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日本の季節と天気パタン

【この記事は まだ 書きかえることがあります。 どこをいつ書きかえたか、必ずしも示しません。】

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日本語を読み書きしない外国人の留学生と話をした。気象学の基礎知識はあるのだが、日本の事例をあつかうにあたって、日本の季節ごとにあらわれやすい天気パタンについての知識がとぼしいことに気がついた。(日本で育った人ならば中学・高校あたりで習っていたり、生活のなかでテレビ・新聞などから身につけていたりするのだが。)

ここで仮に「天気パタン」としたのは、晴れ、くもり などの「天気」の空間分布ととらえてもよいのだが、むしろ、「天気図」として海面気圧([2012-04-26の記事]参照)の分布地図を示すことを前提に、低気圧・高気圧([2012-04-09の記事]参照)がどのあたりにあるかなどの「気圧配置」のことをさしている。

日本の季節ごとの天気パタンについて、英語で書いたものは、Fukui (1977)があるものの、それより新しいものは、気候学関係の文献のうちでは見あたらない。(天気実務関係などでわたしの知らないものがあるかもしれないが。) 留学生や地域間比較研究をする人のために、英語による解説があるべきだと思う。対象となる空間の広がりを、日本とするか、東アジアとしてその中で日本をも記述するか、という選択の問題もあるが。

今回わたしは、日下(2013)、中村ほか(1986, 1996)などの日本語で書かれた本の図を見せながら、英語で説明をこころみた。その内容を、ひとまず日本語で書きとめておく。短時間で考えたものなので考えがあさいところもあると思う。とくに時間きざみについては、わざとおおまかに月単位の表現にしてある。

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日本の南北のひろがりはかなり大きく、その全体に適用できるように気候を記述するのは簡単でない。ここでは、日本のうちでも人口の多くが住んでいる、北緯31度から37度くらいまでの範囲に対象をかぎる。(その外の地域を軽視するつもりはないが、ひとまずたなあげにする。) これは、九州、中国四国、近畿、中部、関東地方をふくむ。わたしは[2012-11-10「梅雨、秋雨/秋霖」]では「日本東西軸地方」という表現を使ってみた。日本についてくわしくない人に説明する際の表現は central Japan でよいだろうと思っているが、「中部地方」だけではないことに注意する必要がある。

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日本東西軸地方は、年の大部分の期間、温帯の偏西風帯の中にあり、雲・降水をともなう温帯低気圧と、晴れることが多い移動性高気圧が、いずれも西から東に移動していく。低気圧がきてから次の低気圧がくるまでの時間は7日程度だ。この低気圧・高気圧は、上空(対流圏中層の500 hPa面で代表させる)の偏西風の波の谷・峰と一連の構造である。春(3, 4, 5月)と秋(10, 11月)は、この温帯低気圧型と移動性高気圧型の天気パタンがおもにあらわれる。

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冬(12, 1, 2月)には、冬の季節風型の天気パタンがあらわれる。冬には、日本の西のユーラシア大陸の陸面は、東の太平洋の海面よりも、温度が低くなる。そして、対流圏下層では、大陸上に高気圧、海洋上に低気圧ができ、大陸から海洋に風が吹き出すが、地球の自転の効果があるので、高気圧のまわりを上から見て時計まわりにまわりながら吹き出す形になり、日本付近では北西の風、その南の亜熱帯では北東の風となる。吹き出しを補うように、おそらく対流圏中層で、大陸上に向かう流れがあるはずだが、検出するのはむずかしいかもしれない。

この季節風が日本に やや複雑な降水分布をもたらす。大陸から吹き出す季節風は、はじめは乾燥しているが、日本海などの海上を吹く間に海から水蒸気を受け取る。その空気が日本列島の山脈の風上(北西側)で押し上げられ、雲をつくり、降水をもたらす(温度が低いので雪になることが多い)。風下(南東側)では水蒸気がとぼしくなった空気が押し下げられるので、晴れることが多い。(この風上・風下のコントラストは気候の全球モデルではまだ表現困難なメソスケールの特徴である。)

冬のあいだには、冬の季節風型のほかに、温帯低気圧型・移動性高気圧型が出現することもある。日本列島の山脈の南東側で雪がふるのは、温帯低気圧型で、しかも気温が低いときである。

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夏(8月ごろ)には、日本東西軸地方は亜熱帯高気圧に覆われることが多い。気温が高く、湿度もかなり高いが、晴れることが多い。ただし、亜熱帯高気圧のうちでも太平洋の西側なので、太平洋の東側にくらべれば積雲がたちやすい。陸上では、日変化にともなうメソスケールの降水 (たとえば午前中は晴れているが午後に雷雨) が、しばしば見られる。

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6月・7月には雨が多く、梅雨(Baiu)とよばれる。これは中国大陸(とくに華中)の梅雨(Meiyu)と一連の現象である。梅雨をもたらす大気の構造は梅雨前線とよばれる。ただし、温帯低気圧にともなう前線は温度コントラストが特徴だが、梅雨前線は水蒸気量のコントラストが特徴である。

梅雨前線と似たものとしては、南太平洋収束帯(SPCZ)、南大西洋収束帯(SACZ)があり、亜熱帯降水帯としてまとめることもできる(Kodama, 1992)。ただし梅雨前線はSPCZやSACZよりも位置が固定しやすい。

梅雨前線の中にメソスケールの積雲群が発達して激しい雨をもたらすことがある。熱帯の大部分の地域での降水が日変化がはっきりしていて雨季でも晴れる時間があることが多いのに対して、梅雨前線の降水は昼夜をとわず続くことがおきやすい。

「モンスーン」ということばの意味を広くとれば、梅雨はアジアモンスーンの重要な部分である。しかしその意味を狭くとれば、梅雨はモンスーンとは言えないだろう。

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秋のはじめ(9月ごろ)は雨の日が多い時期であり、いくらか梅雨と似ているが、梅雨ほど持続性がない。なお、降水量の気候値で9月の量が多いのは、おもに、次にのべる台風にともなう雨が多いことによる。

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台風は熱帯の海上で発生し、だいたい6月から11月のあいだに不規則なタイミングで日本にやってくる。台風は大雨と強風をもたらす。

文献

  • E. Fukui ed. 1977: The Climate of Japan. Kodansha & Elsevier Scientific Pub. Co.
  • Yasumasa Kodama, 1992: Large-scale common features of subtropical precipitation zones (the Baiu Frontal Zone, the SPCZ, and the SACZ). Part I: Characteristics of subtropical frontal zones. Journal of the Meteorological Society of Japan, 70: 813-836. https://doi.org/10.2151/jmsj1965.70.4_813
  • 日下[くさか] 博幸, 2013: 学んでみると気候学はおもしろい。ベレ出版。[読書メモ]
  • 中村 和郎[かずお], 木村 龍治, 内嶋 善兵衛, 1986, 新版 1996: 日本の気候 (日本の自然 5)。岩波書店[読書メモ]

陸水収支からみたモンスーン地域の特徴

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「モンスーン、monsoon、季節風」について、このブログには[(1) 2014-07-07] [(2) 2017-10-31] [(3) 2018-06-20] [(4) 2018-06-20] [(5) 2018-06-26]の記事を書いてきた。

この記事もその関連であり、ひとりの研究者としてのわたしは、モンスーン(とくに熱帯と温帯をふくめた「アジアモンスーン」)の話をするならば、この話題は はずせないと感じている。しかし、書きはじめてみて、これは「モンスーン」や「モンスーン気候」の定義には なりそうもないことに気づいた。それで、この記事は「モンスーン、monsoon、季節風」のシリーズには入れず、別の表題で出すことにした。

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水収支を考える。[地表面のエネルギー収支と水収支 2012-07-05]の記事にも書いたが、これは、固体・液体・気体の3相にわたる水という物質についての質量収支である (水と他の物質とのあいだの化学変化は定量的に小さいので便宜上無視する)。

陸上では、対象領域として河川流域をとり、地下水流出が無視できるとすれば、流域にたまっている水の量(陸水貯留量)は、流域全体での降水(正)、流域全体での蒸発(負)と、河口からの流出(負)によって変化する。陸水貯留量は、湖、河道の水、積雪、土壌水分、地下水などの合計であり、とくに地下水については絶対量はよくわからないが、なんらかの基準時点からの差ならば、水収支によって知ることができる。ただし陸面からの蒸発量も代表性のあるデータはなかなかない。そこで、流域の上空の大気柱の水収支を考える。気柱の水蒸気量は、降水(負)、蒸発(正)と、大気による水蒸気水平移流の正味の収束量(正)によって変化する。気象データから水蒸気移流の値を計算でき、降水量はまずまず観測値があるので、蒸発量を知ることができる。

世界の大陸の大河川について、ひとまず多数年の月ごと(1月は1月で、2月は2月で)の累年平均で、水収支の季節変化を見ることにした。なお、実際には、河口付近では、河道が分流していたり、水位が海の影響で変動したりして、流量のよいデータがないことが多い。利用可能な流量観測点はいくらか上流にある。水収支計算の対象としては、観測点から上流の流域をとる。

70の大河川流域について計算した結果を、Masudaほか(2001)の論文で報告した。ただし、ページ数制限のきびしい雑誌に出したので、季節変化のグラフは少数の流域についてしか出せなかった。その後、2007年ごろまで、データを少しずつ更新してやりなおしていたのだが、もう少し更新してから論文にしようと思っているうちに機会をのがして、くわしい論文を出さずじまいになっている。おはずかしいしだいである。

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2004年ごろのバージョンの計算結果を、教材ページ[大陸の大河川流域の水収支各項の季節変化]にのせている。

