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ジオエンジニアリング、気候工学、意図的気候改変(2)

[2013-11-03の記事]の話題の続き。

Boucherほか(2014)のレビュー論文を読んだ。著者は、イギリス、フランス、ドイツ、スイスを含むヨーロッパの研究者たちである。

地球温暖化の対策は、「緩和策」(mitigation)、「適応策」(adaptation)、「ジオエンジニアリング」(geoengineering)と分類されているが、この分類はなりゆきによるもので、必ずしも合理的なものではなく、分類に困る場合も生じる。Boucherたちは、主として地球科学の立場、副として国際的政策決定に役立てる立場から、筋のとおった分類をしなおすことを提案している。

分類をしなおす前に、今の分類で geoengineering と呼ばれていることの名まえは climate engineering のほうがよいと言っている。わたしが前回の記事で述べたように日本語の「地球工学」と同様、英語の geoengineering も岩石圏にかかわる技術(geotechnical engineeringともいう)をさすと思われる可能性がかなりある。Climate engineeringのほうは、空調(エアコン)[注]の技術をさす可能性があるものの、比較的にはまぎれが少ない。わたしの紹介でも以下「気候工学」と呼ぶことにする。

  • [注] ドイツ語でKlimatisierung、フランス語でclimatisationというのはこれなのだ。

Boucherほかの提案する新分類はおよそ次のようなものだ (日本語訳は仮のもの)。

  • AER: 人為的排出の削減 anthropogenic emission reduction
  • GGR: 温室効果気体除去 greenhouse gas removal
    • D-GGR: 域内 domestic
    • T-GGR: 越境 transboundary
  • TCM: 意図的気候改変 targeted climate modification
  • CCAM: 気候変化への適応策 climate change adaptation measures

従来の分類にまとめなおす場合は、AERとD-GGRを「緩和策」、TCMとT-GGRを「気候工学」と考えることができる。

再編成の必要性の第1は、二酸化炭素回収隔離貯留(CCS)技術の扱いにある。従来、燃焼排気からのCCSは「緩和策」、大気からのCCSは「気候工学」のうちの二酸化炭素除去(CDR)に分類され、バイオ燃料の副産CO2および燃焼排気のCCSは「バイオエネルギーCCS (BECCS)」として「気候工学」のCDRに分類されることもあるが、バイオエネルギー利用とCCSとに分けてそれぞれ「緩和策」に分類することもできた。近ごろでは、これらをまとめて CDR としながら「緩和策」と「気候工学」にまたがるものとして扱う場合もある。

第2に、大気中の温室効果気体は二酸化炭素だけでなくメタンなどもあり、それを工学的に大気中から取り除くことはCDRと似たものだがCDRと呼ぶのは無理がある。そこで「温室効果気体除去」(GGR)とまとめるのがよい。

第3に、大気中の二酸化炭素を固定することをねらった植林の扱いの問題もある。これは「緩和策」に含まれることも「気候工学」とみなされることもある。Boucherたちは、このような「吸収源の増加」は「排出削減」とは区別すべきだと考えて、GGRのほうに含めることにした。(なお「自然のemissionを減らす策」があるとすればそれもGGRに含めようとしているようだ。)

GGRは、回収した二酸化炭素(など)のゆくえや、そのほか生態系などへの影響がおよぶ広がりがさまざまなものがある。地球科学的観点では空間スケールは連続分布するが、国際交渉の立場では影響が国内でおさまるか国外(外国・公海・南極・広域大気など)に及ぶかの違いが重要になる。Boucherたちはこのことを意識し、ただし「国」よりも大きいかもしれないし小さいかもしれないなんらかの「地域」を設定してその境を越えるかどうかで分けることを示唆する。

第4に、従来「気候工学」はCDRと「太陽放射管理」(SRM)に分けられるが、太陽放射ではなく地球放射(熱赤外線)の収支を(温室効果気体を減らす以外の方法で)変えようとするものもある。そこまで含めて(CDR以外を)「意図的気候改変」(Boucherたちの用語ではTCM)としたほうがよい。

第5に、ローカルな気候改変をどう扱うかの問題がある。たとえば都市の緑化、屋根を白くすること、ダムの建設などはローカルな気候には明らかな影響があり、ローカルな気候を変えること(都市ヒートアイランド対策など)を目的の一部に含めて実行されることもある。グローバルな気候への影響はゼロとは言えないが小さいので、成層圏エーロゾル注入などのグローバルな意図的気候改変と同様に国際的な規制をかけるのは現実的でないだろう。Boucherたちは暫定的に、空間スケール約30km四方から300km四方くらいを境にして大規模なものだけをTCMに含めることを示唆している。小規模なものについては「気候変化への適応策」(CCAM)に含めることを示唆している。小規模な気候改変の全部を適応策に含めるのは無理があると思うが、おそらく、適応に役立つものを適応策に含め、適応に役立たないものは地球温暖化対策の話題からはずせばよいと考えているのだと思う。

文献

  • Olivier Boucher, Piers M. Forster, Nicolas Gruber, Minh Ha-Duong, Mark G. Lawrence, Timothy M. Lenton, Achim Maas and Naomi E. Vaughan, 2014: Rethinking climate engineering categorization in the context of climate change mitigation and adaptation. WIREs Climate Change, 5:23-35. http://dx.doi.org/10.1002/wcc.261

なぜ、どのように「気候工学」(ジオエンジニアリング)に関する研究をするか

わたしは、「気候工学」(ジオエンジニアリング)[2013-11-03の記事参照]に関する研究にかかわっている。その一部は、環境省の環境研究総合推進費S-10「地球規模の気候変動リスク管理戦略の構築に関する総合的研究」(ICA-RUS) http://www.nies.go.jp/ica-rus/ への協力としてである。気候工学の技術を実際に開発しているわけではなく、その効果、費用、副作用などについての文献調査や数値シミュレーションによる研究だ。

ただし、わたしは、気候工学の実行を積極的に推進しようとしているわけではない。地球温暖化問題の対策としては、温室効果気体排出の抑制 (わたしには納得のいかない用語だが「緩和策」と呼ばれる)と、適応策とを推進するべきだと思っている。

気候工学の実行を推進したくないのであれば、研究もするべきでない、と主張する人もいる。気候工学についての知識が蓄積されると、だれかが実行しようと思ったときしやすくなるかもしれない、という考えは一面でもっともだ。

しかしわたしは次のように考える。政治家などが、「気候工学が実行可能であり効果がありそのわりに費用が安い」という話を聞きつけて提案すると、内容に立ち入った議論がされないまま国の政策として決定されてしまうおそれがある。もし反対論が高まると、気候工学は実際以上に危険なものと認識され、そのさきにもしほかに適切な対策がないとわかったときにさえ実行の決定ができなくなるおそれもあると思う。寺田寅彦が1935年に書いたように[別記事参照]「こわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしい」のだ。気候工学には副作用に未知のところがあり、たしかにこわいのだが、こわさの水準を精密に知ることは不可能だ。それにしても、科学的検討によって、合理的な(寺田寅彦のことばでは「正当」な)こわがりかたの範囲をある程度しぼることはできるだろう。つまり、科学者の立場は政策決定者への助言となるのだが、気候工学に関するかぎりは、科学者側から積極的に構想を詳細化したうえでそれについて評価を示すというよりも、政策決定者側がとりあげた際にその根拠となる知見について「こわがらなさすぎ」「こわがりすぎ」などの評価を示せるようにそなえておくことがおもなのだろうと思う。

