかもしれない)などをとる。時間スケールをあらわす数量は、単発的事件ならば持続時間、周期現象ならば周期(またはその1/(2 π))、指数関数型で増幅または減衰する現象ならば時定数(数量が当初のe倍・(1/e)倍になるのにかかる時間)などをとる。「スケールが違う」とは、スケールをあらわす数量の「オーダー」(order of magnitude、[きょうの別記事]参照)が違うことをさす。

「空間スケール」と「空間規模」とはほとんど同じ意味だ。空間の中で大きな場所をしめる現象を、英語では「large-scale phenomena」のように、日本語では「大規模現象」のように言うことが多い。

気象学の対象となる現象を、空間規模によって、大きく、大規模・中規模・小規模に分けることがある。英語では「macro」「meso」「micro」とすることが多く、日本語でも「中規模」に代わって「メソスケール」という表現がよく使われる。(「中間規模」と「メソスケール」を区別して使う人もいる。その場合の「中間規模」は大規模と「メソスケール」との中間なのだ。) 大規模は、惑星規模(planetary scale)と総観規模(synoptic scale, [2012-06-21の記事]参照)に分けられる。

気象では、空間規模の大きい現象は時間規模も大きい傾向があることが知られており、気象学の教科書には、両対数目盛りの対角線付近に主要な現象をならべた図が示されていることが多い。(空間規模と時間規模との比は、大まかに、風速と比例すると考えられる。そして空間規模の大きい現象でも小さい現象でも、風速は同じオーダーなのだ。) もちろん、空間規模には、鉛直方向には大気の厚さによる限界、水平方向には地球の大きさによる限界があるので、この対応関係は時間規模が大きくなると崩れる。

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気象の仕事では地図は必需品だ。地図には縮尺がある。この「縮尺」に対応する英語も「scale」なのだ。「縮尺」は、地図上に書きこまれて地球上の長さを示す ものさし状の図形をさす場合と、地図上の長さと地球上の長さの比にあたる数値を示す場合がある。比の数値は、比例記号「:」を使って示されることが多いけれども、基本的には分数だ。「大縮尺」とはこの分数の値が大きいことだ。だから、たとえば1万分の1が大縮尺で、100万分の1は小縮尺ということになる。

紙面が一定だとすると、気象の規模現象を扱うときは、縮尺の地図を使うことになる。そこで、気象を題材とする地図について「large scale」「small scale」と言うと、現象の規模が念頭にある気象専門家と、地図の縮尺が念頭にある地図専門家との間で、意味が逆になるおそれがあるのだ。一貫して日本語で話しているときは、縮尺(数値のほう)のことを「スケール」とは言わないから、この行きちがいはめったに起こらない。しかし、英語の単語を使い慣れている科学者・技術者どうしで話しているときは、日本語の中に英語の単語をまぜてしまうことがよくある。そういうときにこの行きちがいに出会う。

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気象学のうち気象力学の分野で「scaling」、日本語でも「スケーリング」ということばが使われる。このことばの意味は必ずしも一定していないようで、次の6節で述べる「スケール解析」をさすこともあるかもしれない。

しかし多くの場合は、「数量を、それが属する数量群を代表する定数値で割る」操作をさしている。そのうちには、次のような、似ているが違った操作が含まれる。

  • 物理量を、同じ次元をもった定数値の量で割って、無次元化すること、
  • 数値を、それとだいたい同じ桁の定数で割って、見やすい桁数にすること
  • 数量をグラフにするとき、数値に一定の比例係数をかけて、紙面におさまる長さにすること

語源は1節で述べた第2(重さをはかる)だろうか、第3(縮尺)だろうか?

この「スケーリング」と意味が部分的に重なる用語として「規格化」「正規化」があるが、そちらに対応する英語はむしろnormalize (動詞)、normalization (名詞)だろう。

- 6 -
気象力学の分野には、「scale analysis」ということばもある。日本語での表現は「スケール解析」がふつうだろう。これも意味が必ずしも一定ではなく、第3節で述べた「空間スケール」(「空間規模」)を知るためのなんらかの解析のこともあるかもしれない (「解析」ということばのいろいろな意味は[2015-04-30の記事]参照)。

しかし、代表的意味は、「運動方程式などの式の各項それぞれについて、変量に代表的定数値を入れて、項の数値のorder of magnitudeを知ること」である。たとえば、du/dt という項(uは速度、tは時間)を、注目する現象(あるいは計算の際に注意が必要な現象)についての速度の代表値 U と時間の代表値 T の比 U/T で評価する。

このような作業は、複雑な式から、order of magnitudeが小さい項を省略することによって近似式をつくりたいときに、その準備としておこなわれることが多い。

語源は第2(重さを比較する)だろうと思うのだが、第3(規模)かもしれない。

スケール解析は次元解析に近いが、次元解析では物理量の次元を考え、スケール解析では代表値を入れたときのorder of magnitudeを考える。

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気象学では地図とともにグラフも必需品だ。グラフによる数量の表現を論じようとすると、英語では「scale」ということばがいろいろな意味で出てくる。日本語で英語の単語をまじえずに話しているときにこれに対応する用語はふつう「目盛り」と「尺度」「縮尺」などであり、「スケール」ということはあまりないと思うが、ここでついでに論じておきたい。

グラフの書き方について論じたCleveland (1985)の本を、わたしは英語で読んだ。その中で著者は、グラフに関する議論で英語の「scale」という語が2つの意味で使われているので、この本では一方の意味に限定し、他の意味については他の表現をする、と、ことわっているところがある。

  1. 「scale」は、グラフの軸につける目盛りをさす。
  2. たとえば表示される対象が何かの質量ならば「紙面の1cmが質量なんkgをあらわすか」を、scaleとよぶ人がいるが、この本では「cmあたりの単位数」のように表現する。

これを読んで、わたしは、もう少し精密化して考えたほうがよいと思った。Cleveland氏の区別は、4節で地図の縮尺について述べた二つの意味と同様だが、次のように少し抽象化して考えたい。

  1. 図の部分としての、目盛り・ものさし
  2. 表示対象となる量から図上の長さへの変換(関数)、読む立場ではその逆変換

「目盛り」は、グラフでは多くの場合、軸上に軸に垂直な短い線(英語で「tick mark」というが日本語の適切な表現がよくわからない)をつけ(あるいは図を横断する格子線をひき)、その位置に対応する数量を示す数字ラベルをつける、という形で表現される。ときには軸と別にものさし状の図形を添えることもある。