まず、メコン (Mekong)、長江 (Chang Jiang、揚子江ともいう)、黄河 (Huang He)を見ていただきたい。

メコン川流域の大部分は、熱帯モンスーン気候だ (ケッペンの意味ではなくて、わたしが主観的にこの用語がふさわしいと思っているという意味で)。上流部は高山地帯と温帯だが、その面積比は小さい。中流下流部では、だいたい5月から9月が雨季だ。11月から3月は乾季で降水は非常にすくない。陸水貯留量 S (年変化での最小値を0として表示している)は、乾季の終わりの3-4月に最小になり、雨季のあいだふえつづけて、10月ごろ最大になる。その差は、流域平均で 200 mm (0.2 m)となっている。(ちなみに、メコン川本流の河道の水位の季節差は 10 m ぐらいある。)

長江と黄河は温帯にある。乾湿はだいぶちがう(黄河のほうが乾燥している)。しかしどちらも、降水量も蒸発量も夏のほうが多いのだが、降水量のほうがその変化幅が大きい。それで、S は、夏のあいだふえつづけて、秋に最大になる。夏を「雨季」とみなせば、熱帯モンスーン気候のところと似た形をしている。仮に「温帯モンスーン型」と呼んでおく。(温帯のこれとちがう形はあとで見せる。)

次に、黄河、アムール (Amur、黒竜江ともいう)、レナ (Lena)を示している。

東シベリアのレナ川流域では、冬には積雪があって、川も凍るので、水が動かなくなる。いくらか降雪もあるので、陸水貯留量は冬のあいだふえつづけて、雪どけの季節に極大になる。河川への流出は雪と川氷のとける季節に集中して多い。夏は年のうちでは降水も多いのだが蒸発も多い季節で、陸水貯留量は夏のあいだ減っていき、秋に極小になる。世界の寒冷地域の流域水収支の季節変化は(雪どけの流出がこれほどするどいとはかぎらないが)だいたいこのような形をしている。

中国とロシアにわたるアムール川流域は、温帯モンスーン型と寒冷地域型の混合と言えると思う。陸水貯留量の季節変化は、あまり大きくないが、春と秋の両方にピークがあるようだ。

それから、長江、ミシシッピ (Mississippi)、パラナ (Parana、La Plataともいう)を見よう。

アメリカのミシシッピ川流域も、温帯にあり、降水量も蒸発量もそれ自体の極大は夏にあるのだが、夏には蒸発量のほうが大きい。夏には水蒸気収束量(C)が負になっており、流域はその外に水蒸気を供給しているのだ。陸水貯留量は、春に極大があり、夏のあいだ、だんだん減っていく。陸水貯留量だけ見ていると、寒冷地域のほうに似ている。なお、北アメリカのうちのほかの河川であるコロンビア川やコロラド川で見ても、それぞれ乾湿はかなりちがうのだが、陸水貯留量の季節変化に関する限り、ミシシッピと似た形を示す。北アメリカだけかどうかわからないが、ひとまず「温帯北アメリカ型」としておく。

1990年代、大陸規模の水循環は、ミシシッピ川でていねいに研究すれば、少なくとも温帯については世界じゅうに通用する結果が得られるだろうという議論があった。しかし、この結果を見たとき、夏が、陸面がかわいていく季節なのかしめっていく季節なのかという意味で、北アメリカと東アジアはだいぶちがうので、東アジアでも研究する必要があるのだ、と主張できると思ったのだった。

ただし、東アジア特有というわけでもないらしい。南アメリカパラナ川も、南半球なので1月前後が夏であることに注意すると、夏に降水も蒸発も多いが降水のほうが変化が大きく、陸水貯留量は夏のあいだふえていくので、東アジアと似た形なのだ。ただし、使うことのできた観測点が中流域のものなので、もしかすると下流域のふるまいはちがうかもしれないが、未確認である。中流域にあるパンタナールの季節的湿地について、わたしが知ることのできた断片的な知識は、この陸水貯留量の結果とあっている。暫定的に、南アメリカにも温帯モンスーン型の流域がある、と認識している。

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ただし、この話題をモンスーンに結びつけるのには弱みがある。赤道域にあるアマゾン川コンゴ川流域では、明確な乾季はない。しかし、(「モンスーン」のシリーズの(5)の記事で述べたように) 降水量の相対的な季節変化はある。アマゾン、コンゴ、いずれも流域の大部分は南半球にあるので、流域にふる降水量は、南半球の夏に多く、南半球の冬に少ない。蒸発の季節変化は大きくないから、陸水貯留量は、南半球の夏の終わりに極大になる。夏が「雨季」であるようなモンスーン気候の流域と同様にふるまうのだ。河道の水位の季節変化も数メートルあり、季節的に水没する面積も大きいと聞いている(文献もさがせば見つかる)。流域水収支の特徴では、アマゾンやコンゴと、メコンなどとを区別するのはむずかしいと思う (乾季の降水量でしきい値を決めれば分けられるけれども)。まとめて、(「熱帯モンスーン型」ではなくて)「熱帯型」とするべきか、と思っている。

文献

  • Kooiti Masuda, Yukie Hashimoto, Hiroshi Matsuyama and Taikan Oki, 2001: Seasonal cycle of water storage in major river basins of the world. Geophysical Research Letters, 28: 3215 -- 3218. https://doi.org/10.1029/2000GL012444

モンスーン、monsoon、季節風 (5) 季節平均の海面気圧とOLRの分布から

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「モンスーン、monsoon、季節風[(4) 2018-06-20]の話題のつづき。

わたしは、大学の地球科学に関する科目で、世界の気候について講義するとき、東西方向は一様とみなした南北・鉛直の構造で話をすすめたあと、地図で地理的分布を見せながら海陸分布の影響について話す。[教材ページ「季節平均の大気の状態」]参照(この題名はつけなおすかもしれない)。

そこでまず重点をおくのは、中学・高校の教科書用地図帳にものっている、1月・7月(またはDJF・JJA [2012-11-10の記事]参照)の平均、しかも累年平均の海面更正気圧([2012-04-26の記事]参照)の分布図だ。

まず、緯度帯ごとの特徴に注意する。このところわたしは準備が悪くて見せていないが(およその形を手がきしておぎなうこともあるが)、海面気圧の緯度ごとの平均値の南北分布のグラフをあわせて見たほうがよいと思う。南北半球で数値はだいぶちがうのだが(とくに温帯低気圧帯は南半球のほうが気圧が低い)、両半球とも、赤道付近の低気圧帯(ハドレー循環の上昇域)、亜熱帯高気圧帯(ハドレー循環の下降域)、温帯(温帯低気圧の活動域)の高緯度側あるいは亜寒帯の低気圧帯が認識できる。温帯で気圧が低いのが、温帯低気圧が動いているところのうちでは高緯度側の端に近いことは、低気圧はたいてい発達しながら高緯度側に動き、発達しきってもしばらくは中心気圧が低いままだから、と説明できると思う。

ところが、地図上の分布は、東西一様ではない。「海と陸とのちがい」という観点で、ユーラシアにも北アメリカにも共通の特徴に注目することもできると思う。しかし、わたしが気圧分布図を見ると、ユーラシアが特別なように感じられる。

北半球の冬(1月またはDJF)には、亜寒帯は低気圧帯であるにもかかわらず、ユーラシア亜寒帯には、高気圧 (シベリア高気圧)がある。

あわせて地上の風をみると、シベリア高気圧からふきだす日本付近の北西季節風がある。(その緯度帯の風は基本的に偏西風だから、北風成分だけが特徴となる。東南アジアの北東季節風もその続きなのだが、緯度帯に共通な北東貿易風があるもとに追加されるものだから、風向だけでは注目される特徴にならない。)

北半球の夏(7月またはJJA)には、亜熱帯は高気圧帯であるにもかかわらず、インド付近には低圧部がある。(これは、気象学の文献では、monsoon trough (モンスーン トラフ)とよばれている。)

地上の風をみると、北半球熱帯の基本は北東貿易風であるにもかかわらず、インド洋には、南西季節風(風としてのモンスーン)がふいている。

つぎに、熱帯にかぎって、夏と冬それぞれ平均の雲または雨の分布をとりあげる。衛星観測によるOLR (outgoing longwave radiation)の分布図を見せることが多い。これは本来、大気上端から出ていく地球放射のエネルギーフラックス密度(の推定値)なのだが、熱帯に関するかぎり、(熱帯であるにもかかわらず)この数値が小さいところは、背の高い(雲頂が対流圏の上端付近に達する)雲が出る頻度が高いところなのだ。

北半球の夏には、気圧でみたモンスーントラフに近いところに、背の高い雲が多いことがわかる。そこで、熱帯モンスーンの確立後の熱源は、高温の陸面ではなく、積雲対流である、という話題につなげる。

南半球の夏(北半球の冬)には、背の高い雲の出やすいところは、赤道よりも南半球側にあり、おもに(少なくとも面積でみると)海上よりも陸上の、インドネシアからオーストラリア北部、南アメリカアマゾン川流域とその付近、アフリカのコンゴ川流域とその付近にひろがっている。

このうちインドネシアからオーストラリア北部のものは、気象学的な解説をみれば、風向の季節変化(ほぼ逆転)もあり、雨季の急激な始まりもあって、熱帯モンスーンの構造をもつことがわかるのだが、月平均の気圧場ではその特徴はつかめないし、風の場でも一見ですぐわかるようになっていない。

また、アマゾンとコンゴのものは、風向の逆転はないし、雨は、南半球の夏のほうが相対的に多い傾向はあるものの、冬もまったくふらないわけではないから、熱帯モンスーン地帯とはいいがたい。むしろ、東西平均しても見られるような大気大循環の南北シフトが、海と陸との熱的特性のちがいによって少し変調されたもの、というふうにとらえるのがよいと思う。季節風やモンスーンからははずれるが、季節変化と海陸分布がからんだ気候の特徴にはちがいない。