【[2013-12-07補足]気候工学を実行する提案が出てくるよりもだいぶ早い段階で、気候工学の効果に楽観的で副作用に「こわがらなさすぎる」ような認識をもって、そのような対策があるのだから「緩和策」を政策として進める必要はないと主張する人が出てきそうだ。科学者としてはそういう提案に対して根拠をもった評価をすることがまず必要になりそうだ。】

なお、「気候工学」というものごとのまとめかたは行きがかり上のもので、内容に即したまとまりではない。このことは倫理学者Jamieson氏もClimatic Change誌の特集[読書メモ]の論文で書いていた。太陽放射管理(SRM)と二酸化炭素除去(CDR)とで、またそれぞれの内でも具体的な方法によって、どこにどのような副作用が生じるかはまったく違う。実行提案されるオプションとして評価するのならば、具体的方法について評価する必要がある。ただし、他のだれかが持ち出す可能性に対して「網をはっておく」のが目的ならば、便宜的だが包括的な気候工学という用語がむしろ適当なのかもしれないと思う。

研究の過程では、気候工学を「緩和策」・適応策とともに選択肢に含めて費用便益分析のようなことをするかもしれない。しかし、それを、気候工学を導入するオプションが正味の便益が最大となるならばそれを採用すべきだ、というふうに解釈されうる形で提示することは避けたい。費用便益分析の中に持ちこめない倫理やガバナンスにかかわることがらも入れた評価をしなければならない。

SRMでは、もし全球平均地上気温を指標とした意味で温暖化を打ち消したとすると、低緯度では冷やしすぎとなり高緯度では温暖化が残る。降水量の変化は予想がむずかしいがどこかの地域では減るだろうから水資源の不足をもたらす可能性がある。ところが、気候変動の対策を評価するための統合評価モデルの気候の部分は、気候の構造を単純化して表現していることが多い。たとえば、気候変化は全球平均地上気温の関数とみなしてしまうことがある。ところが、このようなモデルではSRMは(温暖化をすなおに打ち消す形で表現されるので)いいことづくめに見えてしまう。大まかなものであってもSRMの効果の定量的評価を示すには、少なくともいくつかの緯度帯に分けた気温と降水量を含めた気候の表現をする必要があるだろう。

CDRは、気候に対する効果に限れば、強制を減らすことであり、「緩和策」といっしょに扱ってよい。しかし、大気から取り除いた二酸化炭素をどこに持っていくかが重大問題で、おそらくその行き先での生態系へのインパクトが無視できないだろう。また大気からの隔離が破れるリスクを考えておく必要がある。こういう問題は検討された例が少ないし、これから検討するにしても具体的な場所・規模を決めないとあまり精密な議論はできないだろうと思う。「こわがらなさすぎ」とも「こわがりすぎ」とも言いきれない評価の幅はなかなか縮められないかもしれない。縮めることよりもむしろ、その幅を示すことができるようにしておくことに意義があるのだろうと思う。

【ICA-RUS研究プロジェクトの研究集会で、ゲストの研究者から、ICA-RUSでの気候工学の扱いかたに関する批判的コメントがあり、プロジェクトメンバーからの応答があった。わたしは発言に至らなかったのだが、そのとき考えたことを整理しなおしてここに書いた。批判的コメントを、わたしは当初、価値判断的な意味で気候工学を「緩和策」と同列に扱わないほうがよいということだと解釈して考え始めてしまったのだが、あとの話も聞くとむしろ、SRMを統合評価モデルで単純に扱ってその結果を提示するとSRMに対して楽観的評価になるおそれがあるという指摘であるようだった。】

ジオエンジニアリング、気候工学、意図的気候改変

2013年9月27日、IPCC第5次報告書(第1部会の部)が発表された際の日本の文科省経産省気象庁環境省共同報道発表文(http://www.jma.go.jp/jma/press/1309/27a/ipcc_ar5_wg1.htmlからリンクされたPDF) には「ジオエンジニアリング」ということばが出てくる。これは暫定的な表現で今後変わる可能性もあると思う。この用語がさすことがらが別の用語で表現されたり、この用語が別の意味で使われることがあるので、整理しておく必要を感じる。(この記事では、この用語で表現される対象の詳しい内容やその是非の評価には立ち入らず、おもに用語について述べる。)

このかたかな語のもとは英語の「geo-engineering」(仮にハイフンを入れたが、実際には入れないほうがよく見られる)で、大まかには「地球に関する工学」を意味するといえる。

この語は、地球温暖化問題の文脈では、2006年ごろからたびたび現われるようになった。地球温暖化の対策として、大きく分けて、起きてしまった気候の変化に適応すること(「適応策」)と、二酸化炭素の排出をはじめとする温暖化の原因を減らすこと(mitigation、わたしには納得のいかない用語だが日本語圏での慣用として「緩和策」と言われる)が考えられてきたが、このほかにもっと積極的に気候に働きかける技術的対策が必要かもしれないという議論がある。まだ確立した技術ではなく、重大な副作用の心配もあり、実際に使えるものかどうかはわからないのだが、ともかく対策の第3の部分とみなして議論を始めようということで「geoengineering」と呼ぶことにしたのだ。
IPCCでは、2007年に出た第4次報告書ではこれを明示的に扱わなかったが、2013年から2014年に出る第5次報告書に向けて、2011年に専門家会議を開き、geoengineeringのどのような側面をそれぞれ3つの部会のいずれが扱うかを相談した。そのうち第1部会の部分がこの9月に公表されたのだ。

この意味でのgeoengineeringは、大きく2つの違った対策に分けられる。
第1は、大気中から温室効果気体(すべてではないがおもなものは二酸化炭素)を取り除いて大気以外のどこか(おそらく海底下を含む地下)に移すことで、「CDR = carbon dioxide removal、二酸化炭素除去」と呼ばれることが多い。これは温暖化の原因を減らすことなので「緩和策」と明確な境目はないのだが、便宜上、燃焼排気からの除去は緩和策、大気からの除去はgeoengineeringと、しわけている。
第2は、温室効果気体の増加には手をつけず、別の手段で地球の気候システムのエネルギー収支に干渉することである。そのすべてではないがおもなものは太陽光の反射をふやすことなので、「SRM = solar radiation management、太陽放射管理」と呼ばれることが多い。これは確かに緩和策とも適応策とも違う。

もう少しだけ詳しい説明は、環境省の研究プロジェクトの昨年度報告書(http://www.nies.go.jp/ica-rus/ICA-RUSレポート2013) 中にある(わたしも協力者として関与している)。ただしそこでは「気候工学」という用語を使った。この用語は、杉山・藤原・西岡(2011)の解説や杉山(2011)の本にならったものである。

英語で本の題名などで「geoengineering」を調べると、この意味のほかに、トンネルを掘ることなど、岩石圏を扱う技術の意味で使われていることがある。土木工学と重なる部分が多いが、地下資源や地熱の利用など地質学の応用や鉱山学に関連すると思われる内容もある。おそらく、地球温暖化の文脈での使われかたよりもこちらのほうが古い。したがって、これとの衝突を避けるため、地球温暖化対策のほうは「climate engineering」または「climate geoengineering」とする人もいる。