表示対象となる量と図上の長さとの対応関係は、次のように分けて考えることができる。(b)と(c)は、表示媒体が紙と決まっていた時代にはひとまとめに認識されていたのだが、さまざまな大きさの画面が使われるようになった今では分けたほうがよいと思う。

  • (a) 表示対象となる量(例、質量)から、図上の寸法に比例する量へ変換する (例、「対数目盛り」または「対数尺度」)
  • (b) (a)で得られる量を、図上の長さ(ひとつの図の大きさに対する割合としてあらわす)に変換する (比例定数および原点ずらし)
  • (c) (b)で得られる量を、紙面・画面上の物理的な長さまたは画素数に変換する (比例定数および原点ずらし)

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技術を評価するという文脈で scalable, scalability ということばを聞くことがある。動詞として scale があって、「scaleできること」なのだろう。わたしは、大まかに「(この技術は)規模が大きく違っても通用する」のような意味だと推測しているが、正確な意味を知らない。

文献

オーダー (order of magnitude)

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

「スケール」という用語に関する記事を書きはじめて、それと関連がある (「スケール」と「規模」、「規模」と「オーダー」にそれぞれ意味の重なりがある) 「オーダー」について、別の記事にしておいたほうがよいと思った。

英語の「order」は、「順序」「秩序」、あるいは動詞として「命令する」「注文する」などの意味がある。数理科学的な文脈でも、そのような意味になることが多いと思う。

しかし、日本語の外来語としての「オーダー」の意味はもっと限定されている。数理科学的な文脈ならばたいていは、英語の「order of magnitude」の意味だ。

これは、数量の大きさを大まかにとらえたものだ。数量が何かの同じ単位で表現されているとして、たとえば、数値が 5 と 8 ならば、同じ値ではないが、同じ「オーダー」の量だ。しかし、たとえば 5 と 500 ならば「オーダー」が違う。0.05 と 5 でも「オーダー」が違う。二つの量の間で「オーダーが違う」というのは、その量のあいだの比率が、1に対して大幅に大きかったり小さかったりする、ということだ。

どれだけ違えば「大幅に違う」のかは文脈によって必ずしも一定しない。しかし、現代の人はふつう数値を十進法で扱っているから、十進法であらわしたときに桁が違うことを「オーダーが違う」ことと同一視することが多い。そうすると、1と10とはオーダーが違う。1と3、あるいは3と10との関係が、オーダーが違うというべきか同じというべきか迷う領域になる。

「オーダー」と「桁」以外に、同じ概念をあらわす可能性のある用語としては「規模」がある。これは「magnitude」の訳語のひとつでもある。ただし、「規模」は、対象物の空間的な大きさ(量の次元は、長さだったり、面積だったり、体積だったりする)を大まかにとらえた場合に使われることが多い。対象とする数量が空間的な大きさとは別のものである場合は、「規模」という表現は誤解を招きやすいので、「オーダー」という表現を捨てがたいことがある。

降水帯、rain band、線状降水帯、squall line

【わたしは気象学という専門を代表する立場にはないが、これまで、「気象むらの方言」のカテゴリーで示した記事の多くは、気象学の専門家からの標準的用語解説として読まれる覚悟をして書いてきた。しかし今回のは違う。気象学の中でも専門は細分化していて、今回の話題についてはわたしは専門家の権威をもたない。いわば「門前の小僧」だ。しかも、申しわけないが、この話題についてさらに勉強して解説を充実させようという意欲もない。したがって、この記事は、この用語に関する疑問への答えを提供するものではなく、広い意味の専門家ではあるが狭い意味の専門家ではない一個人の感想を述べるものとして見ていただきたい。】

【[2016-10-21補足] 「線状降水帯」という用語については、専門家による解説(津口, 2016)が出たので、関心のあるかたはそれを見てくださるとよいと思う。】

【[2020-07-05 補足] 気象研究所の加藤輝之さんは、「線状降水帯」について、英語でも “senjo-kousuitai” と書いている (Kato, 2020)。説明的にのべれば「準停滞線状降水システム」だが、そのうちでも日本にありがちな類型をさす分類名をつける意義があると考えているらしい。】

2015年9月9日--11日に、大雨による洪水災害が起きて、この大雨をもたらした現象の記述としてマスメディアで「線状降水帯」ということばがくりかえし使われた。報道を見聞きする専門外の人にとって、この用語は耳慣れないもので、これまでなかった新しい現象が起きたかと思った人もいたようだ。実際には、前からあった現象で、用語も気象専門家の間では前から使われていたものだった。ただしその現象が日本のうち梅雨前線以外のとき・ところで明瞭な形で1日以上持続したのは専門家にとっても珍しいできごとだったと思う。

わたし自身、「線状降水帯」ということばを自分で使ったことはない。専門用語として講義などで習った覚えもない。どこかで読んだ記憶はあるが、その文脈が思い出せず、したがってその文脈でその用語がどんな現象をさしていたかも思い出せない。だから、わたしはその用語の専門用語としての意味を正確に知らないのだ。ただし、だいたいどんなものをさすかの見当はついている。

話題を一般化して、「降水帯」ならば、わたし自身、使うことがあることばだ。これは、雨や雪のふるところの空間的分布が、地図あるいは航空機・衛星などで上から見た画像上で、帯状の形をしていることをさしている。その空間規模はさまざまだ。

いちばん大きい規模では、地球上には熱帯と温帯にそれぞれ緯線と平行に降水がわりあい多いところが分布している(その中間の亜熱帯では降水が少ない)。そこで、熱帯と、南北の温帯に、それぞれ「降水帯」がある、ということができる。英語ならば precipitation zone が適当な表現だろう。

その次の規模では、「梅雨」や「秋雨」のような現象を全体として、(温度や水蒸気量の違った空気が接しているという意味での「前線」という形でもとらえられるけれども) 帯状に分布する降水帯としてとらえることがある。この場合も英語の適当な表現はprecipitation zoneだろう。

ところが、梅雨や秋雨の中での雨のふりかたは一様ではなく、激しいところ、弱いところがある。その激しいところの上から見た形が帯状ならば、それを「降水帯」と呼ぶこともある。同じ用語が使われるうちで、どういう空間規模のものをさしているかは、文脈から判断しなければならない。英語の表現はなんとおりもあるが、たとえば、幅が数kmから数十km、長さが数十kmから数百kmくらいのものならば、rain bandと呼ばれることが多く、日本語でもカタカナで「レインバンド」と呼ばれることがある。