モンスーン、monsoon、季節風 (4)

【この記事は まだ 書きかえることがあります。 どこをいつ書きかえたか、必ずしも示しません。】

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「モンスーン、monsoon、季節風」については、[(1) 2014-07-07] [(2) 2017-10-31]の記事で、いろいろな論点をあげた。また、[(3) 2018-06-20]の記事には、「風向の逆転」という観点でデータ解析をしてみた結果を紹介した。

この記事では、わたしがちかごろこの主題について考えているいくつかの論点を列挙する。

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日本語圏のうちで、「モンスーン」や「季節風」ということばは、人によってちがう意味で使われている。次のような複数の観点でのちがいがあると思う。

  • 日本語としての「モンスーン」と「季節風」は同意語か、別か?
  • 「モンスーン」は風に注目するか、雨に注目するか
  • 風の場合、季節間で風向の逆転があることが必要か、一方の季節の風向が明確ならばよいか
  • 雨の場合、明確な雨季と乾季があることが必要か

だれかが意味の統一をよびかけたとしても、みんなを動かすことは不可能だと思う。

わたしは、2000年ごろから、「アジアモンスーン」あるいは「モンスーンアジア」を題目に含む 気候・水文の研究プロジェクト(「GAME」や「MAHASRI」) に参加してきた。そのプロジェクトはいずれも、モンスーンということばの意味を明確に定義しなかった。むしろそのことによって、おおぜいの研究者を結集することができたのだと思う。(ただし、この論点には深入りしないでおく。)

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夏と冬とで風向が逆転することを定義とした季節風(またはモンスーン)の分布については、[(3)の記事]で述べた。

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梅雨はモンスーンか、という問題もある。

GAMEやMAHASRIでは、梅雨はモンスーンに含まれることを当然の前提のようにしてきた。しかし、それはプロジェクト遂行上の方便だったかもしれない。

わたしの感覚では、大陸上(中国)の梅雨(Meiyu)ならば、陸面の昇温に続いて雨季がくるので、「モンスーン的」だと思う。(この感覚は熱帯モンスーンを基本としたものだ。) ただし陸面昇温は華北が主、雨季の降水帯が停滞するのは華中が主で、位置がずれていると思う。(GAMEやMAHASRIの中では、もっとくわしく、陸面状態と降水との関係を論じた研究がされたのだが、わたしは残念ながらそれをふまえて考えることができていない。)

日本の梅雨(Baiu)を、大陸と一連でなく別に見るならば、あまりモンスーン的ではないと思う。(大陸と海洋の境界にできるといえなくはないが、境界にそうわけでもない。)

児玉安正さんは、梅雨前線を、南太平洋収束帯(SPCZ)、南大西洋収束帯(SACZ)と同類の、亜熱帯降水帯として論じた。弘前大学のサイトにある児玉さんのページ http://www.st.hirosaki-u.ac.jp/~kodama/ に、解説があり、研究論文へのリンクもある。

その解説の中で児玉さんは、亜熱帯降水帯が「熱帯モンスーンの降雨域に隣接してその東方に存在しており,熱帯モンスーンと降水帯の密接な関わりが予想される」と述べている。【ということは、亜熱帯降水帯と熱帯モンスーンとは、関連はあるが、別ものと見たことになる。ただし、大きな「モンスーン」があって、その部分として「熱帯モンスーン」と「亜熱帯降水帯」があるという構造でとらえる可能性はあるかもしれない。児玉さんがご病気で疑問に答えていただけそうもないのが残念だ。】

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「熱帯モンスーン気候」というと、学校教育では、ケッペンの気候区分の Am をさすことが多いらしい。

わたしは、ケッペンの気候区分を、学校の授業で話題にすることはよいと思うが、生徒に操作可能になってもらうのは、[2018-05-31の記事]に書いたように、大分類(A, B, C, D, E)までにするべきだと思う。

とくに、Am の所在を問うのはうまくないと思う。一例としてWikipedia英語版の「Tropical monsoon climate」(2018-06-20現在)の地図を見ると(どんなデータにもとづいてつくられたのか、まだ確認していないが)、Am は、アマゾン川コンゴ川流域など、(陸の乾湿の季節変化はそれなりにあるのだが)わたしの主観ではモンスーン気候というよりも熱帯雨林気候と思うところに出てくる。アジアのモンスーン地帯では、インド西海岸、ベトナム中部、ルソン島などはよいが、その中間で、わたしの主観ではモンスーン気候を期待するところがぬけている(Af または Awと判定されているにちがいない)。

矢澤(1989)によれば、ケッペンは、まず、熱帯は、乾季がなければ密林、乾季があれば疎林になるだろうと考えて、気候をAfとAwに分類した。ところが、乾季があるにもかかわらず、(疎林でない)森林が成立しているところがある。そこをAmと考えて、経験的に月降水量であらわす式をつくったようだ。Amの気候を形容するのに Monsun ということばを使うことはあったが、風のことは考えていない。(ケッペンが Monsunをどういう意味で使ったかは、矢澤の本を読んだかぎりではよくわからない。なお、ケッペンが風に関心がなかったわけではない。ケッペンは海上の気候を論じる際には風を主に考えていた、と読んだ(不確かな)記憶がある。陸上の気候区分という作業の方法論として風を使わなかったのだ。)

いまでも、気候と植生の関係を考えるうえで、「乾季はあるが森林がなりたちうる」気候条件を考える意義はあると思う。しかし、たぶん、ケッペンの定義はうまくないだろう。

もしケッペンのAmを話題にしたいのならば、単に「熱帯モンスーン気候」と言うのではなく、「ケッペンの」とことわってほしい。

「熱帯モンスーン気候」ということばは、ケッペンとは別に、今の研究者の感覚にあうように定義しなおして使いたい。ただし、まだ共通理解があるわけではないので、使うときごとに、どういう意味で使っているかを読者に伝える必要がある。(「ケッペンのAmではない」という注記も必要かもしれない。)

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学術研究での用語は各人の見識にまかせてもよいかもしれないが、学校教育の用語については統一したほうがよい([2018-06-06の記事]参照)。とくに、同じ語がちがう意味で使われると混乱をまねく。

しかし、「季節風」や「モンスーン」については、地理と地学の教科書の執筆者にかぎっても、定義を統一して使うのはむずかしいと思う。

明確な定義ではなく、典型例によって示し、典型例からの類推のしかたも例示したうえで、典型例からはずれて類推も困難なところについては問わない(季節風であるとしてもないとしてもまちがいではない)とする、というのが現実的なところだと思う。

季節風」と「モンスーン」は同意語で、一方があらわれてよいところには他方もあらわれてよいとするべきだと思う。英語 monsoon や 中国語「季風(jifeng)」などが両方に対応するからだ。

そういう了解のもとで、慣用として、日本の冬の話題では「季節風」、インドの雨季の話題では「モンスーン」と表現するのもよいだろう。ただし、東南アジア(ベトナムやマレーシア)の冬の話題では「北東季節風」も「北東モンスーン」も同じくらいもっともだ。

文献

モンスーン、monsoon、季節風 (3) 風向からみた世界のモンスーン地域

【この記事は まだ 書きかえることがあります。 どこをいつ書きかえたか、必ずしも示しません。】

「モンスーン、monsoon、季節風」については、[(1) 2014-07-07] [(2) 2017-10-31]の記事で、いろいろな論点をあげた。その後に考えたことを書こうと思う。

そのまえに、わたしが提供できる知見を示しておきたい。

仮に「モンスーンは季節間で風向が逆転することである」としてみたとき、世界の中で、モンスーンがおきている場所はどのように分布するか、ということだ。

この観点では、ソ連(当時)のフロモフ(Khromov。Chromovともつづる)が1957年にドイツの雑誌に発表した論文が有名で、1970年代ごろにモンスーンを論じた本にはよく引用されていた。英語の論文題名で引用されていることが多いが、原文はドイツ語だったかもしれない。わたしはその論文を読んだのだがよくおぼえておらず、いますぐ取り出せるところにないので、直接その論文に関する議論は、読む機会がとれるまでたなあげにしておく。

わたしはその論文と同じことを、再解析([2016-05-18の記事]参照)のプロダクトを材料としてやりなおそうとした。2002年に結果を学会発表するところまではいったのだが、論文にしそこなってしまった。

これからでも、新しい再解析プロダクト(たとえばJRA55)で同じことをやりなおして論文にしたほうがよいと思っているのだが、わたしの計算機利用能力がおとろえてしまったので、やると約束できないでいる。

- 材料と方法 -
2002年に発表したデータ解析の材料として、当時最新の再解析プロダクトだった NCEP Reanalysis 2 (Kanamitsuほか 2002)を使った。対象期間は1979年から1993年までの15年間とした(1979年はこの再解析プロダクトの始まりだが、1993年で止めたことに深い意味はない)。時間間隔は6時間である。再解析で使われた気象モデルは、気圧を地表面気圧でわったσ[シグマ]という鉛直座標で28個のレベルをもっている。ここではこのうち最下層 σ = 0.995、つまり地上約 50 mの風の東西成分・南北成分の値を使った。水平の格子点は東西192、南北94の緯線経線の交点である。ここではその格子点をそのまま使った。

それぞれの格子点ごとに、「風向の逆転」があるかどうか判断することにした。画像処理でいえばピクセルごとの処理にあたるものであり、複数の格子点からなるパタンやテクスチャを考慮した処理ではない。(結果を図にして、人がパタンやテクスチャを見ることはしている。)