日本語の「地球工学」という表現も、これと似た意味の広がりをもつ。たとえば、電力中央研究所には岩石圏を扱う「地球工学研究所」がある(ただし英語名ではgeoengineeringではなくふつうは土木工学に対応するcivil engineeringとしている)。杉山昌広さんは、電中研(の、これとは別の研究所)に勤めているので、気候に関するgeoengineeringの日本語での表現として「地球工学」は意識的に避けて、「気候工学」を選んだのだった。わたしも杉山さんに合わせてこれを使うことが多くなっている。

しかし、また考えてみると、「金属工学」が「金属を資源として使う工学」であるように、「気候工学」は「気候を資源として利用する工学」という意味で使うべきことばではないか、という気もする。とは言うものの、いまさらこの意味で使うと混乱するので、こちらは「気候利用工学」などと表現しようと思うのだが。

わたしがいろいろ考えてみて、「気候に関するgeoengineering」の内容に実質的にいちばんふさわしいと思う表現は「意図的気候改変」だ。英語では「intentional climate modification」または「deliberate climate modification」となるだろう。後者は熟慮して実行されるという意味になりうるので、だれかが熟慮せずに実行してしまう可能性まで含める場合は前者の表現が適当かと思う。この表現はSMIC (1971)の本の題名として知られた「意図しない気候改変」(inadvertent climate modification)という表現を下敷きにしたものだ。(この「inadvertent」の「in-」は否定のはずだが、それをはずした「advertent」を持ち出してもたぶん聞き手に通じないだろう。) 二酸化炭素排出による温暖化は人間活動による意図しない気候改変(のすべてではないがその典型的なもののひとつ)であり、(CDRの位置づけは微妙だが) SRMは人間活動による意図的な気候改変によってそれに対抗するものなのだ。

文献

  • Study of Man's Impact on Climate (SMIC), 1971: Inadvertent Climate Modification. MIT Press. ISBN 978-0-262-69033-1.
  • 杉山 昌広, 2011: 気候工学入門 ― 新たな温暖化対策、ジオエンジニアリング日刊工業新聞社, 197 pp. ISBN 978-4-06696-2. [読書メモ]
  • 杉山 昌広、西岡 純、藤原 正智, 2011: 気候工学(ジオエンジニアリング). 天気 (日本気象学会), 58, 577 - 598. http://www.metsoc.jp/tenki/pdf/2011/2011_07_0003.pdf

AGU GC53Dほか: 気候工学 (気候改変技術、ジオエンジニアリング)

AGU Fall Meeting [前の記事参照]から。

地球温暖化を軽減するには二酸化炭素などの温室効果物質の排出を減らすのが本筋であり、それは「緩和策」と呼ばれている。もっとあらっぽい方法で地球温暖化を軽減しようとする方法をgeoengineeringということが多いが、このことばはトンネルを掘る技術などもさすので、とくに気候関係の...ということでclimate geoengineeringという表現も使われている。日本語では、わたしはこのごろ「気候改変技術」という表現を使うことが多いが、ここでは杉山昌広さんに合わせて「気候工学」という表現をしておく。

気候工学の提案は、大きく分けて

  • 気候システムの放射エネルギー収支を変えようとするもの
    • その大部分は太陽放射の反射をふやすものであり「太陽放射管理」(solar radiation management、SRM)と呼ばれる
  • 大気中の温室効果気体の量を変えようとするもの

がある。

今回わたしが発表したポスター(杉山さん、黒沢厚志さん、都筑和泰さん、森山亮さん、石本祐樹さんと共著)は、SRMのうちとくに成層圏への硫酸エアロゾル注入について、実行費用の見積もりと、さまざまなリスクの可能性の列挙をしたものである。これを「Confronting the Prospects of a +4°C World」というセッション[次の記事参照]に出した。われわれの調査は、環境省環境研究総合推進費の「地球規模の気候変動リスク管理戦略の構築に関する総合的研究」http://www.nies.go.jp/ica-rus/ の一環であり、地球温暖化を「危険」が発生しないレベルに抑制できそうもないという認識のもとで、気候変動のリスクと対策のリスクをあわせて評価する際に、対策のうちに気候工学も入れておくべきだという考えによるものだったからである。このセッション(口頭発表はGC51H、ポスターはGC53C)のうちには、ほかにも気候工学に言及する発表はあったけれども、それを主題にするものはわれわれの発表だけだった。

気候工学に関する発表は「Climate Engineering and Carbon Sequestration Monitoring」(口頭発表はGC53D、ポスターはGC51A)に集中していた。

ただし、このセッションの主題は二酸化炭素回収隔離貯留(CCS)のモニタリングも含んでいた。これは二酸化炭素を送りこむ先としての地層の適性の判断や、送りこまれた結果として地層のすきまに二酸化炭素がどのような状態でたまっているか、漏れていないか、などを測定する技術に関する話題だった。ふつう緩和策に含める燃焼排気からの二酸化炭素回収と、気候工学のうちのCDRに含める大気からの回収との両方にかかわりうるものだが、どちらかというと前者を想定していると思われた。Daley (Lawrence Berkeley Lab)が石油増進回収に伴って発達してきた地下モニター技術と現在の課題をレビューした。その他の発表は具体的な技法に関するもので、地震波の応用が多かった。

明らかに気候工学に関する発表は、放射収支を変えようとする技術に関するものだった。

Kristjansson (Oslo大学)は、雲を操作する方法のうちで、凝結核をふやして下層雲の雲粒を細かくすることによって太陽放射をふやす方法(SRMの一種)のほかに、氷晶核を与えて上層雲(巻雲)の雲粒を大きくして熱赤外放射収支を変える(温室効果を減らす)方法についても、数値実験に基づいて論評していた。

そのほかはみなSRMに関するものだった。

Kravitz (Carnegie Institution)が、多数の気候モデルチームが参加したGeoMIP (http://climate.envsci.rutgers.edu/GeoMIP/ )のG1実験の結果を報告した。これの設定は二酸化炭素濃度4倍の温暖化を全球平均で打ち消すように「太陽定数」を変えるというもので、反射をふやす実際の技術を特定していない。基準となる(現在の)気候に比べて、低緯度で低温、高緯度で高温になる。降水量は少なめになる(対流圏の成層が安定化するので)。火山噴火後の経験などから「モンスーンが弱くなる」ことが期待されたが、実験結果ではインドやサヘルの6-8月の降水量には決まった傾向は見られない。G1実験の想定は定常応答を見るものなので火山噴火への過渡応答と違うのかもしれない、と言っていた。(ただし図を見ると東南アジアで降水量が減っている。このことを質問者が指摘し、講演者も今後検討が必要だと言っていた。)

Bala (Indian Institute of Science)は、成層圏エアロゾル注入の緯度分布を変えることによってよりよく温暖化を打ち消すことを想定した大気大循環モデル実験結果を報告した。McCuster (Univ. Washington)は、SRMを停止したときの急な温度上昇を定量的に示した。Tilmes (NCAR)は、成層圏エアロゾル注入が行なわれたという想定のもとで、ハロゲンを含む分子との反応によって成層圏オゾンの変化が大きくなりうることを示した。

ポスターでは、海水を噴霧して海塩粒子をふやすことによって下層雲を操作する技法に関する発表が複数あった。Latham (NCAR/Manchester大学)を含むグループの発表が目立った。Stevens (Dalhousie大学)は、エアロゾル粒子の併合に関する理論計算により、適切な数の凝結核を与えることはなかなかむずかしく、すなおにやると5分以内に個数が半分くらいになってしまうと言っていた。また、海上だけ雲をふやすと海陸間の熱的コントラストが変わり循環が変わることも(未検討だが)心配だと言っていた。