ただし「レインバンド」という表現は、台風に伴うものに限って使われているかもしれない。台風の気圧分布は同心円型の構造をしているが、それに伴う雨の強さの分布は同心円型ではなく、雨の強いところは帯状になり、その帯が台風の渦に伴って渦巻き(spiral)型に分布するのがふつうなのだ。台風による大雨の多くはこのレインバンドによるものだ。(だから、必ずしも台風の中心に近いところで雨量が多いとは限らない。)

さて、「線状降水帯」というのは、降水帯なのだが、そのうちでとくに幅が狭くて帯内面積あたりの降水が激しい場合をさしていることは確かだと思う。しかも、おそらく、降水帯の形が(台風のレインバンドが弧状に曲がっているのとは違って)直線に近いことをもさしているだろう。(日本語の「線」は曲線でもよいのだが、英語のlineやlinearは、直線をさすことが多い。ここでの「線状」はおそらくこのlinearに対応する日本語表現で、「直線状」に近い意味を含んでいるようなのだ。)

2015年9月9-11日の関東地方には、幅 数km、長さ100kmほどの、南北に直線に近い形でのびた降水帯が存在し、しかもそれが約1日にわたってほぼ同じ場所に停滞した。この現象を「線状降水帯」と表現するのはもっともだと思う。激しい雨をもたらすのは積乱雲という種類の雲であり、個別の積乱雲の寿命は1時間程度なのだが、世代交代しても積乱雲が同じ線にのったところにできやすいような風の分布が持続したのだ。【なお、この線状降水帯による激しい降水が分布したところと特定の川の流域とが重なっていたことが、洪水災害をもたらす要因となった。ただしこの話題はここでは深入りしない。】

さて、英語の気象学用語には squall line ということばがあり、日本語の専門文献でもそのままカタカナにして「スコールライン」という表現で出てくることがある。

日常の日本語にとりいれられた「スコール」は熱帯のにわか雨をさすことが多いが、日常の英語の squall はもともと突風のようなものをさしていたらしい。「Squall line」は集中豪雨のたぐいを扱うメソスケール気象学の専門用語だ。わたしはその意味を正確に習っていないのだが、次のようなことだと理解している。大気下層の風が収束する場所が直線に近い帯状の形で持続し、そこで何世代にもわたって積乱雲ができて激しい雨をもたらす、というような現象だ。(同じ場所に停滞するとは限らず、構造を保ったまま移動することが多い。)

さて、今回、ネット上の検索にかかる用語説明をいくつか見ると、「線状降水帯」の関連語として squall line が示されたものもある。ただし、同意語とする場合もあれば、「線状降水帯」のほうが対象の範囲が広く squall lineはその一部分をさすとする場合もあるようだ。専門家のうちでも個人によって用語の意味の広がりが違うのだと思う。アメリカでsquall lineということばが使われる対象は、熱帯の海上のものか、温帯だが日本よりはやや乾燥した北アメリカの大陸上のものが多く、日本の線状降水帯はどちらの典型とも違った特徴をもつだろう。同じことばでさすのが適切と思う人と不適切と思う人の個人差が生じるのももっともだと思う。

わたしは、30年あまり前の学生のころから、セミナーや学会講演などで、「スコールライン」ということばはたびたび聞いているのだが、そのような場で「線状降水帯」ということばを聞いた覚えがない(聞いても忘れた可能性もあるが)。

大学の研究者や大学院生の間の会話では、地の文は日本語でも、英語の文献を読んで知った専門用語は、英単語のまま、あるいはそのままカタカナにして、はさんでしまうことが多い。しかし、同じ専門家の人が、専門外の人に対して説明するときや、日本語で教科書的な本を書くときには、日本語らしい語彙で置きかえたくなることがある。そこで出てくるのはふつう、幕末・明治以来蓄積されてきた漢語の要素から組み立てられたものだ。

今度起きている状況は(わたしの推測だが)、いわば「気象むらの方言」では「スコールライン」で通じていたものを、日本語の共通語を使うべき文脈では(カタカナ外来語の乱用は感じが悪いので)「線状降水帯」と言いかえよう、という動きが、数年(もしかすると数十年)前から続いていて、それがようやくおもて(専門外の人がよく見るところ)に出てきた、というものなのだろうと(わたしは)思う。【[2020-07-07補足] こう思ったのはわたしの誤解だったかもしれない。しかし誤解だったといいきることにも自信がない。】

このような場合に、置きかえが成功するか、カタカナ語のほうが生き残るかは、かなり偶然によるところが大きいと思う。この特定の事例については、「線状降水帯」のほうが生き残りそうであり、それでよいとわたしは思う。「スコールライン」のほうには、すでに日本語になっている「スコール」と直接関連づけてはまずいという難点がある。漢語から組み立てられた用語は聞いてわかりにくいものが多いのだが、「線状降水帯」は、しろうとが要素に分解して意味の見当をつけることができ、また幸い「扇状」が同じ文脈に出てこないので同音衝突も避けられるだろう。

文献 (2016-10-21補足)

文献 (2020-07-05 補足)

  • Teruyuki KATO [加藤 輝之], 2020: Quasi-stationary band-shaped precipitation systems, named “senjo-kousuitai”, causing localized heavy rainfall in Japan [日本で集中豪雨をもたらす線状降水帯と名付けられた準停滞線状降水システム]. Journal of the Meteorological Society of Japan, 98: 485-509. https://doi.org/10.2151/jmsj.2020-029

気候感度についてもう少し広く考える

「気候感度」(climate sensitivity)については、[2015-07-15の記事]で簡単にふれたが、もう少し話題を広げて考えてみる。

「感度」は「敏感さ」であって、定性的なものかもしれないのだが、ここでは定量的な扱いができる場合に限ってみる。

気候に関する話題を広く考えると、「気候感度」は次の2つの違ったことを意味しうる。(日本語の文では、語がさししめす物どうしの関係が格助詞で示されるが、複合語を構成する際には格助詞がはいらない。そこで「気候が敏感」なのか「気候に敏感」なのかの区別が表現されず、内容のほうから推測するしかなくなってしまうのだ。)