各格子点について、対象期間の12・1・2月と6・7・8月のそれぞれの平均の風ベクトルを求め、両者のなす角を計算した。その角度が120度以上であるところを「風向の逆転」があるとみなした。(120度という数値はフロモフが採用していたので合わせたと記憶しているが、記憶ちがいのおそれもある。)

なお、ベクトル平均風速が非常に小さいところまで入れると、結果にノイズが多くなるので、0.3 m/s 以上という条件をつけた。このしきい値は試行錯誤で決めた。

次に、ベクトル平均の風がその季節の風向をどれだけ代表しているかという問題がある。そこで風の「定常性」を見ることにする。定常性の尺度として、ベクトル平均風速(の絶対値)とスカラー平均風速の比をとることがよくおこなわれる。スカラー平均風速とは、各時刻の風速ベクトルの絶対値を時間平均したものである。そのとおりにやるべきだったかもしれないが、わたしは(風の運動エネルギーを見ようとして)風速ベクトルの2乗の時間平均の計算をはじめていたので、それを使って、同じではないが類似の指標をつくって定常性の大小を判断した。

- 結果 -
結果は[学会発表予稿HTML版]の図を見ていただきたい。

[低緯度] 緯度約25度から熱帯側では、熱帯モンスーン域として知られたところがきれいに出た。西アフリカ(北半球側)、インド洋から西太平洋、インドネシアからオーストラリア北部にかけてだ。その大部分のところで、それぞれの半球の夏(太陽高度角が大きい時期)に西より、冬に東よりの風がふいている。

ただし、モンスーンのいわば「本家」と思われるインドの西海岸の海側がぬけている。ここでは冬の風向が北風で、夏の西風とのなす角が90度ぐらいなのだ。

中央アメリカの西の東太平洋にも、狭い帯状に、風向が交代するところがある。ここはふだんは貿易風帯だが、夏には熱帯収束帯(ITCZ)が赤道から相対的に大きく離れ、それは対流圏下層の低気圧でもあるので、その赤道側では西よりの風がふきやすい、と解釈できる。

[中緯度] 南北半球とも緯度30度付近に、夏には貿易風の東風、冬には偏西風という風向の交代が生じる帯状のところがある。(これは、季節による風向の変化という意味では、まさに季節風なのだが、海陸のちがいのない東西一様の地球でもおこるだろう大気大循環の季節的シフトだから、モンスーンは海陸コントラストによっておこるものだという観点をとるならば、まったくモンスーンではない。) ただし、そのうち海上では、定常性が乏しいことが多い。

東アジアの温帯には、上記の帯よりも高緯度側の、東シナ海・日本・サハリンなどにわたって、冬には西より、夏には東よりの風がふくところがひろがっている。

ただし、日本海は、大陸側の沿岸部をのぞいて、はずれている。冬には明確な北西の季節風がふくのだが、夏の風速が弱いのだ。日本の中部の陸上は、いちおう風向の逆転が出ているが、定常性がとぼしい。南西諸島は風向の逆転も定常性もある。

アメリカ西海岸付近と南部アフリカの西海岸付近には、冬に東より、夏に西よりの風がふくところがある。これは亜熱帯高気圧のはりだしかたの季節変化によるようだ。

[高緯度] 古典的には、夏に偏西風、冬に極域東風がふく季節風帯が想定された。しかし、実際には、北極まわりでは東風が持続してふいているわけではない。(南極まわりにはありそうだと思ったのだが、解析結果では南極まわりには風向の逆転がほとんど見られなかった。これは観測の乏しい地域での再解析の質の問題かもしれないと思う。)

そのかわり、夏に偏西風、冬に大陸上の高気圧(シベリア高気圧)の低緯度側にあたるので東風がふく地帯が、オホーツク海の北岸の北緯60度付近と、中央アジアのアルタイ山地付近の北緯45度付近に見られる。

- 結果を出したあとの考察 -

「再解析」データの質の問題が残っているが、格子点ごとに風向の逆転を評価すると、インドのすぐ西の海上日本海がぬけてしまった。地点ごとの風向の逆転をそのまま季節風の定義にするのはうまくない、と思う。

ひとつは、格子点ひとつずつではなく、風のつながりを考慮しながら、数百 km のひろがりの地域を評価すればよいのかもしれない。

もうひとつ、風向の逆転にこだわらず、一方の季節に風向の定常性の高い風がふき、他方の季節にそのような風がふかないときは、季節風があると認めてよいのかもしれない。

文献

  • S. P. Chromov, 1957: Die geographische Verbreitung der Monsune (The geographical distribution of the monsoon). Petermanns Geographische Mitteilungen, 101(3): 234-237.
  • 増田 耕一, 2002: 風向からみた季節風の全球分布。日本地理学会発表要旨集 No. 62 (2002年秋), p. 106 (発表番号508)。[増田によるHTML版]
  • Masao Kanamitsu, Wesley Ebisuzaki, Jack Woollen, Shi-Keng Yang, J. J. Hnilo, M. Fiorino, & G. L. Potter, 2002: NCEP-DOE AMIP-II Reanalysis (R-2). Bulletin of the American Meteorological Society, 83: 1631-1643. https://doi.org/10.1175/BAMS-83-11-1631

モンスーン、monsoon、季節風 (2)

【この記事は まだ 書きかえることがあります。 どこをいつ書きかえたか、必ずしも示しません。】

- 1 -
「モンスーン、monsoon、季節風」について、[2014-07-07の記事 (ここでは「第1部」と呼ぶ)]を書いた。

それ以後に思いあたったいくつかの話題をそれぞれ書き出しておく。今回の記事全体としてのまとまりはない。第1部への補足として見ていただきたい。

- 2 -
わたしのモンスーンに関する総論としては、2004年に「モンスーンとはなにか --グローバルにみたモンスーン、大気・海・陸間のエネルギー循環--」という講演をしたときのプレゼンテーション資料をウェブページの形で置いてある。また、大学での気候システム論の授業の教材ページ[モンスーン(季節風)]がある。ただし、いずれも、キーワードの箇条書きと図だけで、文章になっていない。文章にしておくべきだと、いま、あらためて思っているが、すぐにはできそうもない。ひとまずこの形で紹介しておく。

- 3 -
南アジア(インド亜大陸)から東南アジアの北半球側の陸上のうち、面積でみて大部分の地域では、詳しい月日は地域によってずれるが、だいたい6月から9月が「夏のモンスーン」・「南西モンスーン」の時期であり雨季でもある。地上気温は雨季にはいる前の乾季の終わりごろのほうが高いから、「夏」という用語は注意して使う必要がある。そういう地域の全部ではないが多くのところで、乾季から雨季へのうつりかわりは急激で、モンスーンのonset (「入り」)として注目されている。

しかし、南アジア・東南アジアでも、陸地の東海岸地方(海岸から内陸に向かって200 kmぐらいまで)には、11月から2月ごろの「冬のモンスーン」・「北東モンスーン」による雨のほうが多いところが分布する。フィリピン東岸、ベトナム北部・中部、タイ南部とマレーシアのマレー半島東岸、ボルネオ島北岸、スリランカの東岸などだ。このような地域では「夏のモンスーン」の時期は、乾燥するわけではないが、相対的に乾季といえる。

このような地域の分布について、2010年に、海洋研究開発機構 地球観測データ統合・解析プロダクトウェブサイト「FIntAn」のうち「アジア域の格子点降水量データ」のページがつくられる際に材料を提供したが、このサイトは残っていない。[リンク先]は2013年にInternet Archiveに保存されたコピーである。その図1、図2の画像が小さすぎて不鮮明なので、大きな画像を用意した。

図に示されているもののもう少し詳しい説明はリンク先の記事を見ていただきたい。「冬のモンスーン」で雨が多いところは、「図2」で北緯20度から南で青または緑になっているところである。リンク先の「図3」で月降水量の季節変化のグラフを示したうちの「ベトナム フエ付近」はそのような地点の一例である。[2017-11-13 図を補足、2017-11-14 本文改訂]

次に文献として示す[講演予稿]の図では、11月(November)の降水量の多いところが、「冬のモンスーン」の降水量が多いところである。

文献

  • 増田 耕一, 松本 淳, 安形 康, Ailikun B., 安成 哲三, 2004: 東南アジア大陸部の気候的降水量分布。 日本気象学会2004年秋季大会講演予稿集, p. 100 (発表番号A359) [著者によるHTML版]

- 4 -
(モンスーンを専門とする気象・気候研究者の用語の事例)

南アジアの「夏のモンスーン」が雨季である地域のうちでも、インドの西海岸、デカン高原ガンジス川中流域 (仮に「インド西・中部」とまとめておく)は、モンスーンの入り・明けの時期や季節内変動の位相が多少ちがうものの、年々変動では同調していることが多い。インド全体の降水量をまとめてその長期平均からの偏差を見れば、インド西・中部の特徴が見える。それに加えておそらく、イギリス領インドやインド共和国の政治の中心がガンジス川中流域のデリーにあることが続いたせいもあると思うが、「インドモンスーン」あるいは「アジアモンスーン」が、インド西・中部の雨の特徴で代表されてしまうことが多くなってしまっている。

しかし、降水量の極値の記録で知られるチェラプンジを含むメガラヤ州やアッサム・西ベンガルなどのインド北東部およびバングラデシュ(「インド亜大陸北東部」とまとめておく)は、やはり夏のモンスーン季がおもな雨季ではあるのだが、年々変動や季節内変動ではインド西・中部とは強弱が逆になることも多い。インドモンスーンの変動は、インド西・中部の雨の変動で代表されるものだけではないのだ。

今回の気象学会大会での研究発表を見て、このことをあらためて認識した。ただし、年々変動、30日から60日の周期帯の変動、10日から20日の周期帯の変動がからんでいて、ややこしい。研究論文を読んでから、あらためて紹介したい。