海洋鉄散布が実行されてしまった

大気中の二酸化炭素などの増加による温暖化は意図しない気候改変だが、これを打ち消すために意図的な気候改変をするべきだという提案がある。英語では geoengineering と言われることが多いが climate engineeringとも言われる。日本語では「気候工学」で知られるようになってきた。これには、地球のエネルギー収支に介入するものと炭素循環に介入するものがある。炭素循環への介入のうちに、海洋のプランクトンにとって栄養となるものをまくことによってプランクトンによる二酸化炭素吸収を活発化させようというものがある。栄養としてまずあげられたのは鉄だ。

2年前までの気候工学の状況は杉山ほか(2011)の解説があり、海洋鉄散布の部分は、その実験(ただし基礎科学的なものであり直接に気候改変を意図したものではない)に参加したことがある西岡純さん(北大低温研)が執筆している。

その解説にも書かれているが、海洋汚染に関するロンドン条約の2008年の締約国会議で、科学実験以外の海洋施肥は禁止された(ただし拘束力のない決定である)。さらに、2010年の会議で、科学実験に関しても環境アセスメントなどの手続きが必要だとした。一方で、気候工学の基礎としての海洋施肥の効果を評価しようとすれば、プランクトンの状態に目に見える変化を起こす規模の実験をする必要があるが、他方で、環境アセスメントで実験が生態系に無害であることを示さなければならない。これは事実上とてもきびしい条件で、それ以後、(沿岸でない外洋での)海洋施肥の実験は行なわれていないはずだ。

【なお、気候工学を意図した海洋施肥に関する最近の総説としては、武田重信さん(長崎大学)が共著者に加わっているWilliamsonほか(2012)のものがあるそうだ(わたしはまだ読んでいない)。】

ところが最近、海洋への鉄散布が実行されてしまった。次のような報道がある。

カナダの西、Haida Gwaii諸島周辺に、鉄を含む粉のようなものが100トンまかれた。(Guardianは硫酸鉄としているが、CBCによると違うそうだ。) 植物性プランクトンの増加が、衛星画像で、1万平方キロメートルの面積に見られるという(偶然の可能性もある)。

今回の鉄散布をやったのは Haida Salmon Restoration Corporation (http://www.hsrc1.com )という法人で、事業の説明は「The Haida Salmon Restoration Project: The Story So Far」(2012年9月)という文書[PDF (東京大学にあるコピー)]に書かれている。減ってしまった魚とくにサケの漁獲をふやすために、プランクトンにとっての栄養とくに鉄を補う必要があるという主張になっている。

ところがこの法人のchief scientistをなのっているRuss Georgeという人は、もとPlanktosという会社をやっていた。Kintisch (2010)の本に詳しく書かれているが、Planktosは海洋施肥による二酸化炭素吸収ができると主張し、地球温暖化対策として炭素市場ができる際に吸収量クレジットを売ると宣伝していた。そして、海洋で実験を始めようとした。これに不安をもつ地元の反対があって、ロンドン条約締約国会議できびしい規制ができるのに至ったのだった。Planktosの乱暴なやりかたのせいで、注意深い海洋施肥の実験もやりにくくなってしまった。

Planktosのウェブサイトはwww.planktos.comだったらしく、もうひとつwww.planktos-science.comというものも見つかるが、どちらも、海洋施肥を説明したページもいくつかあるものの、関係ないページがつけ加えられ、荒れ果てた感じになっている。検索してみるとSteve Kerryさんの個人ブログ「Iron Fertilization News」(これも最近あまり更新されていないが)にPlanktos Announces Resignation and Release of CEO and Employeesという記事(2008年4月3日)があった。それによれば、Planktosは2008年3月で活動を止め、事実上だれもいなくなったらしい。【[2012-10-27補足] そののちあらためて始めたのがPlanktos Scienceだそうだ。KerryさんのブログのBreaking News: Planktos Restartsという記事(2008年7月6日)がある。Planktos Scienceは、炭素吸収creditではなく海洋生態系の健全さをとりもどすことを目的とし、その手段として鉄分をまくのだと言っている。しかし、ウェブサイトには、このメッセージを出したあとは資料も議論も追加されず、無関係と思われるリンクだけが追加されている。それでわたしは上に述べたように「荒れ果てた」と形容したのだ。】

今回の鉄散布は二酸化炭素吸収ではなく水産資源が目的とされているが、海洋生態学のきちんとした検討をしたうえでの計画とは思えない。地球環境保全にとってこのような個別事業体のぬけがけは規制する必要があると思うが、強制力のある規制手段がないのが困ったことだ。(今回の場合はカナダの国内法で規制されることはあるかもしれない。注意して見ておきたい。)

文献

  • Eli Kintisch, 2010: Hack the Planet. Wiley. ISBN 978-0-470-57426-8.
  • 杉山昌広, 西岡純, 藤原正智, 2011: 気候工学(ジオエンジニアリング)。天気 (日本気象学会), 58, 577-598. [pdf]
  • Phillip Williamson, Douglas W.R. Wallace, Cliff S. Law, Philip W. Boyd, Yves Collos, Peter Croot, Ken Denman, Ulf Riebesell, Shigenobu Takeda, Chris Vivian, 2012: Ocean fertilization for geoengineering: a review of effectiveness, environmental impacts and emerging governance. Process Safety and Environmental Protection, in press. http://dx.doi.org/10.1016/j.psep.2012.10.007 [要旨は無料、本文は有料。わたしはまだ読んでいない。]

[2012-11-10追記]
2012年10月27日、北緯52.742°、西経132.131°でマグニチュード7.7の地震があった。アメリカ地質調査所発表 http://earthquake.usgs.gov/earthquakes/recenteqsww/Quakes/usb000df7n.php
この場所は地震のニュースではQueen Charlotte諸島付近とされているが、この諸島はHaida Gwaii諸島と同じところだ。イギリスの植民者がつけた名まえから先住民が使っていた名まえにもどす動きがあるが、両方が使われているということなのだろう。
海洋鉄散布が原因となって地震が起こるという因果関係は科学的にありえないが、心情的には「海の怒り」のようなことを感じる人がいるかもしれないと思う。

バイオCCSのテクノロジーアセスメントが急務だ

大気中の二酸化炭素濃度が400 ppmを越えたという報道を聞いた。ローカルな人間活動の影響が小さい個別の地点での観測値だそうだが、全球平均値で越える日も近いだろう。

温暖化をくいとめるために、二酸化炭素濃度はこのくらいのレベルにとどめたい。もっと低く、たとえば350 ppmでなければならないという人もいる。しかし、化石燃料消費はそう簡単にはやめられない。自然の二酸化炭素吸収もあるとはいえ、21世紀末までに今のレベルにもどすためには、人工的に大気中の二酸化炭素を吸収してどこか(たぶん地下)に隔離するしかなさそうだ。

工業的な大気二酸化炭素回収技術も世界ではいくつか試みられているが、まだ実用になるかどうかわからない。定性的には確実なのは生物の力を借りる広い意味の「バイオCCS」だ。(CCSは「二酸化炭素回収隔離貯留」。) これは次のように分かれる。