  1. Xが気候に影響を与える。入力であるXが変わるのに対して、気候の状態がどれだけ変わるか。(気候がXにどれだけ敏感か。)
  2. 気候がYに影響を与える。入力である気候が変わるのに対して、Yの状態がどれだけ変わるか。(Yが気候にどれだけ敏感か。)

2のほうのYの例としては、たとえば農作物の収量があげられる。

ここからは、1のほうに限って考えてみる。
気候感度を考えるとき、必ずというわけではないが、気候の状態変数としては、全球平均地上気温をとることが多い。(以下「気温」と書き、文字 T であらわすことにする。)
また、これも必ずというわけではないが、定常応答([2015-07-15の記事]参照)を考えることが多い。つまり、入力の値がXであるときの定常状態の気温がTであり、入力の値がX+ΔXであるときの定常状態の気温がT+ΔTであるとき、ΔTをΔXに対する定常応答と考えるわけだ。

【[2015-07-24補足] 感度ということばから人々が直観的に考えるものは、定常状態の差ではなく、むしろ応答の速さのような、時間軸上の量の変化であることがふつうだと思う。外部条件が変わるにつれての時間を追ったシステムの応答(いわゆる過渡応答 transient response)を扱う研究例はいろいろあるのだが、それぞれに違う数量を扱うので、「(過渡応答の)感度」といえばこれこれの数量を表わすという共通概念はできていない、と、わたしは認識している。】

そこで、気候感度の数値表現としては、まず ΔT/ΔX が考えられる。
実際、Xとして放射強制[力] ([2012-06-06の記事]参照、単位 W m-2)をとった場合は、感度をΔT/ΔX [単位 K/(W m-2)]であらわすことがある。

また、ΔXをXの代表値で割って相対変化の形にすることもある。
阿部・増田(1993)の1.3節ではRamanathan and Coakley (1978)による気候感度を紹介したが、この場合、Xにあたるのはいわゆる太陽定数([2012-04-29の記事]参照、単位 W m-2)である。そして気候感度はΔT / (ΔX / X) あるいは X ΔT/ΔX のような形で定義されている。この場合、XとΔXの次元が打ち消しあうので、気候感度の次元はΔTの次元[単位 K]となる。ただし、この意味での気候感度の値が、(たとえば) 120 Kになるとすれば、「太陽定数が(その)1%だけふえると、気温が1.2℃だけ上がる」のような表現のほうが感覚的にわかりやすいだろう。

二酸化炭素濃度に対する感度を考える場合には、ふつう、二酸化炭素濃度倍増に対する定常応答をとりあげる。つまり、二酸化炭素濃度がXであるときの定常状態の気温がTであり、二酸化炭素濃度が2Xであるときの定常状態の気温がT+ΔTであるとき、ΔTを気候感度という。これは、これまでの詳しいモデル計算による経験から、定常応答は二酸化炭素濃度の対数にほぼ比例することがわかっているからだ。これが比例するという近似のもとでは、出発点の濃度Xが何であっても、倍増に対する応答は同じになるのだ。ΔTは温度差なので、単位は K としても℃としても同じことである。

地球温暖化の文脈では、おそらく2000年ごろ以後、「気候感度」といえば二酸化炭素倍増に対する定常応答をさすのがふつうになった。ただし、現実の地球の気候について言う場合と、気候モデルについて言う場合がある。

気候感度と地球システム感度
二酸化炭素濃度倍増に対して応答するシステムには何が含まれるのか、という問題がある。
気候感度を論じる場合は、ふつう、大気・海洋の温度とともに、水蒸気、雲、積雪、海氷なども変化しうるシステムを考える。水蒸気の温室効果や、雪氷のアルベド効果は、それぞれ正のフィードバックとなり、それがない場合に比べて感度を高めることになる。
他方、氷床や植生(森林・草原など)の変化は含めないのがふつうである。これらは、水蒸気・雲・積雪・海氷に比べて変化が遅いサブシステムなので、ひとまず固定して考えるのだ。これらの変化も含めたときの定常応答を、気候感度と区別して「地球システム感度」のように言う人もいる。
しかし、氷床や植生の変化を考えるべき状況では、現実には二酸化炭素濃度も変化するだろう。「地球システム感度」を評価するうえでは、これをどう考慮に入れるかがむずかしい。[これが従来の研究でどのように扱われているか、わたしはまだおさえていない。]

文献

  • 阿部 彩子, 増田 耕一, 1993: 氷床と気候感度 - モデルによる研究のレビュ−。気象研究ノート, 177号, 183-222.
  • V. Ramanathan and J.A. Coakley Jr., 1978: Climate modeling through radiative-convective models. Reviews of Geophysics and Space Physics, 16:465-489.

二酸化炭素濃度に対する気温の定常応答(平衡応答)と過渡応答、気候感度

[別ブログ2010-01-20の記事]から、それを書いた当時の時事的話題を取り除いて、ひとまず再録して、改訂を加えています。「気候感度」という表現のいろいろな使われかたは別記事にしました。】

定常応答 (steady-state response)
気候システムにとっての外部条件が一定ならば、気候システムにはいるエネルギーと出るエネルギーの量はつりあい、気候システムの保有するエネルギー量は一定値をとると考えられます。気候システムの状態量、たとえば気温は、季節変化、日周期変化、毎日の天気に伴う変化をしていますが、そういう変化を平均してしまえば、(近似としてですが)時間とともに変化しない定常状態にあると考えられます。

気候の変化を理屈から考えていくときは、まず、違った外部条件がそれぞれ長期間持続している場合に気候システムがどういう定常状態に落ち着くかを考え、その定常状態の差を与えた外部条件の違いに対する応答と考えます。現実には外部条件は時間とともに変化しますが、まず話が簡単になる定常状態から考え始めるのです。