- 5 -
(モンスーンを専門としない気象・気候研究者の用語の事例)

気象学会の別の研究発表で、「モンスーン」ということばを聞いた。それは、東アジアの広域大気汚染、とくに中国から大気汚染物質がいつどれだけ出てきているかに関する研究だった。その変動がモンスーンの変動と相関があるという話があった。その件はその研究結果の主要部分ではなかったようで、くわしい説明はなかった。図に「DJF」という字があった(と見えた)。これは12・1・2月にちがいないので、ここでいう「モンスーン」は冬の季節風の北風のことなのだろう。そして、日本語で話してはいたが見せていた資料が英語だったので、monsoon をそのまま「モンスーン」と言ってしまったので、はじめから日本語で考えていたら「季節風」と言ったかもしれないと思う。ただし講演者にたしかめてはいない。

- 6 -
(気象・気候研究者でない人の用語の事例)

「モンスーン」や「季節風」ということばが、一般の世の中でどういうふうに使われているかも、知っておくべきだと思っているが、まだ意識して調べたことがない。

ただ、第1部を書いてまもなく(2014年)、たまたま「モンスーン」ということばを見かけて、それを書いた人がどういう意味で使っていたのかを追いかけてみたことが一度あった。

それは、持田 叙子[のぶこ]さんの文学評論の話題だった。わたしは文学評論を読むことはめったにないのだが、持田(2012)の本の最初の章「科学と神秘 -- モンスーンの国の書き手」(だけ)を読んだ。

持田さんは、泉 鏡花という作家を「アジアモンスーンに立地する郷土文学」だと言っている。そして、モンスーン地帯の代表的景観として「両棲類のすむ湿地帯の森」をあげている。ただしこの「両棲類」は、生物学でいう両生類(両棲類)であるカエルなどだけでなく、蛇、カニ、クモ、ヒル...を含むものだそうだ。南方熊楠の世界と共通するとも述べている。

そのような記述からわたしなりに解釈してみると、持田さんにとっての「モンスーン」は温暖湿潤な風土であり、季節によって乾湿が変わることでも、季節によってちがう風がふくことでもないようだ。

なお、持田さんは、鏡花との比較対象として、永井荷風にもふれている。荷風も日本の多雨と湿気に注目した。しかし荷風は都会を描き(その樹木も描いたが)、森(原生林)を描かなかった、ということだ。

気温・降水量などでみた気候はあまり変わらなくても、人間によって土地利用が変わると、持田さんのいう「モンスーン」の景観からは離れてしまうのかもしれない。(他の論者のうちには、水田こそモンスーンの代表的景観だとする人もいるが、わたしが読んだ範囲では、持田さんが水田をモンスーン的なものと見ているか、モンスーン的なものを破壊するものと見ているかは、わからなかった。)

文献

日本の四季という問題

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

- 1. 序論 -
「日本には四季があるからすばらしい」のようなことばをときどき聞く。個人の感想としてすなおにそう言うのはかまわないだろう。しかし、日本がほかの国よりもすぐれている理由という文脈で出てくると、「四季があるのは日本だけではない」「季節が四季でないことを劣っているとみなすのは偏見だろう」といった批判が出てくる(わたしもそういう批判がもっともだと思う)。

さて、「日本には四季がある」というのは事実としてよいだろうか。

小学校などでそれが正解でそれ以外はまちがいだという教育をしているかもしれない。

わたしは、日本に四季があるというのはひとつの正しいとらえかただが、唯一の正しいとらえかたではない、つまり、ほかのとらえかたをまちがいだとみなしてほしくない、と考えている。

おそらく、気候の専門家の多数の人がわたしと同様に考えていると思う。(気候の専門家のうちには、おもに地理の気候学を学んだ人と地球物理の気象学を学んだ人がいるが、この件については両者のあいだで差はあまりないと思う。)

わたしは、日本の特徴として「四季がある」あるいは「四季がはっきりしている」をあげるのはよいだろうと思う。しかし、「四季は日本だけの特徴だ」というのはまちがいであり、「四季があるから日本は(他の国よりも)すごい」というのは変だと思う。四季があると言えるのは、温帯に共通する特徴だ。

温帯の定義は、[2012-06-14の記事]で述べたように、ひとつに決まっておらずいくつもある。ここでは、いわゆる「天文学的定義」により、回帰線(緯度23.4度)と極圏の緯線(緯度66.6度)にはさまれた範囲ということにしておいてもよいだろう。

- 2. 気温による四季 -
気温の年変化(平均的な1年間の変化)を「四季」としてとらえるのは、次のような折れ線のイメージによっていると思う。

  • 気温が年最低付近でほぼ一定の時期 : 冬
  • 気温が上がる時期 : 春
  • 気温が年最高付近でほぼ一定の時期 : 夏
  • 気温が下がる時期 : 秋

現実の温帯の気温の年変化は、おおまかにはこれに似ているが、むしろサインカーブ(正弦波)で近似できる。

毎日の気温を、年平均値(定数)と、1年周期、(1/2)年周期、(1/3)年周期...のサインカーブの合計として近似表現することができる。「フーリエ展開」という数量の変換である。(具体的な計算手順に関心のあるかたは、わたしののウェブページ[気温の年変化の振幅と位相]をごらんいただきたい。)

すると、気温の分散を、各周期成分がもたらす分散の合計としてとらえられる。温帯のほとんどの地点では、気温の分散の大部分を1年周期成分がしめるのだ。(熱帯や寒帯では、半年周期成分も重要になる。この特徴は、3節で述べる「日射」のもつ周期性からきている。)

そこで、四季の定義のひとつの案(ここで便宜的に「第1案」と呼ぶ)として、

  • ふゆ: 気温の1年周期成分が最小値をとる日を中心とする(1/4)年間
  • はる: (過渡期)
  • なつ: 気温の1年周期成分が最大値をとる日を中心とする(1/4)年間
  • あき: (過渡期)

というものが考えられる。[注]

ただし、各季節の長さは、この案では四季を同じ長さにすることを想定して(1/4)年間(約91日間)としたが、必ずしも同じにする必要はなく、別の決めかたをすることもできる。

- 3. 日射量による四季 -
季節をもたらす原因は、地球の公転と自転によって、地球に達する太陽放射(光)のエネルギーが、緯度と時とによってちがうことである。

ここでは、大気や地表面の吸収や反射を受ける前の、地球に外からはいってくる太陽放射のエネルギーの、単位時間あたり、地表面の単位面積あたりの量 (単位はW/m2)に注目し、便宜上「日射量」と呼ぶ。(地上で観測される日射量とは関係はあるが別の量であることに注意してほしい。) 太陽が出す放射エネルギーを一定と仮定すれば(実際、よい近似である)、日射量は、地球と太陽との幾何学的位置関係によって決まるものである。ここではさらに、日変化をならした、日平均の日射量に注目する。

日射量の年変化は、地上気温よりもさらによく、サインカーブで近似される。温帯では、その分散の大部分を1年周期成分がしめる。

そこで、四季の決めかたの第2案として、

  • 冬: 日射量の1年周期成分が最小値をとる日(≒冬至)を中心とする(1/4)年間
  • 春: (過渡期)
  • 夏: 日射量の1年周期成分が最大値をとる日(≒夏至)を中心とする(1/4)年間
  • 秋: (過渡期)

というものが考えられる。

中国をはじめとする東アジアの伝統的な暦のうちの太陽暦部分である「二十四節気
([2012-10-28「二十四節気・七十二候」]の記事参照)は、(厳密ではないが)ほぼこのようなものである。

この日射量による季節は、北半球の温帯という広がりで、同時性がある。

ただし、日射量による四季の決めかたはこれだけではない。
第3案として、

  • Winter: 日射量の1年周期成分が最小値をとる日(≒冬至)から始まる(1/4)年間
  • Spring: (過渡期)
  • Summer: 日射量の1年周期成分が最大値をとる日(≒夏至)から始まる(1/4)年間
  • Autumn: (過渡期)

というものを考えることもできる。これは西洋、たとえばイギリスでの「季節の天文学的定義」と言われるもの[注]とほぼ同じなので、季節名を英語で示したのだが、第2案としてあげた東アジアのものとは、「1季節」の半分つまり(1/8)年だけずれる。

  • [注] [2017-12-16補足] Trenberth (1983)の序論に出てくる「astronomical seasons」(南北半球それぞれについて示している)はこれである。

- 4. 気温による四季と日射量による四季との関係 -
第1案の気温による四季と、第2案の日射量による四季との間には、時期のずれがある。

日本の多くの地点では、このずれは約(1/8)年つまり約45日である。日本の気温による「はる」は日射量による第2案の「春」よりも約45日遅れ、たまたまだが、第3案の「Spring」と同じ時期にあたることになる。

中国内陸部では、ずれはもう少し少ない。たとえば、唐の長安であった西安(シーアン)あたりでは、ずれは約30日である。

(もう少し詳しい議論は上記の「二十四節気・七十二候」のリンク先を参照。)

- 5. 月単位で考えた四季 -
人間社会では年のうちの時期を「月」単位でとらえることが多い。気候データも月平均気温、月降水量などをよく使う。そこで、四季も、月をまとめる形で定義したくなることが多い。次のようなまとめかたをすることが多い[注]。(ここでは「第4案」としておく。)

  • DJF (北半球では冬): 12, 1, 2月
  • MAM (北半球では春): 3, 4, 5月
  • JJA (北半球では夏): 6, 7, 8月
  • SON (北半球では秋): 9, 10, 11月

(この件については、[2012-11-10 「DJF, JJA」]にもう少し詳しく書いた。)