  • 狭い意味のバイオCCS。バイオマスを燃料として使い、そのとき出る二酸化炭素を回収して隔離貯留する。
  • 炭(すみ)による隔離。バイオマスの一部を燃料として使うのをあきらめて炭にして地中に埋める。(一部は炭をつくる際の燃料として消費され、おそらく二酸化炭素を大気中に排出するが、いわゆるカーボン・ニュートラル資源の消費となる。)
  • 生物遺体埋没による隔離。野外の環境で生物体が堆積物中に埋没するのを、人為的に促進する。

いずれにしても、次のような限界がある。

  • すでに人間は、食料や木材などの資源を得るために、地球上の生物の光合成能力のおよそ半分を使ってしまっている。さらに多くの割合を人間の目的に役立つようにしむけても、地球の生物圏は健全さを保っていけるのか。
  • とくに、二酸化炭素収支にとっての「自然の吸収源」はこの自然の生物圏の能力に期待したものだ。バイオCCSのために土地利用を変更した結果、自然の吸収源がそこなわれるならば、バイオCCSの効果はそれだけさしひかなければならない。
  • 隔離は持続しなければ意味がない。放射性廃物の場合のように厳重でなくてよく、少しずつもれるのは(直接の害がなければ)かまわないが、大部分がおよそ千年の桁の時間にわたって隔離され続けてほしい。この条件を満たす土地を確保することは簡単ではない。

このように考えると、まず、現在の化石燃料消費をそのままにして、その二酸化炭素をバイオCCSで吸収しようというのは無理な注文にちがいない。それでは、どれぐらいまで減らせば引き受けられるのか。まず見積もって見ることが必要だ。

そう言いながらも、自分がその研究にとりかかる決意はできていない。(今の能力ではできず、能力を身につけることを他の仕事よりも優先する決意ができていない。) しかし、そのような研究がされているという情報を集め、それぞれの主張の裏づけがしっかりしているかを考えるところまでは、やりたいと思う。

【[2018-04-14補足] この記事で「バイオCCS」と書いたことがらは、「バイオマスを利用してその過程で出る二酸化炭素あるいは炭素を閉じこめる」ことで、いま(2018年)では BECCS と呼ばれることが多くなっています。これは英語のBiomass Energy Carbon dioxide Capture & Sequestration (SがStorageであることなど、部分的にちがうこともある)の略です。狭い意味の BECCS では、バイオ燃料の生産または燃焼で出る二酸化炭素を人工的に地下に導いて閉じこめます。

他方、「バイオCCS」ということばは、地下の生物に頼って、二酸化炭素に由来する炭素を含む物質を地下で動きにくい形にすることをさすこともあります。2012年にこの記事を書いてから1年くらいのうちに、そちらの話も聞いたのですが、別の話題なので記事に書きこみませんでした。同じ用語がちがう意味に使われるという点では注意が必要だと思うので、補足しておきます。】

二酸化炭素回収隔離貯留(CCS)について考える時だ。しかしだれが言い出すかがむずかしい。

地球環境問題は気候変化だけではなく、気候変化は温室効果の強化による温暖化だけではない。しかし、現代の人間社会は気候変化に対して弱いので、温暖化をなるべく小さく食い止めるべきだ。その対策の本筋は、化石燃料の消費を減らすことだ。これは、現代の人間社会のもうひとつの弱点を克服することにもつながっている。

しかし残念ながら、人間社会は化石燃料の消費を簡単に減らせそうもない。そこで、化石燃料を消費はするが、二酸化炭素を大気中に出さない、という手段をとる必要があるかもしれない。そのための技術は「二酸化炭素回収貯留(CCS, carbon dioxide capture and storage)」または「...隔離 (sequestration)」と呼ばれている。これは、炭素を気体以外の形にしてどこかに閉じこめる技術であり、エネルギー資源をつぎこむ必要がある。多くの場合エネルギー資源としては化石燃料が想定されるので、隔離貯留される部分を含むCO2排出量はふえる。ただし大気への排出量に限ってみれば減る。

今の状況についてのわたしの認識を簡単に述べると、

  • CCSは技術的にはいちおう可能なのだが実行されるまでにはもっと改良される必要がある。
  • 化石燃料を使う企業が実行に踏み切るためには、大気中にCO2を出すと損になるような制度が必要だ(そうでなければ株主の利益に忠実な経営者はCCSを使わない)。
  • 安全性や環境の面で無害と言いきれるものではなく、CCSの実行と大気中にCO2を出し続けることとどちらがよいかという比較価値判断が必要。

. . .
CCSという技術は、CO2をつかまえること(回収)、輸送、それをどこかに置くこと(貯留あるいは処分)から成り立つ。またそれが確実に行なわれるかのモニタリングも付随する。

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回収するもとに注目すれば、燃焼排気からの回収[注]と、空気からの回収がある。従来、IPCCなどの場で、燃焼排気からのCCSは、地球温暖化に対するmitigation (定訳は「緩和策」、わたしは「軽減策」としたい)の内に位置づけられ、空気からのCCSは(CCSという略語を使った対象にはふつう含まれず)、いわゆるgeo-engineering (杉山昌広氏の表現によれば「気候工学」、わたしは「気候改変技術」としたい)の一種とされてきた。しかし燃焼排気からにしても空気からにしても貯留・処分の段階は同じになるので、わたしは、両方を含めてCCSとして扱うことにしたい。(また、mitigationとgeo-engineeringとは部分が重なりあう概念と考えたほうがよい。未確認情報だが、IPCCでも今後の議論ではそのように扱われることになりそうだ。)

  • [注]燃やす前の燃料を改質(化学変化)して炭素と水素などとを分離する方法も含む。

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貯留・処分の先に注目すれば、大隅(2010)が図1に示しているように、次の4つが考えられる。(順序は、置いたあと管理の必要が大きい順。)

  1. 地上、固体(ドライアイス)。Seifritz (1993)。
  2. 海底上、液体。
  3. 地中(海底下を含む)、超臨界流体。
  4. 海洋、海水に溶解させる。Marchetti (1976, 1977)。

1番はあまり研究されていない。今後何百年にもわたって管理を続けなければならないことが明らかなので現実的でないと考えられているようだ。

2番と4番は合わせて「海洋隔離」と呼ばれてきた(わたしは2番を「海底貯留」、4番を「海洋希釈」と呼びたい)。地球温暖化対策として最初に述べたのはNordhaus (1975)らしい。

2番は、水深約3km以上の深海底上に液体のCO2を置くもので、その場の底生生態系に対しては致命的打撃になるが、海底のくぼ地を利用すれば広がりは局限できる。また海水との間に壁はないので海水への拡散は起こるが、それはゆっくりしたものだ。

他方4番は、水深約1km程度の海洋中層の水中にCO2を溶解させるものだ。適切な方法で放出すればまわりとの濃度の差は小さくできる。環境へのCO2排出を減らすものではなく、行き先を変えるだけだ。今までどおり大気中への排出を続ければ、長期的に落ち着くと予測される海洋中の濃度に比べて、短期的に海洋表面近くで濃度が高くなり、大気中の濃度が下がりにくくなるうえに、表面近くの生物に対する海洋酸性化による打撃が大きい。中層への排出は(人為起源のCO2への応答として)自然に起こる混合を人工的に速めることとも考えられる。人間が環境にインパクトを与えることは避けられないとしたうえで、どのような形にするのが総合的に望ましいかの選択の問題だろう。