ここでは、大気中の二酸化炭素濃度は外部条件とみなすことにします。それが与えられたとき、温度・速度・圧力・大気中の水蒸気量・海洋中の塩分などがどうなるかが気候システムの応答ですが、その代表として全球平均地上気温に注目します。真鍋さんとWetherald (ウェザラルド)さんが1967年に発表した鉛直1次元モデル実験と1975年に発表した3次元大気大循環モデル実験以来、二酸化炭素濃度「2倍」と「1倍」の条件をそれぞれ与えて気候の定常状態を求め、その全球平均地上気温の差を見ることがよく行なわれます。この数値は「二酸化炭素濃度倍増に対する定常応答」です。このような計算が数多くされた結果わかってきたことですが、全球平均地上気温の増加分はほぼ二酸化炭素濃度の対数に比例するので、「1倍」の濃度がたとえば280 ppmであっても350 ppmであっても「倍増」に対する応答の大きさはあまり変わりません。1979年に、乏しい情報から、この数値は1.5℃と4.5℃の間にあると推測されました。たまたまですが、その後の研究の進展によってもこの数値範囲は修正の必要がなさそうです。(ただしここで、水蒸気以外の大気成分、大陸氷床、植生分布は、気候システム内の変数ではなく外部条件とみなしています。)

ここで「定常応答」と表現しましたが、むしろ「平衡応答」(英語ではequilibrium response)のほうがよく使われる用語です。この「平衡」は気候システムのエネルギーの出入りがつりあっていることであって、エネルギー保存の式の時間変化項が0であることとも言えますが、熱力学用語で言えば、熱平衡(熱力学的平衡)ではなく、非平衡定常状態です。わたしは熱平衡とまぎれるのを避けるために「定常」という表現をしますが、世の中で「平衡応答」という用語が使われている場合は、熱力学から見てまちがいだと怒ったりしないで、気象学を勉強してきた人の方言のようなものとして読みかえて理解してくださるようお願いします ([2012-03-29の記事「いろいろな平衡」]参照)。

過渡応答 (transient response)
実際には外部条件が時間とともに変化します。それに対する気候システムの応答を過渡応答といいます。もし気候システムが外部条件の変化に即時に応じるのならば、過渡応答は各時点の定常応答をつないだものになります。しかし実際には遅れがあります。二酸化炭素濃度の変化に対して、気温の変化は定常応答をつないだものより遅れて変化するのです。それは、[別ブログ2010-11-10の「ふろおけモデル」の記事]で述べたように、二酸化炭素濃度の変化に伴って変化するのはエネルギーの流れであるのに対して、平均気温はエネルギーのたまりに伴う量だからです。気候システムの中で大気と海洋は常にエネルギーを交換しており、海洋のほうが質量が桁違いに大きいので、ここで重要になるたまりは海洋の内部エネルギーです。

二酸化炭素濃度に対する過渡応答の古典的な数値実験として、Spelman (スペルマン)さんと真鍋さんが1984年に発表したものがあります。大気海洋結合大循環モデルを理想化した海陸分布のもとで動かしました。まず二酸化炭素濃度「1倍」と「4倍」を与えてそれぞれの定常状態を計算します。二酸化炭素濃度4倍増に対する定常応答がわかります。次に、現実にはありえないことですが、「1倍」の実験の途中で突然二酸化炭素濃度を4倍にしてそのまま固定し、その後の大気・海洋の経過を追います。すると気温は、陸と海では陸のほうがやや早く変化しますが、平均して30年後に定常応答の約70%に達します。大気の対流圏と、海洋の表面から深さ約500メートルくらいまでがほぼ同じように定常応答に近づきます。海洋のもっと深いところの暖まりかたはずっとゆっくりしていて、千年くらいかかって定常応答に近づくようです。

この実験はいろいろな点で現実と違いますが、現実にも、「海洋表層の熱容量のために過渡応答は定常応答よりも数十年遅れる」ということが成り立っていると考えられています。なお、流れとたまりの関係を考えればわかると思いますが、遅れると言っても、二酸化炭素濃度の時系列の形が一定の時間だけ遅れて気温に現われるわけではなく、時間軸上でなめらかにされたような形で効いてきます。(また、気温の時系列にはそれに関係のない変動も混ざるでしょう。)

今では多くの研究機関が共通の濃度シナリオに対する過渡応答の計算をしています。たとえば、IPCC第4次報告書第1部会の巻の図10.26 https://www.ipcc.ch/report/ar4/wg1/global-climate-projections/fig-10-26/ http://www.ipcc.ch/publications_and_data/ar4/wg1/en/figure-10-26.html [2019-01-17 リンクさき変更] には、複数のシナリオについて、上のほうに与えた二酸化炭素その他の濃度、下のほうに得られた全球平均地上気温(複数の数値モデルを使っていることによる幅をもつ)が示されています。気候影響評価には、定常応答の数値をそのまま使うのではなく、このような過渡応答の計算結果(この図という意味ではなくもっと詳しい情報)から、評価したい対象の時期について10年間をまとめたぐらいの時間分解能で読み取って使うべきです。

気候感度 (climate sensitivity)
さて、「気候感度」ということばもよく使われます。本来は、気候システムが外部条件の変化に対してどれだけ敏感に変化するかという意味です。

今では、とくにことわらなければ、二酸化炭素倍増に対する定常応答をさすことが多くなっています。

昔はそうではありませんでした。わたしが書いて1993年に発表した文章 (阿部彩子さんと共著で日本気象学会の「気象研究ノート」に出た文章の一部)では、気候感度の数値は、太陽が出す放射の強さ(いわゆる太陽定数)の変化に対する全球平均気温の定常応答をさしています。これはRamanathanさんとCoakleyさんが1978年に出した解説の表現にならったものです(「気象研究ノート」には違う文献をあげてしまいましたが)。

今でも、「二酸化炭素濃度に対する気候感度は太陽定数に対する気候感度とほぼ同じであるはずだ」といった議論をすることがありますが、その場合の気候感度は、「放射強制(力)」(radiative forcing) [2012-06-06の記事]に対する全球平均地上気温の定常応答をさします。

文献

  • 阿部 彩子, 増田 耕一, 1993: 氷床と気候感度 - モデルによる研究のレビュ−。気象研究ノート, 177号, 183-222.
  • Syukuro Manabe and Robert F. Strickler, 1964: Thermal equilibrium of the atmosphere with convective adjustment. Journal of the Atmospheric Sciences, 21:361-385. [出版元で無料公開となった原論文へのリンク]
  • Syukuro Manabe and Richard T. Wetherald, 1967: Thermal equilibrium of the atmosphere with a given distribution of relative humidity. Journal of the Atmospheric Sciences, 24:241-258. [出版元で無料公開となった原論文へのリンク]
  • V. Ramanathan and J.A. Coakley Jr., 1978: Climate modeling through radiative-convective models. Reviews of Geophysics and Space Physics, 16:465-489.
  • M.J. Spelman and S. Manabe, 1984: Influence of oceanic heat transport upon the sensitivity of a model climate. Journal of Geophysical Research, 89:571-586.