  • [注] [2017-12-26補足] Trenberth (1983)の序論に出てくる「meteorological seasons」のspring, summer, autumn, winter (南北半球それぞれについて示している)は、これである。 同じ論文の本論では、このブログ記事の2節で述べたのと同様な気温の年変化による季節の定義を考えるが、アメリカ合衆国本土の大部分の地点では「meteorological seasons」が気温の年変化による季節のよい近似になっているという議論をしている。

- 6. 「二季」 -
気候を非常に大まかに、ただし年平均だけを考えるよりは少しだけ細かくとらえるときには、過渡的季節を扱わないで、気温(の1年周期成分)の極小・極大をそれぞれ中心とする2つの季節として扱うことがある。これを「冬」「夏」という表現をしてしまうこともあるが、四季の冬・夏と区別したいときは、「寒候期」「暖候期」という用語が使われる。

- 7. 降水や乾湿による季節 -
世界のうちで、降水のある時期と(ほとんど)ない時期がある地域では、季節区分は、「雨季」「乾季」が基本となることが多い。

- 8. 気温と降水を考えた日本の「六季」 -
日本は、年間を通じて降水(雨や雪)があるが、時期によって降水の多い少ないがある。

とくに、日本の多くの地方で、暖候期のうちの降水の多い少ないが、めだった特徴になっている。6-7月の「梅雨」と9月ごろの「秋雨」(あきさめ)または「秋霖」(しゅうりん)がいわば雨季、7-8月の「盛夏」がいわば乾季にあたる。(梅雨と秋雨については、[2012-11-10 「梅雨、秋雨/秋霖」]の記事に書いた。)

このような降水の特徴と、気温の特徴あるいは天気をもたらす大気現象の特徴とを組み合わせて、日本(の多くの地域)の季節として「秋」「冬」「春」「梅雨」「盛夏」「秋雨」の6つをかぞえる人もいる。

気候専門家の多くは、「六季」と「四季」のどちらが正しいと決めることはせず、両方のとらえかたを許容していると思う。

- 9. いくつの季節をとらえるかは人間のつごうか? 温帯の場合 -
【この記事のここからさきは、自然科学者としての専門的知見を述べるものではなく、個人として考えたことを述べるものである。】

ここまで、自然現象としての気候について考えてきた。しかし、気温や降水量などは連続変数であって、季節をいくつに区分するかの根拠にはなりにくい。

日本で、人びとがなぜ四季を考えるかといえば、冬には寒さ対策、夏には暑さ対策が必要だが、春・秋にはどちらもあまりいらない、という理由だろうと思う。

少し一般的に言えば、人間活動(あるいは作物の生育など)にとって、

  • 冬: 寒さが制約となる時期
  • 夏: 暑さが制約となる時期

が取り出される。
そして、温帯では気温の年変化がサインカーブで近似される形をしているので、暑さ・寒さのどちらも制約とならない時期は、ひとつの春とひとつの秋として認識できる、ということなのだと思う。

- 10. 熱帯モンスーン気候の「三季」(初歩的に考えたこと) -
ここで仮に熱帯モンスーン気候と呼ぶのは、熱帯のうちで、わりあい湿潤ではあるが、明確な乾季があるような気候である。ただし、明確な定義はしない。(必ずしもケッペンの気候区分でいう熱帯モンスーン気候をさすわけではないが、それと大きくかけはなれているものでもない。)

たとえば、(資料として使えるほど精密な聞き取りではないのだが)タイ国中部での季節は次のように認識されていると聞いた(英語で聞いたので季節名は英語にしておく)。

  • Summer: 3月-5月前半
  • Rainy season: 5月後半-9月
  • Winter: 10月-2月

この地域は、いわゆる夏のモンスーンで雨がふるのだが、「夏のモンスーン」というときの「夏」は、大まかにこの記事の用語を使って言えば、大気上端にはいる日射量が年平均よりも多い時期のことだ。その時期の大部分は雨季になる。それに対してタイの人がsummerと英訳してくれた季節は、地上気温が高い季節で、雨季よりも前にくる。タイの学校の新学期は5月中旬なのだが、その前の時期は暑くて小さい子には授業や通学がむずかしいと判断して「夏休み」とされた、と聞いた。

熱帯モンスーン地域の全部がこのような季節進行をするわけではない。「冬のモンスーン」による降水が多い地域、たとえば、タイ南部(マレー半島の北部)では、季節進行はこれとは大きくちがう。

しかし、インドに関する文献などもあわせて考えると、この「三季」というとらえかたは、熱帯モンスーン地域全体を代表はしないものの、そのうちかなり大きな部分に適用できると推測している。(各季節の時期は、地域によっていくらかずれる。)

これは自然現象だけで決まるものではないかもしれない。第9節と同様に考えてみると、

  • Summer: 暑さが制約となる時期
  • Rainy season: 雨が(めぐみでもあるのだが)制約となる時期
  • Winter: 暑さ・雨のどちらも制約とならない時期

という構造なのではないか、と推測している。

- 11 -
この記事の9・10節で述べたようなことを、個人の推測だけでなく、学問的な知見にできるとよいと思うが、自然科学としての気候学(あるいは気象学)で閉じていてはわからないだろうと思う。気候学もかかわる必要があるが、気候を認知しまた利用する人間社会の側をとらえる学問との協力が必要だ。しかし、具体的にどの学問の専門家に呼びかけたらよいか、よくわからない。

関心をもったかたがいっしょに考えてくださるかたがいるとありがたい。

文献 [2017-12-16 追加]

  • Kevin E. Trenberth, 1983: What are the seasons? Bulletin of the American Meteorological Society, 46: 1276-1282. doi: 10.1175/1520-0477(1983)064<1276:WATS>2.0.CO;2

モンスーン、monsoon、季節風

「モンスーン」と「季節風」は、どちらも英語の monsoon に対応し、同じ意味のことばとして扱われることもあるが、区別されることもある。意味の広がりが一定しないので、文脈ごとに確認が必要だ。

本論にはいる前に、関連する他の用語についておことわりする。

  • ここでの「」「」は、太陽高度角が年平均より大きい・小さい(太陽天頂角で言えば逆に小さい・大きい)時期をさすものとする。北半球ではJJA、南半球ではDJF([2012-11-10の記事]参照)が夏の主要部分となる。夏は必ずしも気温が高い時期ではない。
  • 雨季乾季」「雨期乾期」はどちらも使われる。同じ語の表記のゆれとみなす。(この記事では前者を採用するが、わたしが書くもののうちでも一定していない。)
  • 東岸西岸」は、(ここでは、海の立場ではなく)陸(大陸や島)の立場で使う。

「モンスーン」あるいは「季節風」ということばが使われる典型としては、次のものがあげられる。

  1. 熱帯で、季節内では一定の風向が持続する傾向があり、それが冬と夏では逆転するような現象を「季節風」あるいは「モンスーン」という。とくに、インド洋熱帯北半球側で、冬に北東、夏に南西の風が吹くことをさす。英語の monsoon の語源は、アラビア語 mawsim (マウシム)であり、それは「季節」を意味する。季節ごとに出現しやすい風向に関する知識は、帆船による航海がさかんだった時代、とくに重要だった。
  2. 熱帯で雨季と乾季のある気候の、とくに雨季のことを英語でmonsoon (日本語でも「モンスーン」)という。この使われかたはインドに関する英語文献ではふつうであり、おそらくそこから他の熱帯地域にも広まった。
    • インド西海岸およびデカン高原では、雨季が(年々変動はあるがおよそ) 6月初めに急に始まり(onset=入り)、8月から9月に終わる(withdrawal=明け)。(日本語表現は梅雨に関する「つゆ入り」「つゆ明け」にならった形を使うことにする。) この雨季は、1で述べた南西モンスーンの風がインドに達している時期に対応する。この地域は天水田の稲作に雨を必要とするので雨をもたらす南西モンスーンへの関心が高い。
    • 東南アジア北半球側のインドシナ半島の状況もインドと同様だが、雨季の入りがやや早く(5月ごろ)、やや不明確である(乾季中にもいくらか降水がある)。
    • 西アフリカ(ギニア湾の北)でもインド・インドシナと類似の風と雨の季節進行が見られる。
    • オーストラリア北部のモンスーンも、夏冬が逆になる(雨季入りが年末年始ごろ)が、類似の現象である。
    • (南北アメリカには風向が季節によって逆転するところは少ないのだが、雨季が急に始まるところはあり、その特徴がモンスーンと呼ばれることがある。)
  3. 日本季節風といえば、おもに冬の北西風をさす。(夏の風向は必ずしも一定せず、風向の逆転による定義にあたらないところもある。) 冬の季節風は、アジア大陸を出るところでは水蒸気量が少ないが、日本海東シナ海から水蒸気を得て、日本列島の山地にぶつかって雪や雨をふらせる。それで水分を失うので山地の風下にはむしろ晴天をもたらす乾燥した風となる。季節風に関する経験的感覚は日本のうちでも住んでいる場所によって違う。(なお、日本列島の太平洋側・オホーツク海側に雪がふるときの風のパタンは冬の季節風の典型ではなく、低気圧が発達して風向が乱れたときである。)

これらに共通する概念的特徴があるとすれば、次のようなことだと思う。 (しかしこのまとめはモンスーンの定義としては漠然としすぎている。)

  • 夏と冬の少なくとも一方で、一定の風向の風の頻度が高い。(反対の季節には風向がほぼ逆であるか、風が弱いか、風向が定まらない。)
  • 降水・乾湿に関係がある。(降水をもたらす風だったり、乾燥をもたらす風だったりする。)
  • 大陸・大洋規模の海陸分布に関係がある。(同緯度の全経度で一様に起こっている現象ではない。)