3番は「地中貯留」と呼ばれることが多い。石油・天然ガス採掘の現場では、何かを入れて石油やガスを押し出す「増進回収」技術がいろいろくふうされており、そのうちにはCO2を入れるものもある。油田・ガス田は気体を閉じこめる地質構造になっているのがふつうだ。したがってCCSとしても油田・ガス田を行き先とするものはすでに確立された技術と言ってよい。

しかし燃焼の現場の近くにいつも油田・ガス田があるわけではない。そこで、帯水層にCO2を入れることが考えられている。日本の地質調査所(のち改組されて産総研)の小出仁氏が1992年に提案した(Koideほか, 1992)のが世界最初らしい(Toth 編 2011のKoide and Kusunose論説; 大隅, 2009)。ノルウェーがSleipnerで実行しているのは、天然ガスに含まれるCO2を分離して帯水層に注入しているのだ。日本では長岡で実験が行なわれている(地学雑誌, 2008; 住・島田 編 2009の第4章)。

CO2の地中貯留は核廃物の地層処分と同類だ(Toth編, 2011)。質量あたりの害は小さいが、質量が大きい。核廃物の場合は隔離の条件がそろったところを選ぶことになるが、CO2の場合はそれほど完全でないところも使わなければならないかもしれない。

IPCC (2005)の報告書では海洋隔離と地中貯留が一見公平に扱われているのだが、それを機会にCCS研究は圧倒的に地中貯留に傾いてしまった。CCSの議論に加わる少数の人々のうちで、化石燃料採掘関係者は油田・ガス田で実行したいと考え、環境保護運動家は海洋生物へのインパクトを重視したからかもしれない。海洋汚染に関する国際法であるロンドン条約・ロンドン議定書の締約国会議で2009年に海底の地下へのCO2注入は明示的に認められたが、海水中への意図的放出は議論されておらず事実上禁止されているともみられる。地中貯留に適した構造の乏しい日本では海洋隔離の研究は続けられているものの、その野外実験さえ、国際的合意を得る見通しがないようだ。

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さて、今、CCSの実行に関しての社会的合意をすぐには得られないだろう。しかし、将来も実行しないと決めてしまう合意も得られないだろう。将来合意に至るための材料を得るためにも、その技術、費用、環境影響に関する研究を進める必要があるのではないだろうか。ここで新技術のリスクがゼロであることを求めてしまうと、検討は進まず、今までどおりの社会のしくみを維持するしかなくなる。しかし今までどおりのやりかたのリスクもゼロではない。比較してどちらがよいとするかも価値観によるが、それを公共の場に出し合ってどの方策がよいかを考えるべきだと思う。

人工物として決められた基準を満たすように設計された原子力発電所でも、その計算の際に想定されたよりも大きい地震があればこわれた。あと知恵ではもうひとまわり大きい地震を想定することも可能だが、あらかじめ見通せない(ほかの)危険のたねもあるだろう。CO2が押しこまれた地層や、液体CO2が置かれた海底は、人工的に改変されてはいるが自然物でもあり、異常事態の予測は人工物の場合よりもむずかしい。地震をきっかけに閉じこめが崩れる可能性だけ考えても、原子力発電所の事故の可能性よりも低いとは言えないだろう。異常事態はありうるものとしてそれでも事故にならないように設計しておく必要があるのだ。カメルーンのニオス湖でCO2の自然の噴出によって人が死んだのと同種類の事態はあらかじめ想定して防げると思うが、ほかにどのような事態を想定したらよいだろうか。この評価が定まらないうちは、自分の住むところのそばにCO2貯留場所を作ってほしくないといういわゆるNIMBY (not in my back yard)感情が止められないだろう。また、世界のCO2排出抑制への貢献としても不確かさが大きいとされるだろう。

海洋希釈ならば、溶解させるまでの作業過程での事故はありうるものの、溶解してしまったあとの問題は、海水全体としてのCO2濃度が高くなることに伴う問題だけになる。どこかの地域・海域に集中的に迷惑をかけることは起こりにくく、NIMBY型の反対は起こりにくい。しかし、考えようによっては世界のすべての人が当事者だ。放射性物質を含む排水の件で「たとえ結果としてより大きな害を防げるとしても、有害物を意図的に排出するのは悪いことだ」という倫理的主張が聞かれたが、もしこれが有力な考えになるとすれば海洋希釈案は封じられることになる。

まずは、こういった議論を立場の違う多くの人の間で進め、そこになるべく正確な技術評価・環境評価の知見を入れていく必要があると思う。ただし、このような議論をだれが中心になって進めるかがとてもむずかしい。推進しようと思っている勢力が形を整えるために影響評価するのではいけないし、実際そうでなくてもそう思われるのはまずい。ただし、(原子力の件で最近よく聞かれるような)絶対反対の人以外はみな推進派とみなすような人々の言うことをきくと、みんなが納得する人選はありえなくなってしまう。反対自体が信念ではなく反対意見に至る理屈を持っている人にはいってもらうべきだろう。今日本ではCCSの研究の大部分をになっているのは経済産業省傘下の機関の人々で、研究者としての倫理感は高いと思うが、是非にわたる議論を起こす主体としては不適任だろう。では文部科学省、内閣府、あるいは環境省ならばよいだろうか。国家権力と関係のない主体でないといけないだろうか。[2011-08-22、2011-08-26追記: 核廃物の話題の本だがJohnson (2008)参照。議論を起こす主体は排出責任をもつ者であっても、議論の場のつくりかたによって公正さを高めることはできるかもしれない。]

文献

https://www.ipcc.ch/report/carbon-dioxide-capture-and-storage/
http://www.ipcc.ch/publications_and_data/publications_and_data_reports.shtml#2 にある [2019-01-17 リンクさき変更]。

  • Genevieve Fuji Johnson, 2008: Deliberative Democracy for the Future: The Case of Nuclear Waste Management in Canada. University of Toronto Press. ジュヌヴィエーヴ・フジ・ジョンソン 著, 舩橋 晴俊, 西谷内 博美 監訳 (2011): 核廃棄物と熟議民主主義 — 倫理的政策分析の可能性。新泉社, 297 pp. ISBN 978-4-7877-1108-3. [読書メモ]
  • H. Koide, Y. Tazaki, Y. Noguchi, S. Nakayama, M. Iijima, K. Ito and Y. Shindo, 1992: Subterranean containment and long-term storage of carbon dioxide in unused aquifers and in depleted natural gas reservoirs. Energy Conversion and Management, 33, 619-626. http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/0196890492900644 (本文は有料。わたしはまだ読んでいない。)
  • Cesare Marchetti, 1976: On geoengineering and the CO2 problem. IIASA Research Memorandum RM-76-17. International Institute for Applied Systems Analysis. http://www.iiasa.ac.at/Admin/PUB/Documents/RM-76-017.pdf
  • Cesare Marchetti, 1977: On geoengineering and the CO2 problem. Climatic Change, 1, 59-68, doi:10.1007/BF00162777 . http://www.springerlink.com/content/h71588v014051h6k/ (本文は有料)
  • William D. Nordhaus, 1975: Can we control carbon dioxide? IIASA Working Paper WP-75-063. International Institute for Applied Systems Analysis. http://www.iiasa.ac.at/Admin/PUB/Documents/WP-75-063.pdf
  • 大隅 多加志, 2009: CO2の地中貯留技術のコスト低減策と帯水層貯留技術。CO2の分離・回収と貯留・隔離技術 (エヌ・ティー・エス) [読書メモ], 145-167.
  • 大隅 多加志, 2010: 二酸化炭素を大気から隔離するCCS技術。JGL (日本地球惑星科学連合ニュースレター) 6(2), 3-5. http://www.jpgu.org/publication/jgl.html にニュースレター一覧、その先にPDF版がある。
  • Walter Seifritz, 1993: The terrestrial storage of CO2 dry ice. Energy Conversion and Management, 34, 1121-1141. http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/019689049390061E (本文は有料) [なお、IPCC (2005)の文献リストにあげられたSeifritz (1992)という文献にはたどりつけなかった。]
  • 住 明正、島田 荘平 編著, 2009: 温室効果ガス貯留・固定と社会システム。 コロナ社, 231 pp. ISBN 978-4-339-06614-2 [読書ノート]
  • Ferenc L. Toth ed., 2011: Geological Disposal of Carbon Dioxide and Radioactive Waste: A Comparative Assessment. Dordrecht: Springer, 621 pp. ISBN 978-90-481-8711-9.