日射量、全天日射、直達日射、散乱日射、日照時間

日射」と「日照」はどちらも、気象の話題によく出てくるが、(あとに述べるように)それから派生した数量はしっかり定義されているものの、それ自体はあまりしっかり定義されていないことばだ。どちらも、放射 ([2012-07-05の記事]参照) のうち、太陽放射、別名「短波放射」(この用語については [2012-04-24の記事]参照)に関連していることは確かだ。英語で「日射」と「太陽放射」にあたるのは同じ solar radiation だ。

日射量」といえば、太陽放射の単位面積・単位時間あたりの量、つまりエネルギーフラックス密度 ([2012-04-27の記事]参照) をさす(と言いきってよいとわたしは思う)。(専門用語では「放射照度」(irradiance)と書かれており、これとエネルギーフラックス密度の概念を区別して述べようとするとやっかいだが。) SI単位はW/m2 (ワット毎平方メートル)だ。

ただし、瞬間値ばかりでなく、1日とか1か月とかの期間で集計した量を示したいことがある。それも単位時間あたりの平均値と考えればW/m2で表現できるのだが(わたしはそうしているが)、時間に関しては累積量として示されることもある。そうすると量の次元が放射照度やエネルギーフラックス密度とは違うものになってしまう。その場合の単位はSIならばJ /m2だ(桁数を適当にするためにメガやギガをつけた形をとることが多い。またJの代わりにcalやkWhなどのSIでない単位が使われたのも見られる。) どういう期間での累積値であるかをあわせて示さないと意味がない。この事情は、降水量([2012-04-27の記事]参照)の場合とほぼ同様だ。

日射量という用語が使われるおもな文脈は、大きく分けて、地表に達する量をさす場合と、「大気上端」(この用語も説明を要するが、ひとまず、「これより上には放射の吸収・散乱に関与する大気成分はないとみなせる高さ」と考えておく)に入射する量をさす場合がある。

大気上端に入射する日射量(英語で insolation ということばはこれをさすことが多い)は、いわゆる「太陽定数」([2012-04-29の記事]参照)をひとまず定数とみなせば、地球の公転と自転に関する基本的数値をもとに幾何学的計算で数値を得ることができる。その主要な変化は、日変化、年変化と、地球の公転・自転の軌道要素の変化に伴う2万年から10万年の周期帯の変化(いわゆるMilankovitch forcing)である。

地表に達する日射量は、大きくは大気上端に入射する日射量に支配されるが、大気中の雲やエーロゾルによって複雑に変化する。この数値はおもに観測によって得られるもので、その観測機器が日射計と呼ばれる。水平面に対して上側の半空間からくる太陽放射の放射照度(地表面の単位面積あたり・単位時間あたりのエネルギー量)が全天日射量であり(英語ではglobal solar radiation、このglobalは半空間の全方向を含むということであって、全地球規模という意味ではないことに注意)、それを測定する機器が全天日射計である。

日射(全天日射)は直達日射(direct solar radiationまたはsolar beam)と散乱日射(diffuse solar radiationまたはsky radiation)に分けることができる。直達日射は、太陽のほうからの方向を保って伝わってきた光である。輪郭のはっきりした日影ができるのは直達日射がある場合だ。散乱日射は方向性が明確でない光である。「空が青い」「雲が白い」と認識されるのは散乱日射によるものだ。方向性が明確でないのは、光が大気分子や雲・エーロゾル粒子による散乱(scattering)を受けた結果なので、散乱日射という表現はもっともだが、「散乱を受けた」ことが定義ではない。全天日射は直達日射と散乱日射を合わせたものである。ただし、数量としては、直達日射量は(水平面ではなく)太陽と観測点を結ぶ線に垂直な面の面積あたりで考えるので、「全天日射量 = 直達日射量×cos(太陽天頂角) + 散乱日射量」という関係になる。

日照(英語では sunshine)ということばがさすものは、ほぼ直達日射に対応する。ただしエネルギーフラックス密度などの物理量として定義されておらず、定性的なものとしてとらえられているようだ。【人にとっての明るさを考える専門分野では、(放射照度ではない)「照度」(単位はルクス)による定量的扱いがあるかもしれないが、わたしは知らない。】

気象観測機器のひとつとして、日照の有無を記録する機器が作られ、日照計(sunshine recorder)と呼ばれた。日本では感光紙を使ったJordan型、他の多くのアジア諸国では紙をこがす方法によるCampbell-Stokes型が使われてきた。最近は、太陽電池を使うものや、焦電素子を使うものがある。日照計は日射計よりもメインテナンスがしやすいので、多数の地点に配置されてきた。

日照計の記録で、日照があると判定された時間(典型的には、それぞれの日(day)のうちで何時間(hour)か)が日照時間(sunshine duration)として報告された。現在有効な、WMO (世界気象機関)による日照時間の定義は、2003年に改訂されたもので、「直達日射量が 120 W/m2をこえる時間区間の合計」である(WMO, 2008/2010, 8.1.1節)。従来の日照計による日照時間も、近似的にこのようなものだと考えてよさそうだが、詳しくみると、機種や読み取り技法によって少しずつ違った感度をもった測定値である。

日照計の詳しい観測記録が残っていれば、その機器の時間分解能の限りで、各時刻の日照の有無を論じることも可能ではある。しかしそのような日照のデータをつくることは気象現業の仕事になっておらず、特別な研究の場合に限られる。したがって「日照時間」でない「日照」は標準化された気象要素名になっていない。

文献

渦、vortex、eddy

渦(うず)ということばは、気象学では、大きく言えば二つの違った意味に使われる。英語で言えば、一方は vortex、他方は eddy である。どちらも、気象に限らず、流体の運動にかかわる多くの分野で使われることばであり、ここで述べることの多くは気象以外の分野にも共通だろうと思うが、ここでは気象での使いかたに即して述べる。Eddyのほうについて[教材ページ]を書いたので、あわせて見ていただきたい。

日常語の「渦」に近いのは vortex のほうだろう。こちらはふつう、連続した流体の一部分で、流れが明確な環状をなしているような構造をさす。渦は、変形したり、流されて移動したりしてもよいのだが、流れが渦をひとまわりする時間に比べて桁違いに長いあいだ持続するだろう (そうでないと、渦として認識されないだろう)。