次に、原因のほうから考えて、分類して論じることを試みる。
0. 帯状気候帯の季節的シフト
季節によって風向が逆転するしくみとしては、海陸の違いを考える前に、(概念的には東西方向に一様な)気候帯が、南北に(夏半球で高緯度側、冬半球で低緯度側に)ずれることがあげられる。

  • 熱帯(緯度15度付近)で、夏に熱帯収束帯(ハドレー循環の上昇域、降水多い、風向は一定せず)、冬に亜熱帯高気圧(降水少ない)・貿易風(東風)に覆われるところ。
  • 暖温帯(緯度30度付近)で、夏に亜熱帯高気圧(降水少ない)・貿易風(東風)、冬に温帯低気圧帯(降水多い)・偏西風(西風、ただし変動多い)となるところ。

ただし、このしくみだけによる風や乾湿の季節変化は、ふつう「季節風」「モンスーン」とは言わないようだ。
1. 大規模海陸風型循環、温帯大陸東岸の冬の季節風
単に「海陸風」と言えば昼と夜の熱源の違いによってつくられる循環だが、夏と冬の熱源の違いによっても同様なしくみで循環がつくられる。海と陸とでは、季節変化に関与する熱容量が違うので、陸上は、夏に高温・下層で低気圧、冬に低温・下層で高気圧となる。したがって、大気下層で、夏には陸にふきこむ循環(亜熱帯で東西一様な帯状の気候分布からのずれが大きい)、冬には陸からふきだす循環(亜寒帯で帯状からのずれが大きい)ができる。地球の自転の影響で、実際の風には、収束発散よりも渦の成分が大きくなる。循環の帰りの流れはふつう対流圏中層にある。

日本を含む温帯東アジアの冬の季節風は、偏西風の基本場にこの冬の循環が重なったものと考えられる。
2. 熱帯のプレモンスーン循環
熱帯モンスーン地帯で、1の夏の状態は、雨季入り前(pre-monsoon)の乾季末期の状態として実現する。このような地域では、地面温度・地上気温が年でいちばん高い時期は雨季入り前である(現地の感覚に従えばこの季節を「夏」と呼ぶのがもっともだが、この記事では違う約束によっていることに注意)。陸上の大気下層には収束、その上の対流圏中層に発散がある。
3. 熱帯の夏のモンスーン循環
雨季入り後の熱帯モンスーン地帯は、雲量が多く、雨による地表面冷却もあるので、陸面は必ずしも海面よりも高温ではない。雨季入り後の循環は、積雲対流の活発な領域で水蒸気の凝結によって密度の小さい空気が作られて上昇することによって維持される。積雲対流は対流圏上端(圏界面)に達し、循環の帰りの流れ(積雲対流からの吹き出し)は対流圏上層にある。積雲対流が活発な場所は、積雲対流と大気の大規模な力学との組み合わせで決まるので、海上になることもある。海陸の熱容量の違いによる温度差は、熱帯の夏のモンスーン循環の始まりには必要だが、維持には必ずしも重要でないと考えられる。
4. 熱帯の冬のモンスーン
熱帯の冬のモンスーンについて一般的に述べることはむずかしい。ここでは東南アジアの北半球側に注目して述べる。ここでの冬の下層の典型的風向は北東である。この北東風には次の要因が組み合わさっており、それぞれを分離して認識することはむずかしい。

  • 帯状全経度に存在する(北東)貿易風
  • 温帯の冬の(北西)季節風 → 地球の自転の働きで北東風となる
  • 反対(南)半球の夏の(北西)モンスーン ← 赤道で北東風が向きを変える

北東モンスーンは、海上をふく間に水蒸気を含み、陸地(とくに山地)にぶつかったところで降水をもたらす。東南アジアでは、フィリピン東岸、ベトナム(北部・中部)東岸、マレー半島(タイ南部・マレーシア半島部)東岸、ボルネオ島北岸などがそれにあたり、おもに夏のモンスーンが降水をもたらす地域に比べれば面積は狭いが、それぞれの地域に即しては重要である。
ベトナム東岸では、1・2月には降水日数は多く日照時間が少ないが、降水量は多くない。この時期は季節風がおだやかにふきつけていることが多いようである。11・12月にはときどき大雨がある。これは定常的な季節風ではなく、大陸からの寒気の吹き出し(海上を渡る間に低温ではなくなるが)や、渦型あるいは波型の乱れを伴っている。
5. 暖温帯の雨季: 日本の梅雨・秋雨([2012-11-10の記事]参照)など
暖温帯では、0のしくみによって夏は基本的に乾季なのだが、日本などでは、夏の初めと終わりに雨季がある。しかも、梅雨の入りは、熱帯のインドの夏のモンスーンの入りと(同時とは限らないが)近い時期に起こっており、(単純な因果関係ではないが)相互に影響をおよぼしていると考えられる。そこで、世界のモンスーンを考える際には、これも東アジア温帯のモンスーンとして含めるのがふつうになっている。
中国の人が、(熱帯の話題ではなく)温帯である中国の中央部についての話題で英語でmonsoonあるいは中国語で「季風 (jifeng)」として論じる対象は、梅雨期および盛夏(梅雨明け後)に水蒸気をもたらす南よりの風の場合が多い。(ただし、冬の季節風の場合もあるので、他のキーワードも見て区別する必要がある。)

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(ついでの話題) 「モンスーンアジア」
「モンスーンアジア」ということばは(気象学者も使うことはあるが)気象学用語ではなく、他のところでもきちんと定義されているわけではないようだ。この用語は、アジアのうちでも、ふつう、南・東南・東アジアをさす。西南・中央アジアは、おそらく乾燥しているという理由で、除かれる。北アジア(シベリア)も、おそらく寒冷だという理由で、除かれることが多い。つまり、モンスーンアジアとは、アジアの温暖湿潤域をさすようだ。これはまた、水田稲作がさかんな地域と同一視されることがある。

赤道付近には乾季が明瞭でない地域がある。ケッペン流の気候分類でいえばそこは「熱帯雨林気候」であり「熱帯モンスーン気候」とは区別される。しかし「モンスーンアジア」という場合、乾季が明瞭でない地域は、典型とはされないものの、除外はされないことが多いようだ。

DJF、JJA

気候学者や気象学者にとって、季節が重要なものごとであることはまちがいない。しかし、いつからいつまでを何という季節と呼ぶべきかとなると、こだわるかこだわらないかの両極端に分かれるようだ。直前の記事で紹介した「日本には6季がある」と主張する人々などはこだわるほうにはいるだろう。ところが、注目する地方や気象要素が違うと、こだわる人どうしの意見が一致しない。むしろ、季節区分にはこだわらず、便宜的な約束として季節を定義して先に進もう、というのが、どちらかといえば多数の学者の態度だと思う。

1年を大きくみると、夏と冬の両極端の状態を認めることができる。その中間の春と秋を含めて4つに分けることもできる。4つの季節の長さが同じである必然性はないのだが、気候データを(グレゴリオ暦の)月ごとに整理する習慣があるので、3か月ごとにまとめて「季節」とするのが便利だ。そして、北半球の陸上の多くの地点では、最低気温は冬至から約1か月遅れた1月に、最高気温は夏至から約1か月遅れた7月に現われるので、その月を中心として、12・1・2月を冬、6・7・8月を夏とすることが多い。残りの時期は、3・4・5月が春、9・10・11月が秋ということになる。

ところが、南半球では、生活実感を反映した春・夏・秋・冬の用語は北半球とは反対の時期をさしている。そこで、南北半球にわたる議論をするときには、季節の名まえではなく、英語の月の名まえの頭文字略語である、DJF, MAM, JJA, SONを使うことが多くなった。

熱帯や海上に注目した場合には、この区切りが適当とは限らない。研究者によっては、JFM, AMJ, JAS, ONDのような区切りで議論している例もある。

梅雨、秋雨/秋霖

日本の気候あるいは季節の話をしようとすれば、梅雨を無視はできないだろう。

一般の日本語圏では、「梅雨」と書いて「つゆ」と読む熟字訓がよく使われる。しかし気象学用語の「梅雨」は「ばいう(Baiu)」である。第2次大戦後の国語政策で学術用語には熟字訓を避けるべきだとされたせいもあるかもしれないが、おもに、気象学用語で「つゆ」では「露」が先に出てくるせいだと思う。ただし、梅雨の状態の始まり・終わりを示す「つゆ入り/つゆ明け」は、学術用語ではないと思うが学術的文脈にも出てくることがあり、その「つゆ」が「梅雨」と書かれることもある。

日本のうちでも九州・中国四国・近畿・東海・関東地方 (これをひとまとめに呼ぶ決まった表現はないが、仮に「日本東西軸地方」と呼ぶことにする)では、6月中旬から7月中旬または下旬ごろに、雨の降る時間が多い状態(日常用語で「ながあめ」)が続く。(なお、その期間中(とくに終わり近くの時期)には集中豪雨を含むこともある。) この状態が梅雨であり、この状態を起こす大気中の構造が梅雨前線である。梅雨前線は南から北に移動していく。したがって南西諸島では日本東西軸地方よりも早く、東北日本では遅い時期に、梅雨があると言える。ただしそれは日本東西軸地方の梅雨ほど明確な現象ではない。

東アジアに視野を広げると、中国の長江(揚子江)下流地方ではほぼ日本東西軸地方と同時に雨の多い時期があり「梅雨」(Meiyu)と呼ばれている。現代の世界の気象学用語としてはMeiyu/Baiuは一体の現象とみなされることが多い。この意味での梅雨あるいは梅雨前線は、5月中旬ごろに南シナ海にあり、段階的に北上して、長江・日本東西軸のつゆ明け後には、華北朝鮮半島東北日本あたりにある。韓国ではこのながあめをChangmaと呼んでいる(Changは漢字音の「長」だがmaは固有の朝鮮語のようだ)。国際的にこれもMeiyu/Baiuの別名とされることがある。