気候改変技術(いわゆるジオエンジニアリング)についての暫定的問題整理

IPCCの3つの部会にまたがる「geoengineering」に関する会合が、2011年6月20日から22日までペルーのリマで開かれた。日本からは杉山昌広さん(「気候工学入門[読書メモ]の著者)が出席した。28日にその報告会があった。

この専門家会合は、2013-14年に出版予定のIPCCの第5次報告書でgeoengineering (杉山さんの日本語表現で「気候工学」)の件をどのように扱うかを相談するものだ。Geoengineeringの件は3つの部会の報告書のすでに決まっている目次のあちこちに分散して含まれることになる。これだけでは読者に問題が伝わりにくいので、統合報告書の中で論じることなどが検討されているそうだ。

正確なことは会合の正式な報告を待たなければならないが、「何をgeoengineeringとみなすか」の範囲が、これまでの習慣と少し変わるようだ。

Geoengineeringは大きく分けて、太陽放射管理(SRM、太陽光の反射をふやすこと)と二酸化炭素除去(CDR)がある。燃焼排気からの二酸化炭素回収隔離貯留(CCS)と、植林は、CDRに含めてよいはずだが、これまでの慣例ではmitigation (「緩和策」)に含まれてgeoengineeringとはみなされない。しかし、空気からの二酸化炭素回収隔離貯留と、海洋に栄養塩を与えて植物の炭素吸収を促進することはgeoengineeringに含まれてきた。

【[2011-06-30補足]「CCS」という略語は、少なくともIPCCの2005年の特別報告書で使われた形では、carbon dioxide capture and storage であって、sequestration (隔離)ではない。】

今回の会議の議論では、geoengineeringとmitigationとは重なりうることになったらしい。CDRはmitigationであり、その一部はgeoengineeringでもあるのだ。そして、空気からの二酸化炭素回収はgeoengineeringからはずされることになりそうだ。他方、炭素隔離貯留のうち行き先が海洋(海水中)になる場合はgeoengineeringに含めることになりそうだ。(実は地球温暖化がらみでgeoengineeringということばが最初に使われたのはこの件(Marchetti の1976年の非公式文書・1977年の論文)なので、もとにもどるだけだとも言える。)

以下、杉山さんの報告から離れてわたしが考えたこと。

Geoengineeringという概念は、あいかわらずわかりにくいが、IPCC・UNFCCCの国際的枠組みにとっていわば「想定外」であった方策をほうりこむ箱のようなものであり、論理的まとまりがないのは当然なのだろう。上記のような範囲の変更がされるとすれば、それは次のように理解できそうだ。二酸化炭素を回収して自国の地下にためることは、成功しても失敗してもたぶん外国に大きな迷惑をかけないですむ。各国がそれぞれ実行したうえで国際条約で評価するという、国単位の国際政治のしくみで対応できる。しかし、海に排出することはすべての国に影響をおよぼす。SRMの目的で大気中にエーロゾルを出す場合も同様だ。そのような策については、是非を判断するだけのためにも、新たな国際政治的枠組みを構築する必要がある。そのことを忘れないための箱を作っておく意義はあると思う。

専門家会合の報告が出たら考えなおすとして、当面、わたしは次のように概念を整理してみたい。

この問題領域の名まえは、わたしが選べる場合は、「気候改変技術」としたい。「地球工学」はもちろん「気候工学」も広すぎる。「気候工学」というときには気候を資源として活用する工学(気候変化適応策と重なるところがある)も含めたい。「気候制御技術」も考えたのだが、人間の知識は気候を意図的に制御できると言えるところに至っていない。

SRMは気候改変技術である。そして、気候変化のmitigationであるとはいいがたい。全球平均地上気温だけに注目した意味での温暖化を打ち消すことができるが、地域・季節に分ければ違った気候変化を起こしてしまうからだ。地球温暖化が1970年ごろから「意図しない気候改変」(inadvertent climate modification)の例とされてきたことと対比して「意図的気候改変」(deliberate climate modification)というべきではないだろうか。

CDRは、これまでgeoengineeringとされたものもmitigationとされたものも、行きがかり上の区分を忘れて整理しなおすべきだろう。その全体を温暖化のmitigation (わたしの用語では「軽減策」)に含めることは概念としてはよいと思う。ただし実施の是非を判断する社会的しくみができているものといないものを含むことに要注意だ。CDRは生物地球化学サイクルに対する改変技術なので、最近の「気候変化予測」をめぐる「地球(環境)システムモデル」という用語に合わせるとすれば「地球(環境)システム改変技術」とでも呼ぶべきかもしれないが、生物地球化学サイクル(のうち少なくとも炭素循環)まで含めて「気候」ととらえて「気候改変技術」と呼ぶことはできると思う。原理的にはすべてのCDRがそれに含まれるべきだが、自然植生と同様な木を植える植林(生態系回復技術とも言える)まで含めるのは不自然な気もする。ひとまずここから下では、CDRのどれがいわゆるgeoengineeringに含まれるかは、あまり問題にしないことにする。

CDRを、まず大きく、植林や海洋栄養塩散布のように炭素の行き先は自然の生態系まかせになるものと、人の管理下に炭素を回収するものとに分けるべきだろうと思う。そして後者は、大気または燃焼排気から回収することに注目されがちだが、炭素をどこに持っていくかに注目してしわけるべきだと思う。地下(海底下を含む)に入れる案は、失敗のおそれはあるが、成功する限りでは「隔離貯留」の名にふさわしいかもしれない。海洋の水中に出す案は、大気に出てくる速度が遅いことはあるものの「隔離」という表現はまずく、「排出先の大気から海洋への変更」というべきではないだろうか。【[2011-06-30補足] しだいにもれていくものであっても「貯留」という表現はかまわないと思うが、ここではわざと避けてみた。】

炭素を炭(すみ)として地中に入れようといういわゆる biochar も、千年くらいの時間スケールで分解しないように密閉するならば「隔離」と言えるが、土壌に混ぜてしまう案は、「炭素の行き先の土壌への変更」というべきだろうと思う。ただしこれは、二酸化炭素ではなく燃料としての価値をもつ炭素を人のために使わずに環境保全のために閉じこめる案であることに注意しておきたい。