たとえば、台風はこの意味の渦である。(単なる渦ではなく、積雲対流と結合して相互に強めあうような構造であるが。) たつまきもこの意味での渦である。

なお、vortex はこれと関係はあるが少し違った意味に使われることがある。「渦度」ということばがある。(音読みで「かど」という人もいることはいるが、「うずど」のほうがふつうだ。) 英語では vorticity で、vortexと同じ系列のことばだ。実際、上の意味のvortexがもつ性質に対応する数量とも言えるのだが、空間について局所的に(速度の空間座標による微分によって)定義された量であり、空間的に広がりをもった環状の構造があることを指定するものではない。そして、文脈によっては、渦度をもつ運動をすべて渦(vortex)と呼ぶこともある。

Eddyのほうは、流体の運動を時間または空間の規模で大まかなものとこまかいものに分けたときに、こまかいほうのあらゆる運動をさす。環状をなしていることも、渦度があることも必要としない。

数量を扱う文脈で eddy が出てくるとき、それは、流速やそのほかの物理量を、時間または空間のある区間で平均した量と、そこからのずれ(偏差)に分けたときに、その ずれ のほうをさしている。ずれ自体は deviation であり eddy とは言わないのがふつうだが、平均量の変化を説明する方程式のうえで、ずれどうしの積の平均を含むような項を、eddy term(s)という。

これは、こまかい運動を乱流とみなして扱うときによく使われる。運動方程式で、流速の平均からのずれどうしの積の項は、粘性項に似た働きをするので、eddy viscosity (渦粘性)ということばがある。微量成分の濃度の変化の式で、流速と濃度とのそれぞれの平均からのずれの積の項は、拡散に似た働きをするので、eddy diffusion (渦拡散)ということばがある。

気象では、大気の循環のうち、いちばん大まかな、時間平均・かつ・東西全経度平均(zonal平均)で表現できるものだけを平均場とみなし、それ以外をすべて eddy とみなすような扱いをすることもある。その観点では、北半球の夏のモンスーン循環や、北半球の冬の中高緯度に定常的に存在する波長1万kmほどの「プラネタリー波」なども、eddyのほうに分類される。このような用語の使いかたは気象以外の分野の人にはわかりにくいかもしれない。

いろいろな解析、分析、analysis

気象学では「解析」ということばが複数の意味で使われる。さらに、日本語では「分析」だが、英語では同じanalysisになるものもある。これだけの意味を使いわけて、まちがいがあまり起こらないのがふしぎなほどだ。まちがいを防ぐために、問い返すこともけっこうあると思う。
【気象学を専門とする人のあいだでも、「解析」と聞いてどれを最初に思いうかべるかはまちまちだと思う。わたしの場合は、まず「データ解析」だが。】

解析解
数学の分野としての解析(学)は、微分積分のことだ。気象学では、この意味で単に「解析」ということは少ないが、微分方程式について「解析解」ということばはよく使う。これは、実数や複素数の変数の式のまま、微分積分などの操作によって得られた解のことをいう。これに対するのは「数値解」で、有限整数個の有限桁数の数値による計算で得られた、解の近似値だ。なお、解析解を得る過程で、 たとえば「解析接続」などの用語が出てくることもある。これは解析学の用語である。

数値解析
応用数学の一分野。実数や複素数の変数の、微分積分線形代数(たとえば連立一次方程式をとくこと)などを、有限整数個の有限桁数の数値による計算で近似すること。数値解析の本には、近似方法を開発したり評価したりする立場のものと、それを使って具体的な問題を解く立場のものがある。
気象学の話題では、「数値解析」ということばは、この意味に使われることが多いと思うが、あとで述べる「データ解析」や「客観解析」の意味で使われていることもあるかもしれない。

データ解析
観測データ(や、シミュレーション結果など)に潜在的に含まれている情報を取り出して認識すること。そのための、とても多様な作業を含む。少し限定した意味では、統計(学)的データ処理とほぼ同じ。データの可視化・図示に重点があることもある。

EOF解析
データ解析に使われる手法のひとつ。理屈はともかく操作としては同じことなのだが、「主成分分析」 (principal component analysis)という人(地理育ちの人に多い)と、経験的直交関数(empirical orthogonal function = EOF)展開、あるいは「EOF解析」という人(地球物理育ちの人に多い)がいる。
余談: ある世代の人にとって、EOFは計算機操作で出てくるend of fileなのだが、その意味のほうが先にすたれて、経験的直交関数のほうが残った。

天気図解析
観測データをもとに天気図をかくこと。手がきの天気図の等圧線をひくことは、観測点での気圧という数値から等値線をひくだけの仕事ではなく、たくさんの天気図を見てきた経験をもとに、温帯低気圧や前線などの構造を認識して、それにふさわしい線をひくことだった。

客観解析 (objective analysis)
もともとは、計算機のプログラムによって、天気図解析と(ある意味で)同等のことをすること。手がきの天気図が、同じ観測データに基づいても作業者の主観による違いをもつのに対して、プログラムによって作られる図は、同じプログラムならばだれが作業しても同じ結果になるので「客観」という。(プログラムが違えば結果は違うのだが。)
実際の客観解析プログラムの仕事は、気圧、気温、風向風速などの数量を、観測点から、緯度経度または地図上の座標で規則正しく配置された格子点に、空間内挿することが主である。作図は、格子点値を利用した別の作業となる。
客観解析は、数値天気予報の初期値をつくるのに使われる。その際には、観測値に加えて、前回の客観解析に基づく予報値も使われる。
考えかたを変えると、数値予報が継続しているところにときどき観測値をさしこんで修正する、ととらえることもできる。そのようにとらえた手順を「データ同化」(data assimilation)という。
今では「データ同化」のほうがふつうで、「客観解析」という表現はほとんど使われなくなった。ただし、データ同化の過程で、予報値と対比して、観測値の情報を取りこんだ格子点値を「解析値」ということは今でもある。

流跡線 (trajectory) 解析
気象だけというわけではないが流体関係の分野特有のデータ解析技法のひとつ。流体の運動によって流される物体を考え(流体の一部を仮想的にとりあげることもある)、その運動を順方向または逆方向にたどった経路を求める。ふつう(データ同化などによって作られた格子点データを使って)数値計算で行なわれる。