日本東西軸地方では、9月ごろにも雨の降る時間が多い状態がある。秋のながあめ、秋雨(あきさめ)、秋霖(しゅうりん)などと呼ばれる。

非常に大まかには、梅雨前線が北上して、そう呼ばれなくなっても維持されており、秋に向かう季節に南下してくるととらえることもできる。

しかし秋雨は梅雨と対称的でないところがある。日本東西軸のうちでは、梅雨が西日本で明確な現象であるのに対して、秋雨は東日本のほうが主になる。この非対称性は、西の大陸が東の海よりも早くあたたまり早く冷えることから来ていると言えると思う。また、秋雨の時期は台風の多い時期でもあるので、雨の降りかたは梅雨に比べれば連続性がよくない。

気候学者・気象学者のうちに、日本の季節は四季ではなく、春・梅雨・夏・秋霖・秋・冬の「6季」を数えるべきだという意見も根強い。わたしはそれに対する賛成反対は決めず、ただ紹介しておきたい。

二十四節気、七十二候

「気象むらの方言」の中で季節についての用語にふれることがまだできていない。なかなか書きにくい。思うに、気象学者にとって季節は重要なのだが、季節に関する用語を意味を統一して使っているわけではないのだ。

しかし、Twitter上で5日ごとに「七十二候」を示す人を複数見るようになった。季節感に合っていると思って使っているのだと思うが、わたしから見ると明らかに合わないものもある。気候を専門とする者としては、注意を述べておく責任のようなものを感じる。

わたしはかねがね、日本の一般社会の季節に関する用語には無理があると思っている。

  • ひとつは、明治時代に西洋のグレゴリオ暦を採用した際に生じた問題。
    • 約1か月ずれた旧暦(中国の伝統に基づき詳しいところは日本で改訂されたもの)の月と同じ呼びかたを使ってしまったことによって、同じことばを使っても文脈によって意味のくいちがいが生じた。
    • また、季節名についても、たとえば「春」を、西洋語、たとえば英語のspringに対応する意味で使う場合と、日本の(中国古典の影響も含む)伝統的な意味で使う場合があり、それが必ずしも明示されないので、意味のあいまいさが生じたのではないか?
  • もうひとつは、飛鳥・奈良時代から平安時代初めに、中国の暦の制度とともに季節に関する文化的模範も取り入れた際に生じた問題。
    • 中国(とくに長安付近)と日本(とくに奈良・京都付近)の気温の季節変化には約半月のずれがある(教材ページ「地上気温の年変化の振幅と位相」参照)。当時の文明の落差のせいで、暦が正しく目の前の現実が異常だと思わされてしまったのではないか。
    • また、日本語の「はる」の意味が、訓読みという文化的習慣によって、漢語の「春」に無理に合わせられてしまったのではないか? (ただし、漢語がはいってくる前にどういう意味で使われていたかはよくわからない。)

現代語でいう気候は、地上に近い大気の状態をさしていると思う。地球上の大部分のところで(とくに温帯で)、その変化は1年を周期とする特徴をもつ。ただし毎年ぴったり同じようにくりかえすわけではない。他方、見かけの太陽の動き(現代流に言えば地球の公転と自転の組みあわせ)は毎年ほとんど同じように起こる。そしてこれが地上の気候の季節変化の主要原因である(現代科学でそう言えるが、昔からそう推測されていたにちがいない)。

漢語の「気候」はもともと「二十四節気・七十二候」をさしていたそうだ(確認していない)。

見かけの天球上の太陽の軌道を黄道といい、恒星の日周運動の軸に垂直な面を天の赤道という。黄道と赤道の交わるところが春分点秋分点だ。黄道が赤道からいちばん離れるところが夏至点と冬至点だ。(地動説にたてば、公転軌道上で地球が春分点にくるときは秋分というように、読みかえる必要がある。) この4つは確かに原因の立場から見た季節の ふしめ にふさわしい。【「ふしめ」を「節目」と書いたら、自分で読みかえしたときに「セツモクという単語は知らないが、自分はなぜ知らない単語を書いたのだろう?」と思ったので、ひらがなで書くことにした。】

そして4つをそれぞれ2つずつに分け、1年を8等分するのも順当だ。その ふしめ には古代中国で「立春」のような名まえをつけられたので、ここでもそれを使おう。

ただし、1年を四季に分けて「立春」などがそれぞれ「春」などという季節の始まりだとすること、つまり、春分夏至秋分冬至がそれぞれの季節の中央にくるとすることは、中国文明が(おそらく漢代に)定式化した季節観であって、北半球温帯に限っても普遍的なものではないと思う。(イギリスなどではspringが春分から始まるという考えもある。それを採用すると英語のspringは漢語の春よりも8分の1年遅れる。)

ここで「等分」と書いてしまったが、Wikipedia日本語版の「二十四節気」 (2012-10-28現在)を参考に述べると、今では黄道上の角度(天球を仮定すれば弧の長さと考えてもよい)で等分しているが、それは中国では清、日本では天保からの新しい方式であって、伝統的には冬至を起点に時間で等分していたそうだ。

ともかく、等分すると決めれば、24等分でも、72等分でも、天文(現代流に言えば地球の公転・自転)の観測・予測だけの問題になる。

しかし、これまでに述べた8つ以外の ふしめ の名まえは、天文ではなく地上のものごとによってつけられている。気温や降水のような現代では気象学で扱われるような現象もあれば、生物の動きもあり、農業実践にかかわるものもある。そのうちで、二十四節気は気象に関するものが多く、七十二候は生物に関するものが多い。

それは当時文明が発達した地域での観察に基づくにちがいない。二十四節気の名称は、前漢淮南子に出そろっているそうだ(これはいずれ確認したいがひとまずWikipedia日本語版「二十四節気」によって述べている)。そうすると前漢の都の長安(今の西安)のあたりだろうか。(「淮南」は安徽省であり、文明圏は華北平原に広がっていたにちがいないので、長安にしぼりこめるとは限らないが。)

長安の気温の季節変化を見たのならば、それが最高になるころが「大暑」、最低になるころが「大寒」というのはもっともなのだ。立秋立春にはすでに極端な状態を脱したことを実感できるのだろうと思う。しかし日本では、気温が最高になるのが立秋、最低になるのが立春のころなのだ。頂点に達したらあとは下がる、という意味での ふしめ とは言える。しかし現実の気温の変化はなめらかでなく日々の変動がある。年の最高気温が立秋のあとに出る確率はその前に出る確率とほぼ同じであるはずだ(数値を確認しないで述べてしまっているが)。古今集歌人たちは、立秋のころに秋の風を、立春のころに春がすみを認めることによって、中華文明の規範と京都付近の観測事実のつじつまを合わせた(高橋, 1978)。それを日本人の季節感のするどさとして賞賛する人たちもいる。しかし、これは「無理をした」とというべきではないだろうか。「日本では、暑い季節の後半は『秋』と呼ぶのだ」という再定義でみんなが納得できればよいのだが、明治時代ならばともかく今からそうしようとしてもみんながついてこないだろう。

七十二候の名まえは二十四節気よりは新しい。Wikipedia日本語版の「七十二候」(2012-10-28現在)には唐の宣明暦のものが示されている。これは唐では822年から892年まで、日本では862年から1685年まで公式に使われた暦だ。そのうちには「野鶏入水為蜃」(キジが海に入って大ハマグリになる[仮にWikipediaの解釈によった])のように、科学的にありえないものも含まれている。しかし多くは長安付近の気象や生物現象に対応しているようだ。

わたしはこれまで、日本で使われている七十二候の名まえは中国直輸入だと思っていたのだが、違っていた。江戸時代以後には日本の気候風土に合うように改訂されている。今では、二十四節気国立天文台が示しているけれども、七十二候には国定の標準はないのだが、日本で七十二候を使う人のあいだでは、Wikipediaにも示されているように、1874年(明治7年)の国定の暦にのせられた名まえが標準とみなされているようだ。宣明暦のものと変わらないもの、新しいもの、時期がずらされたものを含んでいる。時期をずらされたものは、日本(おそらく京都付近、もしかすると江戸付近)での観察に基づいているにちがいない。

しかし、立春の「東風解凍」、立秋の「涼風至」は変えられていない。これは無理をしていると思う。文化の伝統が重くなりすぎて、その場の季節の実感を押しのけてしまったのではないだろうか。

さて、直接ではなくWikipediaの記載から知ったのだが、日本気象協会が2011年2月22日に「日本版二十四節気 〜日本気象協会は新しい季節のことばの提案に取り組みます〜」という発表をした。「2012年秋を目途に日本版二十四節気を提案する予定です。」と言っていた。それから続く活動だと思うのだが、2012年8月16日には「あなたが感じる「季節のことば」募集!」という呼びかけをし、別に「暦の上では」というウェブサイトを作って投稿を募集している。推測だが、気象キャスターは今の季節現象と伝統的な季節用語とを組み合わせることに疲れていて、現代にふさわしい季節用語の標準がほしいにちがいない。しかし、広く呼びかけてみると、伝統的季節用語の中で育った人からの、変えてほしくないという要望にはかなわないだろう。結局、多様性を認めようという方向に向かっているのだろう。【[2016-02-04補足] ここにあげた3つのリンク先のうち2つはなくなってしまった。「暦の上では」はあり、「季節のことば」の募集が終わって選ばれたものが発表されているが、Flashが必要で情報量のわりに動作がとても重いページになってしまい、アクセスをおすすめできない。】

文献