杉山さんの話題にはなかったと思うが、CDRの一部として、(遺伝子操作あるいは生物合成によって)二酸化炭素固定能力の高い新しい種類の植物を作る技術が出てくる可能性は考えておく必要があるだろう。この場合も炭素の行き先がどうなるかが問題だ。また、もしその生物が野外に出ると、野生生物や農作物と競争することになって生態系への深刻な影響がありうるし、もし実際に炭素固定能力がとても高いものならば、人間の望むレベルにとどまらずさらに大気中の二酸化炭素を減らしてしまうおそれもあるのではないだろうか(人工生物種自体も自滅すると思うがそれまでにヒトを含むたくさんの種をまきぞえにしかねない。) 人が管理する施設内に閉じこめて使うならば認められる技術だと思うが、それを確実にするために、野外に出たら生きていけないような遺伝子構成にして、施設内で管理して使う、ということが可能だろうか? (有名なほうのAsilomar会議の話題をたどる必要があるかもしれない。)

文献

  • Cesare Marchetti, 1976: On geoengineering and the CO2 problem. Research Memoranda RM-76-17, International Institute for Applied Systems Analysis, www.iiasa.ac.at/Admin/PUB/Documents/RM-76-017.pdf .
  • Cesare Marchetti, 1977: On geoengineering and the CO2 problem. Climatic Change, 1, 59-68, DOI: 10.1007/BF00162777 .

乱暴な温暖化対策はまともな温暖化対策をじゃまするかもしれない

地球温暖化に対しては、適応策と、軽減策の両方が必要だと考えられており、わたしもそう思います。「適応策」は、気候が変化することに対する人間社会の損失を小さくしようとするもので、「軽減策」は、気候の変化自体を小さくしようとするものです。

ここで「軽減策」と表現したものは日本では「緩和策」という用語が標準的に使われますが、わたしはこの用語はわかりにくいと思うので意識的に「軽減策」と表現しています。軽減策の主役は、化石燃料の消費をできる限り減らすことであり、それには、エネルギー需要を減らすこと、エネルギー利用の効率をあげること、エネルギー資源の源を再生可能エネルギーに求めること、の3つとも必要だと思います。

これまで「緩和策」として考えられてきたものだけでは期待するほど早く温暖化をくいとめることができないので、もっと強引な方法が提案されることがあります。英語圏でgeo-engineering (ジオエンジニアリング)と呼ばれることが多く、直訳すれば「地球工学」ですが、この用語は他のこと(たとえば鉱山を掘ること)をさすこともあるので、杉山昌広さんはこれを「気候工学」として、「気候工学入門[読書メモ]という本で解説しています。わたしは「気候工学」も気候適応策の工学まで含みうるので、これを「気候改変工学」と表現しておきたいと思います。

気候改変工学として提案されているものは、大気中の二酸化炭素を減らすものと、地球による太陽放射の吸収を減らすことによって温度上昇をおさえるもの(「太陽放射管理」)とに大きく分けられます。

大気中の二酸化炭素を減らす策は、別の機会に論じたいと思いますが、何を「緩和策」とし何をgeo-engineeringとするかの区別はあまり理屈がとおっていません。これまでのIPCC(気候変動のための政府間パネル)や気候変動枠組み条約締約国会議などでのたまたまの議論のいきさつで決まったもののようです。両者をまとめなおしたうえでそのうちの個別の策の得失を考えていく必要があると思います。

以下わたしの用語では「温暖化軽減策」に気候改変工学的な策も含めています。

太陽放射の反射をふやす策を科学的に論じたおそらく最初の人は、ソ連の気候学者Budyko (ブディコ)です。1974年(日本語訳1976年)に出した「気候の変化」という本で、成層圏のエーロゾル(固体・液体の微粒子)をふやす案を出しています。ソ連国内ではもっと前から論じていたようで、ルーシンとフリート(1971年、日本語訳1974年)の「地球を生かす気候改造[読書メモ]という本でも紹介されています。ただし当時Budykoはむしろ自然および化石燃料起源のエーロゾルが太陽光を反射することによる寒冷化を心配しており、化石燃料起源の二酸化炭素による温暖化を今から見れば過小評価していました。しかし人間社会のエネルギー資源利用が指数関数的にふえると予想し(おそらく核融合が普及すると考えたのでしょう)21世紀末ごろには廃熱による温暖化の軽減策が必要になるかもしれないと考えたのでした。しかしBudykoも1980年(日本語版1983年)の本「気候と環境 -- 過去・未来」では二酸化炭素による温暖化を重視するように考えを変えています。

21世紀にはいって、いくつかの気候改変工学の構想が議論されていますが、そのうちいちばん実現可能性の高そうなのは、やはり、成層圏のエーロゾルをふやすものです。これは大きな火山が噴火した際に起きることと同じなので、経験があることに近いのです。想定されている物質は硫酸で、明らかに大気汚染物質、酸性雨の原因物質ですが、想定されている量では地上の人間や生物への害は無視できるという計算があるそうです。しかし、次のような問題が指摘されています。

  • 大気中の二酸化炭素がふえることによる悪影響は、温暖化によるもののほかに、海洋酸性化によるものがあり、太陽光反射ではこれは軽減できない。
  • 太陽光反射で、温室効果強化による温暖化を全球平均・年平均では打ち消すことができたとしても、地理的分布や季節変化が異なるので、地域的・季節的に大きな気候変化が起こることは防げない。
  • 成層圏に入れたエーロゾルは2年くらいで落下してしまう。温暖化軽減の効果を持続させるためには2年以下の間隔でくりかえし注入する必要がある。経費が払えないなどの理由で中断されたら、2年以内に、それまでにふえてしまった二酸化炭素などによる温暖化が表面化する。
  • 太陽光エネルギー利用のさまたげになる。

この最後の件は、強引な温暖化軽減策が本筋の温暖化軽減策をじゃますることになりますので、重要だと思います。

ちょっと気候の科学(そのうちでの大気放射学)に踏みこむ必要があります。地表に達する太陽放射には、太陽から方向性をもった光線として届く「直達日射」と、大気(雲やエーロゾルを含む)による散乱を受けた結果方向がランダムになった「散乱日射」とに分けられます。大気中で硫酸液滴のような白い(太陽光吸収が少ない)エーロゾルがふえると、地表に達する太陽放射全体としては少し減るだけですが、散乱日射がふえ、直達日射は大きく減るのです。

そして、太陽放射利用のうちで、平らな面(斜面でもよい)で受ける方法ならば直達日射も散乱日射も使うことができますが、鏡やレンズを使って光を集めて使おうとする方法[菊池 隆、堀田 善治 (2011)「太陽熱エネルギー革命」の読書メモ]では直達日射でないと活用できません。

アメリカのNOAA(海洋大気庁)の研究部門のMurphy (マーフィー)という人が、1991年のピナツボ火山噴火のとき直達日射がふだんよりも20%くらい少なくなったという観測例を参照して、これは集光型太陽エネルギー利用への影響が無視できないという論文を書いています。

  • Daniel M. Murphy, 2009: Effect of stratospheric aerosols on direct sunlight and implications for concentrating solar power. Environmental Science and Technology (American Chemical Society), 43, 2784-2786. http://pubs.acs.org/doi/abs/10.1021/es802206b (本文は購読者以外は有料)。

(ちなみにMurphyさんは、地球温暖化に伴う気候システムのエネルギー収支の各項の数値を具体的に計算した論文の著者でもあります。『化学』(http://www.kagakudojin.co.jp/kagaku/ )の昨年(2010年) 6月号のわたしの解説「地球温暖化の考え方」の最後の部分でふれたものです。)