分析
大気成分や大気中のエーロゾルの成分の検出や定量は、どちらかというと大気化学の仕事だが、気象学者を自認する人がすることもある。この場合、化学の用語として確立している「分析」という表現が使われ、「解析」とは言わない。

高層

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現代日本語圏で「高層」と言ったらいちばん多い使われかたは高層建築に関するものだろう。高層建築がどのくらいの高さのものをさすかは時代や地域によってまちまちだと思うが、数十メートルから百メートル程度だろう。地上このくらいの高さは、気象学では明らかに「高層」ではなく、大気のうち地表に近い部分である「境界層」に属する。【ここで「接地境界層」と書きかけたのだが、都市のようなでこぼこの激しい地表面の上の大気境界層のうちでどこが接地境界層かはややこしい問題であることに気づいたので、その件には深入りしないことにする。】

気象学でいう「高層」も高層建築の場合と語源は同じであることは明らかだが、別の意味だと言ったほうがよいだろう。ややこしいことに、気象学のうちでも「高層」は少なくとも二つ(分ければもっとたくさん)の別々の意味がある。わたしはその全貌をつかんでいる自信はないが、ともかく知っている範囲のことを説明してみたい。

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気象学の「高層」のうちで歴史の長い使いかたは、「地上気象」対「高層気象」という形で現われる。これは、観測の手段の違いに基づく区分だったにちがいない。地上(タワー上を含む)に足を置いた人が直接さわれるところにある機器ではかれるものが「地上気象」で、気球にのせた機器ではかるものは「高層気象」なのだ。1920年に設立された日本の「高層気象台」(現在は気象庁の部署)の「高層」はこの意味だ。廣田ほか(2013)の本の表題もこの意味を引き継いでいる。

この「高層気象」の対象を「高層大気」とは(昔はともかく今は)けっして言わない。大気を地上からの高さによって層として分けていうときに使う用語で、これに対応するものは「自由大気」だ。これは大気の力学の立場からの用語で、大気の各部分に働く力のうちに地表面の摩擦を考慮に入れることが必要なところが「境界層」で、それを省略できるところが「自由大気」なのだ。

英語で、この意味の「高層」に対応することばは upper-air だ (upper atmosphereではない。) これに対する「地上」は surface だが、地表面(地面・海面)そのものをさすのか、地表面のすぐ上(接地境界層)の大気をさすのか、区別がつけにくいことがある。

また、aerology ということばがある。かつては気象学内の専門分野(日本語ならば「高層気象学」)として認識されていたようだが、今は専門分野名ではないと思う。「高層気象」を観測に基づいて記述したものをさすことが多いようだ。日本の気象庁はながらく、国内のラジオゾンデ(気球に温度計などをつけて観測値を電波で地上に送る観測機器)などによる観測値のデータ集を「Aerological Data of Japan」という英語の表題で出版してきた(最近は紙での出版は続いていない)。また高層気象台の英語名はthe Aerological Observatoryだ。

【ついでながら、ベトナム気象庁(および河川局)にあたる水文気象局の、高層気象台にあたる部門は、英語名をAero-Meteorological Observatoryというのだが、ベトナム語名は(ひとまずローマ字の補助記号を省略して転写すると) Dai Khi Tuong Cao Khong で、それぞれの要素は漢語系で「台 気象 高空」にあたり、日本語の語順にすれば「高空気象台」なのだ。近代科学用語の多くは西洋起源だが、東アジアでは漢語による訳語が共有されていることがある。この場合「気象」は共通だが「高空」と「高層」は少し違う。ただし日本語では「高空」は「航空」と同音なのでこの文脈で使うわけにはいかない。】

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次の意味は、わたしは大学の学部学生のとき(1979年)の気象学の講義の初めのほうで習ったので、気象学の常識かと思ったのだが、どうやら、その授業をした当時の松野太郎先生(著書 松野・島崎 1981)を含む(次に述べる意味の)「中層大気」研究者にとっての標準で、気象学者全体の共通語ではなかったらしい。

大気を高さによって大きく、「下層大気」「中層大気」「高層大気」と分けるのだ。英語の lower atmosphere, middle atmosphere, upper atmosphereが先で日本語は訳語だと思う。ただし、日本語表現は対称性がくずれていて、「低層大気」とか「上層大気」という表現はこの文脈では聞かれない。

大気の標準的な鉛直区分は、「対流圏」「成層圏」「中間圏」「熱圏」だ。下層大気は対流圏、中層大気は成層圏と中間圏、高層大気は熱圏にだいたい対応する。ただし、とくに大気の大規模な循環とその動力源に注目すると、中層大気の熱源はオゾンによる太陽紫外線吸収で、その中心は成層圏中部にある。成層圏下部の循環は、むしろ、地表面からの(または地表面から蒸発した水蒸気の凝結による)加熱を主な熱源とする対流圏の循環につながっている。そこで、成層圏下部を下層大気に含めることがある。

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日本語では「高層大気」よりもむしろ「超高層大気」のほうがよく聞かれる。この用語がさす対象は熱圏とそれよりも上(外圏)を含む。「超高層大気」と「高層大気」とを併用して使いわける人は少ないようだ。そして、超高層大気に対してそうでない大気を呼ぶ用語は決まっていないようだ。「超高層大気」の代表的特徴は、分子の多くが電離してイオンになっていることか、あるいは、大気を構成する分子の種類によって鉛直密度分布の形が同じでないことだ。電離のほうに注目した場合は、超高層大気は電離大気であり、それよりも低いところの大気は中性大気であるということができる。

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ややこしいことには、「高層」を上の「1」とも「2」とも違う意味で使う人もいる。木田(1983)の本の題名は「高層の大気」だが、対象は「2」でいう中層大気なのだ。

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また、aerologyとは別に、aeronomyということばもある。わたしの知る限りでのその意味は、大気の成分に関する専門知識だ。その分野は大気化学と重なるが、大気化学は化学の分科でaeronomyは(地球)物理の分科と考える人もいるようだ。原理的にはどの高さの大気を扱ってもよいはずだが、「2」でいう中層大気のオゾンをはじめとする成分を扱うことが多い。

Aerologyとaeronomyとの関係は、「-logy」と「-nomy」との関係から想像できるものではない。おそらく、両者は別々に他方を意識せずに発明された語で、同じ要素を含んでしまったのは偶然にすぎないのだろう。

文献